一日も経てば二人はすっかり回復し、船を下りようとする二人を呼び止めた。
振り返り、ディセンダー、と驚いた声色で呼ばれる。まだセルシウス以外にそう呼ばれるのはむず痒くて、やっぱり戸惑いながら頭を下げた。

「あのっ、な、何て言うか…!」
「ディセンダー!?どうなさったんですか、頭を上げてください!」
「ディセンダー!」
「待って、違うんです!そうじゃなくて…」

すう、と大きく息を吸って、吐き出す。

「…ラザリスを、憎まないであげてください」

しん、とホールが沈黙に包まれた。
自分の言葉の無茶苦茶さはわかっていた。もちろんわたしもそうだが、彼らだって生物変化を起こしていたのだ。一歩間違えればこの世界の住民じゃなくなっていた。わかっているけれど、必死に言葉を続ける。

「確かに悪いのは…いや、悪いって言い方じゃなくてもっとこう…、ええと、生物変化の原因はあの子だけど…。でも、生物変化だってあの子だけのせいじゃないって言うか……」

願うことは罪じゃない。わたしはその言葉を信じたい。けれど、もし本当に願いが叶ってしまったのなら、その奇跡の代償は背負わなければならない。リタさんだって言っていたじゃないか。何かを得るのに、それなりのリスクがあるのは当たり前だと。

「わたし、あの子に全ての責任を…罪を押し付けたくないんです。あの子は願いを叶えてくれた。その代償がどんなものであれ、わたしは、救われたと思うから…」

今ここに、わたしはここにいる。生きて、いる。それすら不幸なことだと片付けたくはない。
彼らの顔を見ることは出来なくて、ごくりと喉を鳴らして言葉を待つ。
少しの沈黙のあと、彼らが口にしたのはわたしが予想していたものと違っていた。

「そんな気持ちはありません。それでは、私達は弱さを正当化したまま、何も変われないから」
「あなたとラザリスの間に何があったのかはわかりませんが、私達がこうして変われたきっかけもラザリスです」

顔を上げる。彼らは眉を下げ照れたように、諦めたかのように清々しい顔で微笑んで言った。

「私達も、全てを悪いことだと思いたくない」

どこか呆然としたままのわたしに深く頭を下げ、暁の従者の彼らは船を去って行った。
その背中を見送り、ひとつため息を零す。忙しなく鼓動を打つ胸を押さえ、泣きそうになりながら唇を緩める。
少しだけ。ほんの少しだけ、この胸が救われた気がした。

「人って、変わろうと思えば変われるものねえ」
「ハロルドさん…」
「今、ちょっといいかしら」

いつの間にホールにいたのだろう。珍しく笑みを浮かべていないハロルドさんに戸惑いながらも、こくりと頷いた。
踵を返した彼女に従いホールを出て、招かれたのはハロルドさんの部屋。ぱたん。扉が閉まる。わたしにソファーを勧め、その隣に腰を下ろしたハロルドさんは微かに眉を寄せていた。

「まあ、本当ならこんなお節介はしたくないんだけど」
「お節介?」
「そ、お節介。本当なら私の役目じゃないのよねー、こう言うのって」

億劫そうな表情のまま、ハロルドさんは目の前のテーブルを睨みつけていた。
かちり、かちり。時計の音だけが響く。ハロルドさんは変わらずテーブルを睨みつけたまま、頑なにこちらを見ようともせず、口を開いた。

「少し前、ユーリに聞かれたのよ。封印次元よりも早く、ラザリスをどうにか出来る方法はないか、って」
「ユーリさんが…?」
「私はこう答えたわ。一番手っ取り早い方法は、ラザリス自体をどうにかすることよ、って」

心臓が凍り付いた。
ひゅう、と肺が鳴る。呼吸が出来ない。指が震える。それって、もしかして、ラザリスを。あの子を。

「殺す、ってこと…?」

ハロルドさんはやっぱりわたしを見ようともせずに、努めていつも通りに頷いた。

「そう。もちろん、それに伴うリスクやら生物変化を起こしている人への影響を考えると現実的じゃないけどね。でも、ラザリスがジルディアって世界そのものならラザリス自体をどうにかすればいい。それが一番手っ取り早いわ」
「ま、待って…。もしかして、あの時の……」

ユーリさんが言ってた、穏便じゃない方法、って。
覚えてる。わたしの背筋を震わせた冷たい声を。表情の削り落とされた端正な顔を。言葉に隠された毒を、それを飲み干せる彼の覚悟を。
わたしのせいだってあの時も思った。でも、まさか、ユーリさんがそんなことまで。

「確かにユーリに教えた方法は極端過ぎる。でもね、あの男はあんたのためならそれくらいやってのけるわよ。あんたや周りにどう思われようと、ナマエを助けられるなら」
「…っ何で、」

どうして、わたしなんかのために。そう叫びたくなってきつく唇を噛む。
決まってるじゃないか。仲間だからだ。未だに見えない何かにこだわり線を引くわたしを、仲間だと思っているから。

「自覚しなさい。ユーリのことだけじゃないわ。あんたのことを、自分のことを、それくらい大切に思う人間がいることを」

両膝に立てた爪はそのままに、額を押し付ける。
暁の従者の彼らが言ってくれたじゃないか。一緒にこの世界を守ろう。わたしの独りよがりじゃなくて、一緒に。

「自覚した?」

額を膝に押し付けたまま頷く。泣きたかった。身体の奥から沸き上がる熱を唇を噛み締めて殺し、熱の残った頬を掠める髪に溶かされる。泣きたかった。泣けなかった。自業自得、だ。
ハロルドさんは続ける。

「それじゃあ聞くわね。あんたのあの真っ赤なドクメント、どういうことなの?」

ああ、そうか。お節介の本当の目的は、これだったのか。
ゆっくりと顔を上げる。いつの間にかわたしを見ていたハロルドさんと目が合った。笑いたいのか泣きたいのかよくわからないような表情で、ハロルドさんはやっぱり笑ってみせた。

「そんな顔をするってことは、ちゃんと理解した上で隠してたのね」
「…全部が終わったら、ちゃんと怒られます。ごめんなさい…」

それ以上は、今は言いたくない。
頑なに口を閉ざしたことでそれが伝わったのだろう。手を伸ばしわたしの頭を軽く叩いたハロルドさんは立ち上がり、振り返る。

「待ってなさい」

その顔はいつもの、自信と誇りに満ちた彼女らしい表情を浮かべ。力強い声で言い切った。

「この天才科学者ハロルド・ベルセリオスが、すぐに封印次元を作ってあげるわ!」

お説教はそのあと、アンジュからたっぷりしてもらうのね。
不吉な言葉を残して颯爽と部屋を去って行くハロルドさんを見送り、再び膝に額を押し付ける。
太股を伝った一粒の涙が、からんと音を立てて床に落ちた。


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