「本当に申し訳ありませんでした」

土下座するカノンノの隣で深々と頭を下げる。こうしていると客観的にはカノンノばかりが悪いような図になっているだろうが、実際のところは五分五分だ。つまりわたしも土下座をするべきなのである。
もちろん、わたしだってせめて精一杯の謝意を示そうとカノンノの隣に正座をしようとした。が、しかし。何と生物変化の進んだわたしの身体では正座と言う体制が取れなかったのである。具体的に言うと太股に咲いた花とか、巻き付く茨とか、そもそも関節として機能しているのかもわからない膝とか、様々な要因によって。
それに驚きもだもだしている内にアンジュさんの背後のオルタータ火山が噴火しそうなことに気付き、わたし達は慌てて頭を下げた。とりあえず全力で頭を下げた。焼石に水なことくらい百も承知である。

「…とりあえず、」

どのくらいそうしていただろう。誰も何も言わず、否、言うことは出来ず、誰もがアンジュさんの声を待っていた。しかし彼女は呟くようにそう言うと、小さくため息をこぼす。それがあまりにも柔らかく聞こえて、わたしは頭を下げたまま目を瞬かせた。

「先に私も謝っておきます。…カノンノ、いくら何でも謹慎は言い過ぎたわ。あなたとリタはナマエのためを思ってやったのに…ごめんなさい」
「そっ、そんな、謝らないでください…!確かにあれはリーダーに報告もしなかった私達が悪いんです!だから…」
「でも、」

つかの間和らいだ空気が再び冷え固まる。それを目の当たりにしたカノンノが大袈裟なまでにびくりと震えた。

「それとこれとは話が別です。謹慎を言われているのに、勝手に、しかも二人だけで、ラザリスの元にですって…?」

あっ、やばい、噴火する。ちらりと隣のカノンノを窺えば、彼女はもうすっかり泣きそうになっていた。優しくいい子なカノンノのことだ、きっとアンジュさんにここまできつく怒られたこともないのだろう。自慢ではないが、無茶ばかりをして言うことを聞かないわたしは幾度となく怒られてきたので、恐ろしくもあるがまだ平気だ。噴火しない限りは、だが。

「しかもナマエ、聞いたわよ。セルシウスから貰ったマナで生物変化を隠し続けていたんですってねえ。リタは初めてあなたのドクメントを見てからずっと、何となく気付いていたみたいで何度も忠告しようとしていたみたいだけど」
「え、」

思わず漏れた声を慌てて塞ぐ。いや、気付いているだろうなとは思っていた。事実ハロルドさんはあのトランスクリプタの件で気付いたみたいだったし、だけど、まさかそれより前に気付かれていたなんて。そう言われてみれば彼女がわたしに何かを言いたげに口ごもるようなことは何度かあったし、もしかしたらあれがそうだったのかもしれない。例えばヴェラトローパの話を聞きに行った時とか、カイルさん達がこの世界にやって来た時とか、思い当たる節はたくさんある。
息が詰まるような想いだった。彼女は知っていた。知っていながら、ここまで黙っていてくれた。わたしだけにそっと告げるために、不器用でどこまでも真っ直ぐな彼女が、リタさんが。

「それなのにあなたは、…あなたは、リタに何も言わずに行くの?私達も、彼らも、あなたを大切に想う仲間の気持ちも全部置いて、行こうとしたの?」
「アンジュさ…」
「ナマエなりに考えがあったこともわかってる。言いたくなかったって、それもわかってるわ。でも、…でも、こんな姿になるまで…知らないままだったなんて……」

瞬きも出来なかった。することなど、許されていなかった。床しか映せずにいた視界に白い両手が差し込まれる。頬に添えられたそのあたたかなてのひらに促され、ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げた。
アンジュさんがどんな顔をしているかは見られなかった。そのまま彼女のあたたかな胸へと引き寄せられ、ふわりと花のような匂いに抱きしめられる。花が、茨が、柔らかい身体に刺さって痛いだろうに。白く色褪せて七色に輝く髪に頬を寄せ、アンジュさんは囁いた。

「…いいよ、もう」

それはまるでわたしを許すような。諦めるような。決意をするような。そんな声で、そんな言葉だった。

「何処へだって行けばいい。どんな姿になろうと、必ず帰って来てくれるなら、私、もう何も言わないから…」

アンジュさんがどんな想いでそう囁いたか、それに心を痛める権利はわたしにはない。破り捨てた依頼書に後悔はないが、彼女がそれに気付いた時どれだけ傷付けてしまうのか、何も考えずにやったわけではない。もう、わたしにあれは必要ない。卑怯なようだが、臆病なわたしは自身で退路を断つしかなかったのだ。逃げる場所など何処にもない。わたしはこの世界で生きていく。きっと、きっとあの子と一緒に。
そう決意するための、あの子と一緒にプロローグを迎えるための、最後の準備。
一度だけ、彼女に爪を立てないよう気を付けながら腕を回して、あたたかな身体をきつく抱きしめた。ありがとう。ごめんね。そう囁くことも、きっとわたしには許されていない。そっと身体を離したそのタイミングを見計らったかのように、無機質な声が響いた。

「アンジュの許しも出たことだ。水を差すようで悪いが、事は一刻を争う。急いだ方がいい」

振り返れば壁に寄りかかるユーリさんの隣、ニアタは努めて冷静に頷いて見せた。滑るようにこちらへとやって来た彼はわたしの目の前で止まる。その小さな頭部を上下に動かし、わたしの爪先から顔をじっくりと眺め、まるで嘆くように無機質な声を揺らした。

「世界樹とディセンダーは一心同体。世界樹に突き刺さるあの牙の影響をまともに受けているのだろう。そなたが世界樹と同じ痛みを受けたのも、生物変化がここまで進んでしまったのも、道理と言うしかない…」

そこでニアタは言葉を区切る。まるで次に続く言葉を躊躇うように顔を伏せたが、それも本当に一瞬だった。彼は何よりわたしの意志を尊重してくれる。知らなければよかったと、そう思うことはきっと二度とない。

「ナマエ、恐らくそなたの身体はルミナシアのマナに馴染めないだろう。今はまだ完全にジルディアの民とはなっていないため辛うじて大丈夫なのだろうが、それもまた時間の問題だ」
「……それ、って…」

自分を取り巻く環境に適応することが出来ない生物はどうなるか。そんなもの考えずともわかっている。限りなくジルディアの民へと近付いた今のわたしは、このままではルミナシアと言う世界で生きていくことが出来ないのだ。
微かに喉が震える。予想はしていたことだが、目の前で頷かれてしまえば恐ろしくもなる。死が近付いて来る。いつかのわたしが恐れたあの痛みと冷たさを伴って、一歩ずつわたしへと近付いて来る。

「封印次元にラザリスを封じることは恐らく不可能だろう。世界樹の衰えもあるが、ラザリス自体がこの世界に初めて現れた時より変化をしているのかもしれん。…世界樹の上空に現れたあの異空間、――エラン・ヴィタールが生命の場を侵食している。二重の意味で時間はないぞ、ディセンダー」

初めてわたしをそう呼んだのは、冷たくも優しい精霊だった。わたしは深く頷く。もうその名を拒絶したりしない。わたしがこの世界で出会った人々を、あの子を救いたいと願う限り、わたしがディセンダーであることを許してほしい。
帰って来たら、…帰って来れたら、きっと彼女にも謝ろう。今はここにいない彼女がくれた冷たいマナと、優しいぬくもりに胸が痛んだ。

「カノンノ、手を」

未だに正座をしていたカノンノは、アンジュさんにそう言われて恐る恐る手を伸ばす。彼女を立ち上がらせて離すかと思いきや、しかしアンジュさんはその手をぎゅっと握りしめたままだった。カノンノもはっとした様子で強くその手を握り返す。重なり合う二人の手から光がこぼれたのは一瞬で、わたしの視界の隅で小さな星が震えた。

「こうして手を繋ぎ合うことでディセンダーの力を得られるって、リタが言っていたの」

アンジュさんはその手を見下ろし、小さく頷いた。そしてわたしの柔らかくもあたたかくもない手を取ると、ぎゅっと、強く強く握りしめた。

「ルミナシアのことは私達に任せて。だからあなたは、ラザリスを救ってあげてちょうだい。それはあなたにしか出来ないことで、…きっと彼女もそれを願ってる」

重なり合う手から微かに光がこぼれる。アンジュさんの手はあたたかく、震えていた。
夜が明けていく。眩しく瞳を貫く朝焼けに頬を照らされながら、彼女は微笑んだ。

「いってらっしゃい、私の…私達のディセンダー」

異世界にやって来て。わたしを見付けてくれたのがカノンノで、わたしに居場所をくれたのはアンジュさんだった。いってらっしゃい。おかえりなさい。まるで家に帰って来たかのように迎えてくれる彼女の笑顔が嬉しくて、悲しくて、それでもやっぱり救いだった。バンエルティア号は確かにわたしの家だった。だからわたしは絶対に、ここへ帰って来る。
握りしめた手にはもう触れた全てのものを傷付けようとする爪はなく。わたしのこの手はずっとずっと冷たいのかもしれないけれど、こうしてぬくもりをくれる人が、ここにはたくさんいるから。
だから、わたしも笑って言った。

「…いってきます、アンジュ」

彼女は一瞬驚いたような顔をして、しかしすぐに頬を綻ばせた。泣きそうなのを何とか堪えようとしていたせいか、それは確かにくしゃりと歪んでいたけれど、大輪の花のように美しく凛とした笑顔だった。


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