カノンノがボルテックスで目にしたのは、今まで存在していた数多の世界だったそうだ。
ルミナシアの種子を生んだ世界樹、またその世界樹の種子を生んだ世界樹。世界樹を経由し繋がり受け継がれていた数多の世界、そして、全ての根源たる世界樹。彼女のドクメントの中には、過去全ての記憶が存在していたのだ。

「世界樹がね、おやすみって言ってたの。今は無理だけど一緒にいきられるように変わってみせるから、それまでおやすみって…星晶の揺り篭を作ったのよ」

夢を見るように囁く、彼女の言葉に目を細める。食堂のさざめきや笑い声もどこか遠く、わたしもあの優しい枝葉を思い出した。
穏やかな気分のまま静かに昼食を続ける。しかしふと、堪えきれなかったのかカノンノがわたしに耳打ちした。

「…ねえ、ナマエ」
「うん?」
「ユーリさんとアスベルさん、どうかしたの?」
「………う、うん…」

隣同士に座るわたし達の目の前。飄々とパンを口に放り込むユーリさんを不服そうに睨みつけるアスベルさんが、何だか妙に不穏な空気を醸し出していた。
おろおろと二人を見比べるカノンノに胃が痛む。原因が自分だとわかっているから、尚更だ。
マナに溢れたラングリースに行くことは、本当はユーリさんにだって秘密にすることだった。急な依頼だったので知られずに済むんじゃないかと願っていたがユーリさんに見付かり。けれど何故かわたしの意志を尊重して依頼に同行してくれたユーリさんには首を傾げるしかなかったが、まあ、問題はラングリースから帰って来てからである。
リオンさんにはお前はもう船から出るなと怒鳴られ、スパーダさんにはお前マゾだろと失礼なことを真顔で言われ、アスベルさんは。アスベルさんは、悔しそうな顔でわたしから目を逸らした。

「ナマエが自分で行くって決めたことだろ。本人の覚悟もあった、だから俺はその手伝いをしただけだ」
「だからって、わざわざ痛い想いをさせなくてもいいだろ。せめて何か…もう少し、」
「そもそも何でそれを俺に言うんだよ。目の前に本人がいるだろ、本人が」
「ナマエに何を言っても無駄だって、それくらいは俺でもわかってる」

ばっさりである。
呆れたようなユーリさんの目が向けられた。そっと視線を逸らし、拗ねたような幼い表情のアスベルさんを見る。するとふと、ユーリさんを睨んでいたはずのアスベルさんと目が合う。
一瞬の沈黙のあと、アスベルさんは小さくため息を零した。

「…悪い」
「え、」
「何を言っても無駄なんて、最初から諦めてるようなこと言って。ナマエに失礼だよな」
「そんなこと…わたしが何度も無茶するせいでしょう。だからわたしのこと、諦められても仕方ないです」
「おっ、俺は諦めてなんか…!」

急に声を上げたアスベルさんは、目を瞬かせ首を傾げたわたしと目が合うとはっと我に返ったかのように赤い顔で俯いた。
そんな彼の隣で、胡乱げな瞳をしたユーリさんが無言でスープを啜る。
何だか妙な沈黙だった。

「ナマエは花が似合うね」

隣のカノンノが、不意にそんなことを呟いた。
アスベルさんも顔を上げ、ユーリさんもわたしと揃って首を傾げている。はにかむように笑いながら、カノンノがわたしの左頬を、撫でた。

「赤よりも、白とかピンクとか黄色とか…そう言う柔らかい色の花。うん、きっと似合う」
「カ、カノンノ?どうかしたの?」
「ねえ、このあとは依頼受けてなかったよね。ここの近くに可愛い雑貨屋さんがあるんだよ。一緒に行こう?」
「そ、それはいいんだけど…?」

いきなりどうしたんだろう。優しく頬を撫でるその手を甘受しながら、苦笑を浮かべるアスベルさんに同じく苦笑を返そうとして。
細められた緑色の瞳が濡れていることに気付いた。

「そうだな、」

不意に、ユーリさんがスープ皿を置いて手を伸ばす。反射的に身を竦めたわたしをからかうでもなく、その手は食堂の机の上に活けられた花を摘み取った。
柔らかい黄色の、小さな花弁が愛らしい花。身を乗り出し、それをわたしの髪に差す。か細く薄い花弁が頬を掠めた。
ユーリさんは頬杖をつき、いつもの皮肉げな笑みのまま呟く。

「まあ、赤よりは似合うんじゃねえの」

それは何だか彼らしくないような。いや、初めて見るような、おだやかな彼の姿だった。
戸惑いながら髪を飾る花に触れて。

「…ユーリさん、この花濡れてる」
「花瓶にさしてたやつだからな」
「ナマエ、こっちの白い花も似合うと思うよ!」
「カノンノ、せめて拭いてからにしてやってくれ…」

ちなみにそれから。食事中に花で遊ばない!とロックスさんに叱られるわたしの髪には、黄色と白とピンクの花が飾られていた。





「しいな、ナマエ、ちょうどよかった。ツリガネトンボ草のドクメントが組み上がったそうよ」

ご機嫌なアンジュさんに手招きされたホールでそれを聞き、わたしとしいなさんは歓声を上げる。

「本当かい!?」
「もちろん!」
「よかった…!みんなで集めたかいがありましたね!」
「ああ!まさか、実現出来るなんてねえ!」

手を取り合い喜ぶわたし達の横で、どこか難しい顔をしたハロルドさんがため息を零す。

「喜んでもいられないわよ。ジルディアの牙の増殖で思った以上に世界の侵食が速くなっているらしいし」
「その上、ウズマキフスベも見つかってない」
「…あ、そっか…」

塩水晶、ツリガネトンボ草、ウズマキフスベ。封印次元に必要なのはその三つ。
既に手に入れている塩水晶と、とうの昔に絶滅しているものの進化種を集め何とかドクメントを組み上げたツリガネトンボ草。そして、未だ何の手掛かりもないウズマキフスベ。
深い、深いため息を吐いたウィルさんが苦しげに言葉を続ける。

「各地では大地を奪い合うために、また争いが見られるようになっている。各地の一致団結も、侵食の恐怖を前に脆くも崩れているんだ」

いつか、嬉しそうに頬を染めてわたしに聞かせてくれたナタリアさんの言葉を思い出す。
手を取り合える。話が出来る。それを知れるだけでも進歩だと、アンジュさんもそう言った。けれどそれがこんなにも簡単に、脆くも崩れてしまうだなんて。
彼女を苛む胸の痛みを想像するだけで己の無力さを思い知らされた。ラザリスと言う存在があってもなくても、人間は変わらないのだろうか。わたしに出来ることは、何もないのだろうか。

「あの侵食の原因となってる牙は、ディセンダーの力であっても消せない…。でも、侵食自体はディセンダーの力で消すことが出来る…」

アンジュさんがぽつりと呟いた。
顔を上げたわたしと目が合えば、彼女ははっと首を横に振った。

「ナマエにだけ無理をさせたくないわ…。ディセンダーの力が、私達にもあれば…」
「そうだねえ…。時間稼ぎには、なるかもしれないよね」
「アンジュさん、しいなさん…?」

ざわり。微かに胸が騒いだ。
それを敢えて気付かないふりをして、首を傾げるしいなさんの言葉に胸を押さえる。

「ええと…思うんだけど、情報の転写って出来るんだろ?ツリガネトンボ草の進化種を集めてた時みたいに、ナマエからディセンダーの情報だけを抜き出して、その力が解明出来たとしたら。そしたら、みんながその力を使えるようになるんじゃないか?」
「それは無茶な話だ。そもそもディセンダーの力の解析は…確か、リタがしていたな」
「そうね。今、ナマエから採取したドクメントの解析はリタが続けているわ。あの子、最近一睡もしていないみたいよ」
「リタさんが…?」
「ああ。…何か、切羽詰まっているようだ」

リタさんが。リタさんが、わたしのドクメントを調べている。忘れていたわけじゃないけれど、焦燥に唇を噛み締めた。
ユーリさん達に知られたのは不可抗力だし、本当はカノンノにだって言いたくはなかった。心配をかけたくなかったのもあるが、行動が制限されてしまうのが恐ろしい。わたしが無茶を続けているせいで彼女も含めアンジュさんなどは過敏になっているし、もしこのことがカノンノ達以外に知られてしまったら。彼女がもしも、この力の仕組みに気付いてしまったら。彼女なら、そこに辿り着いてしまうのではないだろうか。
そして何より、この不安定な体から抜き取った情報が誰かに与えられて、その誰かが生物変化を起こしてしまったら。そんな想像、したくもない。

「ふむ〜…。やってみる価値はあるけど、危険な賭けでもあるわよ。情報の転写…か。ちょっと考えてみるわね」
「で、でも、ハロルドさん…」
「このままウズマキフスベが見つかるまで手をこまねいていても仕方ないしね。危険は承知でやってみるしかないわよ。大丈夫、あんたにはちょーっと協力してもらうだけだから」

ハロルドさんは意気揚々とウィルさんを連れて研究室に飛び込んだ。
焦燥感に眉を寄せ、胸騒ぎに唇を噛む。待って、どうしよう。どうすれば、いいのだろう。


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