ヴァンさんの放った炎の魔術が、消し炭一つ残らず魔物を焼き払った。
わたしを守ってくれていたカノンノと二人、その大きな背中に呆ける。ユーリさんがつまらなさそうに鼻を鳴らして剣を鞘に納めた。
ヴァンさんがわたし達を振り返る。彼の向こうで、輝く粒子が舞った。

「さあ、カノンノ。始めるがいい」
「あっ、はい!ニアタ、どうすればいいの?」
「我々とあの中…、ボルテックスの中に入るのだよ、カノンノ」

ヴァンさんとユーリさんがこちらへ戻って来る。彼らが背にする場所を、ニアタは指差した。
きらきらと輝く粒子。いつかセルシウスに見たそれが、地中からまるで噴水のように噴き出していた。あれが、ボルテックス。

「あの中で我々が、意識のドクメントへ飛び込むのを手伝おう」
「では、我らはこの場の警護を司ろう。いいか、今生きるこの時を手放すな」
「待ってるからな。さっさと帰って来いよ」
「…はい!」

力強く頷いたカノンノが振り返る。その手を取って、ぬくもりがじんわりと肌に滲むのを感じながら縋り付いた。

「いってらっしゃい」
「…いってきます」

手が離れる。カノンノはニアタに導かれ、ボルテックスに近付いて行く。
足を踏み入れる直前。一度だけこちらを振り返ったカノンノが、マナに頬を照らしながら口を動かす。
やくそく。彼女はそう笑って、わたしの手が届かない場所へ行ってしまった。





ユーリさんはわたしをボルテックスから離したがっていたけれど、それを拒んでそこにいた。
今までの比ではないほどの痛みに気が狂いそうになる。俯き、口を押さえて立っているのがやっとなほど。焼けた針で眼球を刔り刺されるような、痛みと言うより熱。セルシウスからマナを貰った時でさえこんなことはなかったのに。
限界は唐突に訪れる。がくがくと震えていた膝が崩れ、わたしはその場に蹲った。

「どうした、ナマエ。マナに酔ったか?」

遠くでヴァンさんがわたしを呼んでいる。
指の隙間から熱い息が零れそうになり、吐き気と痛みと熱と涙を堪えてきつく目をつむる。痺れるように左目が軋んだ。

「ったく、言わんこっちゃねえな。少しボルテックスから離すぞ」
「ああ、それがいい」
「だっ、だいじょうぶ、…です」

ぐらりと、頭が揺れる。突然の浮遊感に吐き気を刺激され、口を押さえる手の甲に爪を立てて何とかそれ飲み下す。
薄く目を開けば、微かに赤の混じった視界にわたしの膝が映る。一際大きく感じた浮遊感に耐えれば、黒髪が頬に触れる。わたしの肩に回された腕が、頭を預けるように自分へと引き寄せる。額に触れた人肌に泣きそうだった。
この人に背負われて帰ったあの日を唐突に思い出す。あの時は彼の背中を濡らしてしまったけれど、今回は胸を濡らさずに済みそうだ。濡らす涙も流せやしない。

「私がここで二人を待とう。ユーリはナマエを休ませてやってくれ」
「そんな…」

ヴァンさんは軽く目を細め、その固い指先でわたしの目尻を撫でる。ざらり、と涙の粒子が擦れる音に心臓が止まりかけた。

「…私は、お前が隠そうとしているものを無理に暴こうとは思わない。人には誰しも、知られたくないことの一つや二つはあるだろう」

声が、今まで聞いたことのないくらい優しかったような気がした。
ともすれば勘違いだったかのようにヴァンさんは眉を寄せる。

「ただ、もう少し信頼してくれてもいいとは思うがな」

ざわり。ざわり。頭の中で枝葉が揺れる。
痛みも吐き気も忘れて頭を抱えた。踵を返そうとしていたユーリさんは様子の変わったわたしに気付き呼びかける。その声がどんどん、木々のざわめきに遠退いていった。
閉じた視界の赤が若葉の黄緑に散らされていく。ざわり。枝葉を伸ばし生い茂っていく木がわたしを包む。ざわり。瑞々しい緑の匂いが鼻腔を通り抜ける。ざわり。ざわ、ざわり。

「まって、きこえない…。なに、いってるの…?」

ユーリさんの声はもう聞こえない。いつの間にか彼の腕を離れ、生い茂る枝に深く抱かれていた。
大きな木だった。わたしの身を優しく包み込むような、あたたかく抱きしめてくれるような。恐る恐る、痛みのなくなった目を開いた。
一面の暗闇。そして、ざわめきに紛れて聞こえる微かな声。幕が開くように枝葉が分かれている。開かれた視界には、星空が飛び込んできた。

「な、なに、これ…」

ざわざわ。鼓膜にざわめきがこびりついている。星空は絶えず星が流れていた。その、向こう。

「カノンノ…!」

彼女がそこにいた。もう一度呼びかけようとして、唐突に気付いた。
カノンノじゃない。カノンノだけど、わたしの知るカノンノじゃない。花のような髪、白い肌。黄色のワンピースを着て、花の形のカチューシャをした、わたしの知らないカノンノ。
彼女がゆっくりと振り返る。その緑色の瞳がわたしを映す直前、まるで夢のように一瞬でその姿はかき消えた。
呆然と辺りを見渡す。カノンノの姿はどこにもなく、ただ星空の中にわたしはいる。ざわざわ。ざわざわ。頭の中のさざめきは止まない。
瞬きをすれば目に映る光景は変わっていく。その光景の中には見覚えのあるものもあったが、どこか違うような気がした。星空に漂い、色々な光景をただ見続ける。
遠くで、赤い流星が煌めいた。

「…ラザリスと、わたし…?」

一面の星空が、一瞬で光の海に変わる。覚えている。あれはわたしとラザリスが初めて出会った時だ。
懐かしい制服を着て眠るように目を閉ざし、光の海を漂うわたしに赤い流星が降り落ちて来る。それに気付いたわたしがゆっくりと目を開けた。流星は嬉しそうに瞬きながら頬に擦り寄ってくる。周りを巡る小さな流星が可愛らしくて、思わず微笑みが零れる。覚えている。繰り返し瞬いた流星は、音を立てて弾けた。
降り注ぐ小さな光の粒を見上げるわたしから目を逸らす。これからわたしを襲う悪夢を知っていたからだ。光の粒。赤い、赤い光の粒がわたしに入り込んでくる。光の海は一気に鮮烈な赤に染まっていく。あの、赤い煙のように。
呼吸も出来ず悪夢のような痛みに襲われるわたしは、声にならない声で誰かを呼んだ。助けてと、死んでしまうと。もう、死にかけた身でありながら。
その時だった。赤い光の海を、何かが切り裂いたのは。これはわたし自身も知らない。驚きに目を見開いたわたしごと、それは赤い光の海から守るかのようにわたしを包み込む。
ざわりと、力強い枝葉が揺れた。

「…世界樹……」

何故その枝を、葉を、緑を世界樹だと思ったのかはわからない。それでもわたしは確信していた。
枝葉のあたたかな腕に抱かれたわたしはぐったりと眠りについている。そんなわたしの周りに、見覚えのある輪が浮かび上がった。半分以上を赤色に侵食された、白いドクメント。変化していく指先。生物変化だと、息を呑んだ。
世界樹はより強く眠るわたしを抱きしめる。そして、囁いた。
死なないで、と。

黄色の光が溢れる。それはわたしのドクメントに吸収され、わたしのドクメントは瞬く間に黄色に染まっていく。
思わずその場に蹲った。涙が零れ落ちていく。それが石屑であろうがなかろうがどうだってよかった。
世界樹は、わたしを助けようとしてくれたのだ。ラザリスは偶然声を聞いたわたしを連れて来て、願いを叶えようとした。自分の世界のディセンダーに生み直す、という形で。
けれど、わたしは彼女の世界の理と全く異なった生物だった。急な生物変化に正しくあの時のわたしは命を落としかけていたのだ。外ならぬ、願いを叶えてくれようとしたラザリスの手で。

「何で、世界樹…どうして…!」

だから世界樹はわたしにこの力を与えたのだ。
生物変化を押さえるにはこの、ディセンダーの力しかない。ルミナシアの世界樹は、地球の民であるわたしと、ジルディアを守ろうとしてくれていたのだ。

「わ、わたし、知らなくて…。だからずっと、あんな…。ごめんなさい、ごめんなさい…!」

子供のように泣きじゃくり許しを乞うわたしの背中を、何かが優しく撫でていく。
鼓膜の奥、頭の中。ざわりざわりと、優しいさざめきと一緒に響いた。

どうか、その心の思うまま。


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