注がれるマナが、一瞬、揺らいだ。

「ディセンダーの力を、他人に転写する?」
「その、大分前に採取したドクメントがあって…っいた…。その時展開したわたしのドクメント、黄色と赤の半分になってて…」
「ふむ。世界樹から与えられたディセンダーとしてのドクメントと、それを使う度に吸収していたジルディアのドクメントだな」

ぴりぴりと痛む指先に眉を寄せニアタの言葉に重く頷く。セルシウスはそんなことが出来るのね、と、純粋に驚いた様子である。

「しかし転写と言ったところで、要は余分なドクメントが混ざる行為だ。最悪の場合は被験者の肉体の形態崩壊か溶解が起きるぞ。その上、ナマエからの転写となると…。いくらなんでもリスクが高すぎる」
「ハロルドさんもそう言ってたけど、やってみなくちゃわからないって。どうしよう…。わたし、生物変化起こしてるのに…」
「彼女らしいな」

ニアタは薄く笑ったようだった。笑いごとじゃないと拗ねたい。
セルシウスがマナを増やしたのか、左の眼窩が鈍く痛む。ぐるりぐるりと回る視界に吐き気が込み上げ、きつく爪を立てていたユーリさんの腕に額を押し付ける。
あと少し、あと少し。体が作り替えられる感覚。吐き気と痛みと不快感と嫌悪感と壮絶な違和感を一瞬堪えれば、すぐにそれから解放された。
握られた手が離れる。はあ、と熱い息を零した。

「お疲れ様。ディセンダー、気分はどう?」
「大丈夫、…じゃ、ない。ユーリさん、すみません…もうちょっとだけ、休ませて…」
「ああ。アスベルが迎えに来るまで休んでろ」
「依頼に行くの?」

セルシウスが涼やかな美貌をひそめ、非難したげな声で問う。
背中を撫で宥めてくれていたユーリさんが、息を整えるわたしの代わりに答えてくれた。

「転写に使う機械に必要な…ギベオン、だったか。そんな名前の鉱石をルバーブ連山へ取りに行くそうだ。おっさんとアスベルがいるから、そう無茶もさせないだろ」
「あなたは一緒に行かないのね」
「俺はその機械に使う、別の材料を取りに行く依頼に指名されちまってな」
「へえ、意外。あなたはどんな依頼にもついて行くものだと思っていたわ」
「…何でだよ」
「何でかしらね」

不思議そうに首を傾げるセルシウスに、ユーリさんはため息を吐いた。

「そんな危険な場所じゃないらしいし、アスベルはともかくおっさんがいるから大丈夫だろ。それに、俺は何としてもハロルドにその機械を完成させてもらいてえんだ」
「何で…」
「そうしたら、お前の生物変化がこれ以上進むこともなくなるだろ」

その言葉に、気が付いたら声を上げていた。

「っでも、もしかしたらドクメントを転写した人にまで生物変化が移っちゃうかもしれないじゃないですか…!そうしたら、わたし、どうすれば…!」
「その時はその時だろ。どうせお前の生物変化もどうにかしなきゃならねえんだから、やることに変わりはないんだ」

わたしに反論する余地を与えない。そんな、力強い意志の言葉だった。
不安や焦燥に荒れる胸は言葉が溢れるも、それがこの唇から音になることはなく。展望室にはユーリさんが撫でるようにわたしの頭を叩く音だけが響いた。

「例えそうなったとしても、誰もお前を恨んだりしねえよ。むしろ怒られる方を覚悟しとけ。自業自得だからな、誰も助けねえぞ」

茶化すような言葉にごまかされたわけではないが、やっぱり言葉が出てこない悔しさに唇を噛むしかなかった。
息が落ちついてくる。胸を押さえ深呼吸をして息を整えれば、ニアタがしかと頷いた。

「ギベオンを回路として使えば、恐らく限りなく純粋なディセンダーの力のドクメントだけを被験者のドクメントに繋ぐことが出来るだろう。その状態で転写出来れば幾分かリスクも下がるな。無茶な行為であることに変わりはないが」
「そう思うなら、ニアタが止めてくれればいいのに…」

拗ねたままそう呟けば、徐に展望室の扉が開く。わたしを迎えに来てくれたのだろうアスベルさんは、目を瞬かせた。

「ナマエ…ユーリも、ここにいたのか」
「ああ、まあ、付き添いでな」
「…そう、か」

どこか歯切れの悪く頷いたアスベルさんはわたしに手を差し出す。

「いつもなら少し先すら見通せない濃い霧がかかっているが、今日は偶然にも山頂にかかる霧は薄いそうだ。アンジュからすぐにでも出発するように言われたんだが、大丈夫か?」
「大丈夫です。準備自体は終わってましたし、もう落ちつきましたから」
「それならよかった。…でも、無理はしないでくれよ。俺かレイヴンの目の届く所にいてくれ」
「まるで子供みたいな扱いですね」

苦笑しながらユーリさんに頭を下げ立ち上がる。もう指先にも左目にも痛みはないし、視界のぐらつきもない。依頼も大丈夫だろうと壁に立てかけていた杖を取れば、アスベルさんが何か言いたげな複雑そうな顔をしてわたしを見ていた。
首を傾げる。

「どうかしましたか?」
「…いっ、いや、何でもない。レイヴンは甲板で待ってる。行こう」
「はい。…それじゃあ、行ってきます」

セルシウスが淡く涼やかに微笑み、行ってらっしゃいと手を振ってくれた。





確かに聞いた通り、ルバーブ連山の山頂にいつもかかっている霧が今日は薄いようだ。
山頂へ続く道に足を踏み入れたのは初めてだ。ほう、と吐いた息は微かに白い。アンジュさんに言われた通り上着を持って来ていてよかった。かじかむ手で上着を羽織り、身を震わせる。

「寒いですねえ…」
「そうねえ。おっさん暑いところは平気だけど、こういうさむーいところは勘弁願いたいわ…」
「山頂はもっと寒いぞ。ナマエはともかく、レイヴンはちゃんと防寒して戦ってくれよ」
「はいはーい。本当、真面目な青年ねえ…。さすがはフレンちゃんの部下だわー…」

ぶるぶると身を震わせるレイヴンさんはそう文句を言いつつも大人しく上着を羽織った。ちなみにアブソール周辺を飛行中の船の中では比較的暖かい機関室でがたがたと身を震わせ縮こまる彼の姿も見ることが出来るほど、レイヴンさんは寒さが苦手らしい。
対するアスベルさんは白い頬を微かに赤く染めつつも、先頭を切って魔物と戦っているせいかあまり寒そうな様子は見せない。体が冷えた時は大変そうだと、ロックスさんに持たされた野菜スープの入った水筒を大事に抱えた。

「それにしても、隕石ねえ…。このお天道様の向こうにゃ、ナマエちゃんの生まれた世界のように世界樹から生まれた色んな世界があるんだろうねえ…」
「ああ、宙と言うのは本当に拾い。どこまで俺達は繋がっているんだろう…」

わたし達が回収に来たギベオンと言う鉱石は、このルミナシアのものではない。時折この世界に降り落ちる隕石に含まれた、異世界の鉱石なのだ。そのため本来ならそう簡単に手に入るものではないが、タイミングがいいことについ最近、ここルバーブ連山の頂上に隕石が落ちたそうだ。わたし達はこれからルバーブ連山の頂上まで登り、隕石からギベオンを回収しに行く。
物思いに耽るレイヴンさんに釣られるようにぽつりと呟いたアスベルさんは、ふと、山頂を見上げていた顔を緩めた。

「しかし、奇妙なものだ。かつてはエステリーゼ様…いや、エステルを連れ戻すためにあなたを追っていたのに」
「今やこうして共に旅する仲間、ってか。数奇なもんだねえ」
「ああ、そう言えば…そんなこともありましたね」

思わずわたしも顔を緩めた。そうだ、初めて会った時のアスベルさんはエステルさんを追って来た騎士さんで。ソフィさんを連れた彼を船まで案内して、ユーリさんとばったり遭遇してしまって、今ではこうして一緒に依頼に行く仲間で。
そんなに昔のことではないはずなのに。何だか不思議と、懐かしかった。
いつの間にか山頂を見上げていたはずのアスベルさんは、躊躇うように隣のレイヴンさんを見ていた。それに気付いたレイヴンさんが微かに首を傾げ、アスベルさんはやっぱり躊躇いつつ口を開く。

「…一つ、聞いてもいいか?」
「ん?何よ青年、改まっちゃって」
「俺がバンエルティア号から下りて来たレイヴンとナマエを遠くから見張っていた、あの時。…レイヴンは俺に気付いていたんじゃないか?」
「え?」

思わず驚きレイヴンさんを振り返る。
買い出しのために下りた港。自分もちょうど依頼があるんだと、市場まで付き合ってくれたレイヴンさん。そうだ。別れ際の彼はふと、どこか遠くを見ていた。もしかして、あれが。
二人分の視線に晒されたレイヴンさんは目を瞬かせ、ふと、吹き出すように笑い声を上げた。

「なーに言い出すかと思えば、そんなわけないじゃないの!むしろ俺様あの後ユーリに怒られちゃったのよねえ。お前のせいで騎士が来ちまっただろ、って」
「だが、俺は一瞬レイヴンと目が合った気が…」
「つってもありゃ嫉妬も含まれてたな。おたくったら最初からナマエちゃんといい雰囲気だったらしいし?」
「ええっ!?」
「なっ、」
「エステル嬢ちゃんもリタっちもやきもきしてたわねえ。おたくとソフィちゃんにナマエちゃんが取られちゃうって」
「レイヴンさん!!」
「レイヴン!!!」

笑いながらひょこひょこと逃げ回るレイヴンさんを追いかけながら山頂へ続く道に足を踏み入れる。
いい感じに話を逸らされたと気付いたのは山頂近辺、三人揃って走り回り過ぎたせいで暑いと叫びつつ上着を脱ぎ捨てた後だった。


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