「時空が騒いだと思ったら、こんなものがあったなんてね…」

立ち並ぶ柱は、まるで彼女を迎えるようだった。
少女は眉を寄せ、不機嫌そうな表情で無残な姿となったニアタさんを睨み付けた。
しかしすぐにその表情を消し、生気のない赤い瞳でわたし達を見た。

「そう、僕は生まれるはずだった世界ジルディアにして、その一部…。だけど、僕の種子は芽吹かなかった」

ふと、ラザリスが睫毛を伏せ、瞳が陰った。

「僕はね、あのまま朽ちるはずだったんだ。でも君達の世界樹は僕を取り込み、星晶で封じたんだよ。ねえ、何のために封じたんだい?生まれることも出来ず、価値のない僕を、何故わざわざ封印したんだ」

その答えは、誰も知らない。それこそ、世界樹でないとわからない。
静まり返った空間の中、ラザリスの陰った赤い瞳が不穏に輝いた。

「ふん、だんまりかい。知ったことではないってんだね」

ぎろり、と刃のような視線が、わたしを腕の中に庇うジュディスさんを射抜いた。

「ナマエに触るな」

その声の迫力に、思わずと言った様子でジュディスさんの肩が跳ねた。
慌てて彼女の肩を押して腕の中から出ると、ラザリスが満足げにわたしに笑いかけた。愛らしい少女に似合う、花が綻ぶような笑みだったのに、どうしてか背中が震えた。

「ともかく、どういう訳か僕はこの世界に解き放たれた。呆れたよ。出来上がったこの世界を見れば、自滅の道を歩んでいるじゃないか」

ラザリスの靴が、白い床を叩く。ジュディスさんが迷わずわたしの腕を引き、背中に庇った。
キールさんも杖を構えるが、ラザリスは彼らなど眼中にないとばかりに、わたしに語りかける。

「君が、僕を覚えてなくてもいいんだ。きっとそれは、君の身体を蝕む毒のせいだもの…。その毒が浄化されれば、きっと僕を思い出してくれるよね」

そう無邪気に首を傾げられ、わたしはただ戸惑うしかない。
彼女の執着心の理由がわからないのだ。彼女は、まるでわたしを知っているように振る舞う。けれど、わたしは彼女を知らない。わたしには、彼女に向けられる想いが理解出来なかった。

「君が苦しんでいるのは分かってるつもりなんだけど…ごめんね。僕は、もう我慢の限界なんだ。これ以上、こんな醜い世界に君を奪われたままでいられない…」

ざわり、と、世界が揺れた。
揺れたのだ。この、ルミナシアと言う世界が。
揺らしたのは、捕食者の如く赤い瞳を爛々と輝かせた、この小さな世界。

「だから…だから、この世界は僕が貰うよ!」

ラザリスが咆えた。
ヴェラトローパが、天空の宮殿が震える。耐え切れずに床に座り込んだわたしは、ニアタさんがいたテラスを振り返った。
揺れている、違う、震えている。この世界が、この世界自体が。

「何か出てくるぞ…!」

キールさんが、悲鳴のような声を上げた。
這うようにしてテラスに駆け寄り、縁に掴まり、ジュディスさんに支えられながら身を乗り出す。
遠くに見えるのはオルタータ火山だろうか。溶岩が固まり出来た赤黒い地面が、皹割れた。
皹割れた裂け目から迫り出してきたものを、何と呼べばいいのだろう。
それは白く、けれど光の加減によって淡く様々な色に輝いている。しかしその姿は、まるで獣の爪のような、蛇の牙のような、獰猛な姿だった。
それはオルタータ火山を軽く飛び越え、まるで空を裂くように。このヴェラトローパにすら届かんばかりに、このルミナシアに爪を、牙を立てた。

「アレは、僕の世界ジルディアのほんの一部」

それに目を奪われていたわたしは、気付かなかった。
歌うように語るラザリスのその冷たい腕が、わたしの首に回ったのを。
その鋭い爪が視界を裂いたことに気付いた時にはもう、二人から引き剥がすように体を引かれていた。

「ナマエ!」
「い、いや…っ」
「まだまだ世界樹が生命の場を譲ってくれそうにないから、一度には無理だけど。でも、やがて全てを塗り替えるよ。じわじわと、ね」

スカートが捲り上がり、太股が床に擦れた。
後ろから首に回された腕はわたしに傷を付けないように細心の注意をされているのに、それでも、わたしがどんなに暴れようと爪を立てようと逃げられはしなかった。

「僕ならもっといい世界を生み出せる。その世界ならきっと、君の願いを叶えられるよ」
「わ、わたしの願い?やめてよ!わたし、あなたに願ったことなんか…」

肩に爪が刺さった。
痛みに呻いたわたしに、二人が武器を構えたまま名前を叫んでくれる。その姿が揺らぎ、痛みのあまり涙が込み上げた。
恐怖と共に机の引き出しの奥にしまい込んだ涙を思い出し俯けば、更に爪はわたしの肩を刔った。

「…本当に、何も覚えていないんだね。僕は覚えているよ、誰よりも君を愛してる。君が初めて、僕に笑いかけてくれたんだもの…」

愛しげに頬擦りするように、首元に顔が埋められた。
寂しげな声に複雑な感情が込み上げてきたが、それに流されるわけにはいかなかった。
胸騒ぎが、うるさい。
ざわざわと、何かが警報のように鳴り響いているのだ。これはそう、初めて赤い煙に触れようとする前のよう。あのブラウニー坑道の、前も見えない暗闇が苛んだ胸の内。
囁く声は、まるで秘密を打ち明ける幼い少女特有の甘美さを持っていた。

「深い眠りについていた僕を、君の願う声が呼び起こしたんだ。次元も、世界すら飛び越えた奇跡に僕は本当に感謝したんだよ…。だから僕は決めたのさ、君を僕の世界に招待しようって。君は僕の世界で、もう一度生まれ変わるんだよ」

悲鳴の代わりに、体から光が溢れた。
その光はわたしを守るように、ラザリスを貫く。しかしその光はわたしの心を表すかのように点滅し、収束しては斑に光り輝く。
ラザリスは小さく舌打ちすると、まるで子供のように俯き頭を抱えて蹲るわたしを、強い力で抱き込んだ。


「あんなに強く願っていたじゃないか。死にたくない、って」


わたしの瞳から零れ落ちた涙が、小さな音を立てて、白い床を叩いた。





曖昧で朦朧とした意識の中で、わたしはただひたすら願っていた。
神様なんて信じていないのに、それこそ、神様に縋るような思いで。
死にたくない、まだ生きていたい。痛いのは嫌、苦しいのも嫌、辛いことだって嫌い。優しいだけの世界で生きたい。
投げ出された身体に降り注ぐ雨と、アスファルトに滲むわたしの血を眺めながら、ずっと。

この願いが誰かに届くまで、ずっと。

いつの間にか雨は止み、わたしは光の羊水の中を漂っていた。
その時、ふと、わたしの目の前に瞬いたのだ。


赤い赤い、血よりも赤い流星が。


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