それから。カノンノがその力を使ってわたしを元の姿に戻そうとしてくれたけれど、彼女への負担や何よりわたし自身が痛みに耐え切れなかったために、結局は半分も戻らないままに終わった。機械の滑らかな銀色に映り込むわたしはやっぱりまだ人間には程遠く、くしゃりと歪んだその表情すら人形じみているようで気味が悪いと思ってしまう。しかし、何だかわたしにはお似合いな姿にも思えてきた。
地球に生まれた人間で、ルミナシアのディセンダーであり、ジルディアの子でもあるわたしには。

「それでね…あの、ナマエ……」
「…力のことなら、わたし、怒ってないよ?」

だってカノンノはわたしのディセンダーだもの。そう言いながらも照れてしまい、はにかむように眉を下げる。釣られるように微笑みを浮かべてくれたカノンノはしかし、はっとして首を振った。
わたしが寝ていたからだろうが、研究室は窓から注がれる月明かりだけが照らしていた。目が慣れてきたのか今では躊躇うように視線を迷わせるカノンノの表情も窺えるようにはなったが、話をするのならやはり明かりは必要だろう。同じベッドに腰かけていたカノンノを残し、明かりをつけようとして。

「待って!」
「ぐふっ」

背後からわたしの腰へと決まったカノンノのアタックにより阻止された。
しかし悲しいかな。前衛と後衛の差か、はたまたついさっきまで寝ていたせいか。彼女なりのアタックはわたしにとってのタックルに近く、それはもう見事にバランスを崩し研究室の床へと顔面からスライディングした。

「うわあっ、…ご、ごめんなさい!ナマエ、大丈夫!?」
「う、うん…」

一緒に床へと倒れ込んでしまったカノンノに助け起こされながら、逆に驚くほど痛みがなかったことに内心息を呑む。強いて言うなら人間の部分、皮膚がある場所は床と擦れて微かに痛かったがそれも曖昧で、鉱石に覆われた場所には一切痛みなど感じなかった。逆に倒れ込んだ際にぶつけた床の方が心配である。暗いからわかりにくいけれど、もし傷が付いてたらチャットさんに土下座しなければ。

「ナマエ、怪我は…どこか痛いところは…?」
「大丈夫。何かもう全然余裕、全然痛くない。ありがとうラザリス」

ラザリスもこんなことでお礼を言われたくはないだろう。
カノンノは素直に首を傾げ、反対にわたしは俯いた。確かにこの身体なら痛みも感じず生きていけるのだろう。生半可な刃じゃ傷一つ付けられないような身体なら、確かにあの時のわたしの願いは叶えられている。痛くなければ苦しくない。辛くない。悲しくない。
あの子はただ生きたいだけ、わたしの願いを叶えてくれただけ。

「…ナマエ、やっぱりどこか痛い…?」
「ううん、違うの。…逆に全然痛くないなって思ってたところ」

少しだけ顔を歪めたカノンノが差し出した手を、まだ異業の名残のある爪で傷付けないよう注意しながら握りしめた。立ち上がり、服を払って、自然と訪れた沈黙を敢えて何ともなさげに打ち破る。

「それで、カノンノはどうしたの?暗いままじゃ話もしづらいと思うんだけど…」
「それは…そう、だけど。明かりは駄目だよ。ナマエが目を覚ましたって気付かれちゃう」
「……え?」

目を瞬かせたわたしに構わず、カノンノは素早く扉へ駆け寄ったかと思いきやそっと扉から顔を覗かせ注意深く辺りを確認すると、慎重な手つきで物音を立てないよう扉を閉めついでとばかりに鍵までかけた。この間、十秒足らず。プロの犯行だった。
ふう、と安堵のため息をこぼしたカノンノは再びわたしに向き合う。何故かわたしはびくついた。

「…あのね、……その、ナマエから力を移す時の話…なんだけど。前にあの、トランスクリプタって機械でやろうとしたの、覚えてるかな?」
「あー……」

多分きっと恐らくわたしが壊した機械である。今更ながらに本当に申し訳ないことをした、恥ずかしいばかりである。
わたしの煮え切らない返答に気付くこともなく、カノンノは話を続ける。

「研究室のメンバーがあれの二号機を作ろうとしてたんだけど、何だかんだで間に合ってなかったみたいで…。そんな折に、ほら、ナマエが…そんな状態で船に運ばれて来ちゃってさ。もう一刻を争うような状況で、すぐにでも治さないと命に関わるって言われちゃって、私もリタもすごい焦って…それで…」

こくり、カノンノが喉を鳴らす。

「…未完成だったトランスクリプタの二号機を使って、私に力を移したの」
「………はあ?」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だってちょっと、それってかなり危険じゃないか。普通にトランスクリプタを使って力を移すことだって、限りなくリスクを排除したとは言えど、危険なことに変わりはないのだ。それをまさか未完成品でやるなんて。カノンノにそんなことをさせてしまうなんて。
音を立てて血の気が引いていく。顔色を変えたわたしに気付いたのか、カノンノは慌てたように両手を振る。

「けっ、結果としては大丈夫だったんだけどね!身体も、ドクメントも、ちゃんと検査してもらって大丈夫だって診断されたもの。でも…その、アンジュさんの許可も貰わず、ハロルドさんの反対を押しきって二人で勝手に危ない橋を渡っちゃったからって言うか、何て言うか……」

カノンノが言葉を続ける度に違う意味で、更に顔が青くなっていく。すっかり全身から血の気が引いてしまい、踏ん張らないと今にもふらりと倒れてしまいそうだった。
頬を引きつらせながらカノンノを見る。カノンノは静かに頷いた。

「二人揃ってアンジュさんにこっぴどく叱られて、謹慎処分になっちゃった」

語尾に星マークをつけんばかりに投げやりにそう言われた。
もう頭を抱えるしかない。まさか、まさかカノンノが。きっとロックスさんは嘆いていることだろう。
ああ、何かもう色々とどうしよう。





この研究室の外、つまりバンエルティア号では現在進行形で作戦会議が開かれているらしい。
議題とは他でもない。わたしごと世界樹を貫いたジルディアの牙と、上空に出現した異次元――生命の躍動、アンジュさんによってそんな意味を持つエラン・ヴィタールと名付けられたそれについてだ。
わたしを貫いた牙はカノンノが治してくれたらしいが、世界樹には未だ何本もの牙が突き立てられている。このままにしておけばただでさえ疲弊している世界樹がどうなってしまうかは、我がアドリビトムが誇る天才達にもわからないそうだ。
あの牙からラザリスが世界樹を侵食し始めている。恐らくこのまま生命の場を奪うつもりだろう、とはセルシウスの言葉らしい。ジルディアは、ラザリスはエラン・ヴィタールで静かに時が満ちるのを待っている。生命の場を奪い取り、己の世界が生まれる瞬間を、ずっと。

「…って言うのが、ニアタから教えてもらったことの全部」
「そっか…」
「まあ、そのあとすぐに私はアンジュさんから謹慎を言い渡されてナマエの看病をしてなさいって研究室に放り込まれちゃったわけなんだけど」
「…そ、そっか…」

二人揃って遠い目をするしかなかった。つまり、こういうことである。
バンエルティア号は現在進行形でラザリスとの最終決戦に向けての準備を始めている。しかしカノンノはこのタイミングで謹慎処分を受けてしまった。つまりそれはこれからメンバーが選出されるであろう、エラン・ヴィタールへ向かう任務から外されてしまったと言うことと同義である。
そして、わたし。ラングリースで倒れてからカノンノとしか顔を合わせていないためあれだが、顔を真っ青にしたカノンノ曰く、命が惜しければここから出ない方がいい、らしい。ちなみに命が危ないのはわたしだけではなく、わたしを想って黙ってくれていたカノンノを始めとした秘密を知る彼らもだったらしい。さすがのアンジュさんも作戦会議に必要不可欠なセルシウスやニアタ、ハロルドさんにはまだ容赦をしたようだ。が、ユーリさんを始めとした…その、アスベルさんやリオンさんやスパーダさんに関しては、カノンノも口を閉ざした。これ以上聞くまい。

「もちろん筆頭はアンジュさんだけど、みんなすごく怒ってるよ。リタも、ルーティも…イリアも、エステルやナタリアだって…」
「ひいっ」

恐ろしい名前ばかり並べられて思わず悲鳴を上げる。やばい、ここから出たくない。出来ることならもう一度意識を失いたい。いつかはバレると思ってはいたけれど、覚悟はしていたけれど、ちょっと待って。心の準備が全く出来ていない。

「みんなナマエをエラン・ヴィタールに行かせるのは反対みたい。ニアタやセルシウスや…私なんかは行かせるべきだって思ってるけど、でも、あそこに行くとまた侵食が進むかもしれないってハロルドさんが……」
「それってつまり、わたしも半ば今回の任務から外されてる感じ?多分きっと最後なのに?…ディ、ディセンダーなのに?」
「ほら、みんなにとっても私にとっても、ディセンダーである前にナマエはナマエだから」

喜べばいいのか嘆くべきなのかわからない。しかしどこか生温い微笑みを向けてくるカノンノには何も言えず、頬を引きつらせるしかなかった。
カノンノの話が本当ならば。いや、カノンノが嘘を言うことなんてありえないけれど。心配をさせてしまっているようだし、今すぐホールに行くべきだとは思うけれど。でも。

「…あのね、ナマエ」

頭を抱え唸るわたしの隣で、カノンノが俯いたままぽつりと囁く。

「私も、エラン・ヴィタールに行きたい。出来ることならナマエと一緒に、…最後を。ううん、始まりを見届けたいの」

けれど、彼女はそれを許されなかった。それはもちろんわたしが原因で、わたしも出来ることなら彼女と一緒に、ラザリスと立ち向かってほしくて。
だから、きっと、もしかしたら。もしかしたらカノンノはわたしがこう言ってくれるのを待っていたのかもしれない。わたしが思い付いた言葉を、彼女が思い付かないはずがないのだから。
ごくりと喉を鳴らす。少しだけ躊躇って、しかしどこか期待するような目をしたカノンノを見つめたまま、恐る恐る呟いた。

「………行っちゃう?」

わたし達だけで、エラン・ヴィタールに。


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