火照った体は冷たい風にすぐ冷やされ脱ぎ捨てた上着を即座に羽織り、その上空気の薄くなってきている山頂付近で走り回ったせいか軽く酸欠気味になった。もちろんわたしが、である。
申し訳なさそうなレイヴンさんと焦った様子のアスベルさんに休憩を勧められ、ちびちびと温かい野菜スープを飲みつつ息を整えた。しきりに大丈夫かと聞いてくるアスベルさんに何度も大丈夫だと返しながら、そろそろ行きましょうと口を開こうとしたその時。
ぽつりと、レイヴンさんが言った。

「ところで二人共、ギルドは楽しいかい?」

唐突に問いかけられたわたしとアスベルさんは目を瞬かせた。
正面に座るレイヴンさんは野菜スープを飲み干し、にやにやと締まりのない顔でわたし達を眺めている。残念なことに彼の意図は窺えなかった。
ギルドは楽しいか。その言葉に迷いなく頷こうとして、ふと、止まった。楽しい?もちろんだ、楽しい。優しい仲間と、素敵な世界と、それからそれから。楽しい。楽しいはず、だけど。

「…二人揃って複雑そうな顔するねえ。ナマエちゃんは仕方ないだろうけど、やっぱ青年は騎士団に戻りたい?」

一瞬だけ顔を伏せ、アスベルさんは口を開く。

「俺は…大切なものをこの手で守るために、騎士の道を選んだ。そして、守っている気になっていた」
「うんにゃ、少なくともガルバンゾ国を守ることには貢献してたでしょ。騎士だもね」
「守る一方で、守るために他の命を奪うこともあった。そして、エステルの話を聞いて…俺は何も守れていないことを知った。騎士になっただけでは、駄目だったんだ」

座り込んだ彼の隣に置かれた剣。その柄をきつく握り締めた拳は、震えていた。
そんな彼を眺めるレイヴンさんの瞳はどこか柔らかくて。まるで頑なな彼の姿を通し、若かりし頃の自分を見ているような。そんな錯覚を見たような気がした。

「ま、ユーリもそうやって騎士団を辞めたんだ。騎士団じゃあ、あいつの信念は通せなかったんだろうねえ」
「…どんな人にも守るべきものがある。国という枠を越えて、全ての人は守らなければならない。アドリビトムに来なければ、きっとそれに気付けなかった…」
「ま、今のゴタゴタが終わったら帰りな。アドリビトムで勉強したことを役に立たせるためにも、フレンちゃんと一緒にあの国や騎士団を変えるためにも。エステル嬢ちゃんを連れて、な」

これで話は終わりだとばかりに、レイヴンさんは言葉で締めくくった。アスベルさんは顔を上げない。その手に、剣を握り締めながら。
帰る。ぼんやりと、その言葉が脳裏にこびりついていた。そして徐に、レイヴンさんはわたしに視線を向けた。

「ナマエちゃんは?」
「………ええ、と…」

少しだけ心臓が跳ねる。
楽しいことだけではなかった。でも、全てを苦痛だったと思いたくない。

「まだわからない?」
「…はい」
「ナマエちゃんの場合は事情が複雑過ぎるから、そう簡単に答えも出せないでしょうよ。でもねナマエちゃん、このゴタゴタが終わったらでいい。ちょっと考えてみてごらん」

自然と、素直に頷けた。
それはその声に滲む優しさのおかげかもしれないし、飲み干したスープが体を温めて心まで溶かしてくれたからかもしれない。

「人間、最後に笑えればそれだけで十分なんだ」

レイヴンさんは笑っていた。太陽が雲に隠され、微かに影を帯びながら。





薄くなる空気と冷たい風。雲すら突き抜けたように感じる山頂の一角が、まるで刔られたように陥没していた。
白い吐息を零しながら、その部分を覗き込む。おお、と隣のレイヴンさんが呟いた。ウィルさんから渡されたギベオンの特徴が記されたメモを手にアスベルさんも頷く。石の表面には独特の網目模様があり、ウィルさんから教えてもらった特徴とも合致する塊。これが、ギベオンだ。

「欠片でもいいって話だから、ちょこっと削って持ってきゃいいわね」
「あっ、わたしがやりますよ」
「そんじゃ、袋持っててくれる?」

腰に差していた短刀を取りギベオンに突き立てたレイヴンさんに、慌てて袋を準備する。広げた袋の中に小さな石の欠片がぱらぱらと落ちてきたのを確認してからしっかりと袋の口を閉ざす。それを荷物の中にしまい込んでしまば、依頼完了である。ここまで来るのは大変だったけど依頼自体は非常にあっさりとしたものだった。
ふう、ひとつため息を零した。

「宙からの贈り物、か」

そんなわたしの隣、アスベルさんがそう呟いた。
顔を上げる。アスベルさんは雲一つない青空を見上げていた。

「これは、どこかの世界の一部だったかもしれないんだな。宙を隔てても、世界を越えても、命は支え合っていくのかもしれない」

世界を越えても。ルミナシアの世界樹が、わたしとラザリスを助けてくれたように。

「俺達も…遠い世界に何かをしてあげられるようになれるだろうか」
「そうありたいねえ。生きて、命を繋いで、その先のずっと先の子孫が意志を継いでくれる世界になるように頑張りましょ。俺達がね」

珍しく強い口調でそう言い切ったレイヴンさんだったが、アスベルさんと同じように遠い青空を見上げて眉を寄せた。

「ま、今は目の前の難題をどうにかすることが先だわねえ…」


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