聖地と呼ばれるそこは、少しジルディアの風景と似ていた。けれど艶やかな石の表面を反射する光は眩く、七色の輝きは力強いものだった。
思う。ラザリスの世界も、わたしの願いが叶ってしまったあの世界も、こんな風に命に溢れていたのなら。

「マナが強くてくらくらするね。ねえ、ナマエは大丈夫?」

カノンノの声にはっと顔を上げる。遠くに飛んでいた意識が戻って来た瞬間、身体に突き刺さる小さな痛みに眉を寄せて唇を噛んだ。

「ナマエ、どうしたの?顔色悪いよ?」
「な、何でもないよ。その、ちょっと考え事してて…」

心配そうに顔を覗き込むカノンノに苦笑を返す。嘘は言ってない。
ラングリースに足を踏み入れてからと言うもの、常に肌を針に刺されるような痛みに晒されているのだ。左目は特に、瞼を通り越し眼球を刺されているような強烈な痛み。まだボルテックスに辿り着いてもいないのに、あまりの痛みに吐き気さえ迫り上げて来た。

「本当に大丈夫?何だかすごく辛そう…」
「大丈夫だよ。…ラザリスのことを考えていたから、じゃないかな」

これだって嘘じゃない。血色の悪い顔を見られるのが嫌で無理やり振った話だが、カノンノは痛ましげに目尻を下げた。
それに安堵したような、居心地が悪いような不思議な気分のまま呟く。

「…悪い子じゃないの」
「…うん。ラザリスも自分の世界を生んで、平和な世界を望んでる。自分の世界の命を、…ナマエも、本当に大事に思ってる。ただ、ジルディアが生命の場を持っていなかっただけで…」

たったそれだけで、世界はあんなにも違うのだ。それとも、歪めてしまったのはわたしのせいだろうか。
カノンノがわたしの手を取る。俯かせていた顔を上げれば、彼女は優しく微笑んでいた。

「でも、ラザリスは生まれてしまった。生まれたら、生きていたいのは自然なことだもん。悪いことなんかじゃないよ」

痛み左目から涙が落ちそうになり、慌てて押さえた。代わりに鼻をすすればカノンノはくすくすと笑う。
ラザリス。この世界は醜いばかりじゃないよ。こんなにも優しさに溢れているよ。

「どうして、話も出来ないのかな…」
「…うん」
「理が違うだけなのに…」

それならわたしだって、地球だって、理の異なった世界なのに。理の違う世界の人間が、こうして手を繋ぎ合えるのに。
石のように冷たいこの手を温めるぬくもりを、あの子は知らないのだ。

「相容れぬものか」

いつの間にか、先を歩いていたヴァンさんが足を止めていた。その先を行くユーリさんは静かに首を回して辺りを見渡している。警戒してくれているのだろう。そう思うと申し訳なかった。
彼の隣にいるニアタは、ただ黙ってこちらを見ている。視線の先がわたしなのか、それともカノンノなのかはわからないけれど。

「だが、どちらの世界が生きることになるのか、迷っている暇などあるまい。迷えば、私達の世界は救えない」
「…はい」

ヴァンさんの、心の芯を正すような低い声。

「ディセンダーとは、世界の危機を救うために現れると予言されていた。だが、実際に現れたのは異世界人のお前だ。お前は予言などに縛られず、お前自身の望む未来を生み出すがいい」
「わたしの、未来…」
「ナマエ。これからどうするのかを決めておけ。未来について、明確な展望を持つのだ」

ヴァンさんの大きなてのひらが頭に乗る。見上げれば、ヴァンさんは微かに目尻を和らげていた。
左目の痛みを忘れるほど、泣きそうなまでに心が温かい。この優しいぬくもりをあの子にも分けてあげたかった。

「未来はそなた自身が生み出せる。よく覚えておくなさい」

それが、わたしの望んだ未来だった。





するりと離れた指先に、気付かなかった。
さすがにヴァンさんとユーリさん、それにカノンノもいるからか、魔物との戦闘でわたしが魔術を使う必要もなかった。役に立てず情けないと思う反面、それが救いでもあった。
ボルテックスに近付くにつれ、マナが濃くなっているのだ。迫り上げる吐き気に唇を噛むくらいしか出来ない。気を抜けば足すら止まりそうで、必死に前を向いていた。
だから、気付かなかった。

「…カノンノ?」

顔を上げる。繋いでいたはずの手が離れていたことにようやく気付いた。慌てて振り返り、息を呑む。
カノンノはそこにいた。いや、身体だけそこに在ると言うべきだろうか。瞳は虚ろに瞬きもせず、ただこちらに向けられているだけ。彼女はそこに在る。けれど、彼女はそこにいない。
ボルテックスとはマナの渦巻く場所。そこに近付けば近付くほど、自分の意識は広がっていく。拡大した意識が肉体の容量を超えた時、精神が身体から分離する。

「カノンノ!しっかりして、カノンノ!」

乱暴に肩を揺らすが、カノンノの瞳は虚ろにわたしを映すだけ。泣きそうになりながら、何度も何度も名前を呼んだ。
ヴァンさんが歩み寄って来る。わたしの両肩に手を置き、静かにカノンノから引き剥がされる。ふらりと意識が揺れ、そのまま後ろにいたユーリさんに受け止められた。
ヴァンさんの後ろで、ニアタがカノンノを見ている。その機械の体では表情は窺えないが、何を思っているのだろう。

「カノンノ、返事をしろ」

ヴァンさんが静かに、力強く名前を呼ぶ。
カノンノの瞼が震えた。睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が閉じる。次に目を開いた時には、その瞳には光が戻っていた。

「…ナマエ…?」
「カノンノ…!」
「元に、戻れた…」

よかった、と安堵の息を吐くカノンノに勢いよく飛び付く。慌ててわたしを受け止めてくれたカノンノは、頭を撫でながらごめんね、と囁いた。声は聞こえてたよ。ちゃんと見えてたよ。心配かけてごめんね。
鼻をすすり、カノンノから離れる。ヴァンさんがわたしとカノンノの頭を撫で、頷いた。

「頭より気を取り込んで、腹に溜め、そのまま足より流せ。心身と自然を一つにする、武術の基本だ」
「はい…」

カノンノが目を閉じる。
安堵の息を零せば、途端に忘れかけていた痛みがわたしの身体を襲った。思わず噛み忘れた唇から漏れそうになった呻き声を口を押さえて堪える。
たたらを踏むように俯き一歩下がったわたしの前に、影が落ちた。口を押さえたまま顔を上げる。ユーリさんはわたしを背に隠し、顔を向けずに囁いた。

「お前が行くって決めたんだろ」
「……はい」
「だったら我慢しろ。せめて、カノンノには隠し通してやれ」

喉まで込み上げた悲鳴を何とか飲み下す。痛い。痛い、けれど、我慢しなければ。カノンノを、せめて彼女を悲しませないように。
わたしを隠してくれる背中が、あまりにも突き放すように優しかったからだろうか。縋り付くようにその裾を掴む。はあ、と泣きそうなくらい熱い息を零した。

「自己犠牲だろうが献身だろうが、…優しさだろうが、される身にとっては同じことだけどな」

俯かせていた顔を緩く上げ、ユーリさんの横顔を窺う。
彼の表情はわからない。長い黒髪に隠され、何も見えなかった。

「人は地に足をつけて、世界と共に生きるものだ。だが、ほとんどの者は目に見える部分ばかりに気を取られてそれを忘れている。そうして、自らを自らの意志で世界から切り離して生きている」

ヴァンさんの声が遠くから聞こえている。

「人で世界は溢れているが、皆孤独なのだ。世界との繋がりを忘れてしまっている。お互い全く意識せずにそれぞれの人生を生きていると思い込んでいる。そこから、心の飢餓が始まる。争いや略奪…他にも様々なことが起こりうる」

聞いておかなければならない気がした。裾を掴んでいた手をそっと外す。ユーリさんは何も言わなかった。

「覚えておくのだ。どういう事態においても、原因を知るということは再び危機が訪れた時、それを回避するための手立てにはなる。だが、大事なのは原因を追うばかりになり過去に留まらぬこと」

耳をすり抜け、心にするりと落ちる。カノンノの中にある過去。カノンノがこれから知る過去。

「今は、変化を起こす行動を選択することだ。心を今から離してはならない。今からお前がするように、過去を知りに行くなら尚更だ」

耳を押さえる。木々のざわめきが、聞こえた気がした。


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