世界が全て色鮮やかに見えた。
無機質な天井すら七色にきらめくフィルターを透かしているようで、あまりに浮世離れしたその光景に思わず飛び起きる。呆然としながら辺りを見渡した。わたしの視界の中で繰り返し小さな星が瞬くそこは、確かにバンエルティア号の研究室である。乱雑に積まれた書類、放り投げられた文献、沈黙のまま並ぶ機械。全てに星が瞬き、光の花が咲き、色鮮やかに美しかった。

「……夜…?」

わたしが寝かされていたベッドから下りて窓を覗き込む。確かラングリースに到着した時はまだ午前中だったはずだから。
あれから。もう、かなりの時間が経ったのだろう。
研究室は珍しいことに明かりもなく、無人だった。いつもよくわからない研究ばかりを繰り返しているハロルドさんも、ウィルさんの邪魔をしてはげんこつを貰っているノーマさんも、ジェイドさんもリタさんもいない。おかげで状況が一切把握出来ていなかった。
どこからが現実で、何が夢で、わたしは何の幻を見ていたのだろう。とりあえずホールへと一歩を踏み出せば、かん、とまるでヒールが床を叩いたかのような音が鳴った。不思議に思って何となしに見下ろし、息を呑む。

その両足はもう人間のそれではなかった。
まるでお伽話に出てくる硝子の靴を履いているかのように、その爪先から踵まで、片足は太股近くまでも覆う鉱物。その輝きには見覚えがあった。

「…生物変化…」

呟いて、飛び付くように近くにあった機械の滑らかな銀色の肌を覗き込んだ。そこには当たり前のように見慣れたわたしがいる。
わたしがいる、はずだった。

「ナマエ、目が覚めたんだね」

どのくらいそうしていたのだろう。扉の開く音、そしてカノンノの優しい声。わたしは振り返る。機械に映り込んだわたしの形をした何かも一緒に振り返るのを、どこか他人事のように感じながら。
逆光の中、カノンノの表情は微かにしか窺えない。それでも彼女は笑っているように見えた。痛むようにぎこちなく、目尻を赤く染めながら。

「その、覚えてるかな。ラングリースで…ジルディアの牙が、ナマエに……」

ふと、そう言えばと思いお腹を撫でる。しかし牙に貫かれたはずのそこに傷も痛みもなかった。その代わりてのひらに触れたのは、まるでその傷痕を塞ぐかのように覆う冷たい石の感触。それを撫でるてのひらすらもう人間のそれではなく、花が咲き茨が伝い鋭い爪が伸びる、異業の手と化していた。

「だから慌てて船に戻ったんだけど、すごく危険な状態だって。リタもハロルドさんも、アンジュさんもジェイドさんも…みんな必死になって助けようとしたの。でもね、方法は一つしか残ってなかった」

音もなく扉が閉まり、カノンノがわたしにその手を伸ばす。壊れ物に触れるかのように優しく、鋭い爪に躊躇うことなく、その両手でわたしのてのひらを包んだ。
慈しむように、労るように、許すように。柔らかく包み込むその両手の隙間から、わたしの視界の中ではひどく色褪せたものに見えたけれど、仄かに光がこぼれた。
途端にカノンノが包むその手に激痛が走る。呻き声を上げその手を振りほどこうとするが、逆にしっかりと掴まれてしまい外れることはなく。無理に外そうとすればこの爪がカノンノを傷付けてしまうことなど火を見るよりも明らかだった。震える唇を噛み締めて激痛に耐えることしか、わたしには許されていなかった。

「…まさか、それ…っ」

カノンノがゆっくりとわたしの手を離す。まるで奪い返すように胸元に寄せたわたしの手は、ついさっき見たそれではなかった。
ついさっきまで両足と同じく石に覆われていた異業の指先は、爪の先にその名残を残しながらも、元の人間の形を取り戻していた。
暗闇の中で息を呑む。まさか。まさか。そんな予感に体が震え、縋るようにカノンノを見る。しかし、カノンノは悲しげに微笑んだまま小さく頷いた。

「うん、そうだよ。それしかナマエを助ける方法がないって聞いて、私がリタにお願いしてやってもらったの。…ごめんね、ナマエはあんなに嫌がってたのに」

視界の中で星がひとつ燃え尽きる。
本当はわかっていた。理解していた。銀色の壁に映り込んだわたしの形をしたその異業は、紛れもなくわたしであると言うことに。例え髪は白く七色に色褪せ左目は花と咲き首筋を茨が伝い爪先は鋭く冷たい石の皮膚が身体を覆っていようと。
これはわたしなのだ。願いを叶えられてしまった、わたしの末路だったのだ。

「でも信じて。どんな姿だってナマエはナマエだし、この力だけがディセンダーの証じゃない。ナマエは、……ナマエ…?」

かつん、かつん。
絶え間なく落ちる涙を隠す必要だってもうなくて、みっともない嗚咽をこぼしてしゃがみ込む。身体から力が抜けたようだった。ずっと張り詰めていた思考も、伸ばし気味だった背筋も、浅く呼吸する肺も、折れることを許せなかった膝も。
ラザリスのおかげで鼓動を続けるこの心臓も。
全てから力が抜けて、子供のように泣き喚くしかなかった。

「ナマエ、ごめんね…本当にごめん…。でも、私、どうしてもあなたを助けたくて…」

心のどこかではやっぱり、違う生物へと変化していく自分が恐ろしくて。でもそれを打ち明ける勇気もなくて、人間でないわたしを受け入れてくれるかどうかを、きっとずっとずっと疑っていて。
カノンノの柔らかな腕の中で首を振る。わたしは。わたしはきっと、ずっと、ずっと。

「助けてくれて、ありがとう…!」

救われたかった。
自分のせいだから。そんな風に背負い込んで、支えきれずに倒れ伏して。そんなわたし伸ばされる手をずっとずっと待っていた。助けてほしかった。救ってほしかった。
わたしを助けてくれるディセンダーを、ずっとずっと待っていた。
わたしの身体を淡い光が包んでいく。引き替えに全身に走った激痛に唇を噛み、カノンノを見上げた。
カノンノはあの時から変わらず、花開くように鮮やかに微笑んでわたしに手を伸ばしてくれる。彼女こそ最初からわたしだけのディセンダーだった。そう、あのあたたかな手を取った時からずっと、カノンノは。


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