降り立ったヴェラトローパは、朽ち果てたような雰囲気を漂わせつつも、宮殿と言う名に相応しい華やかさが残っていた。
どこかから聞こえる水の音や花の匂い、鳥の囀りに魔物の声。それらに耳を傾けていたわたしの隣で、キールさんが小さく頷いた。

「そうか。ジュディスは物から情報を読み取るナギーグと言う能力を持つクリティア族だったな」
「ええ。…創世伝えし者の為にこの空間を遺す、って書いてあるようよ」

地球のものでも、ルミナシアのものでもない文字が刻まれた石版から情報を読み取ったジュディスさんは、愛らしい仕草で小首を傾げた。

「もしかして、創世を見届けた者がここにいるってことかしら?」

ジュディスさんの言葉に期待を湧かすも。

「有り得ないな。精々、そいつの墓が残ってるって程度だろう」

キールさんの言葉がわたしの期待を無惨にばっさりと切り落とした。
一喜一憂するわたしに気付かず、議論は続いていく。

「あら、セルシウスは創世の時を見ていた者は人とも精霊とも違った。そう言っていたけれど?」
「いたとしても、まともにコンタクトを取れる存在か分からないだろう。安易な接触は危険…」
「けれど、我等がディセンダーはまだ見ぬ存在に恐れすら抱いていないみたいだわ」

何故か楽しげなジュディスさんによっていきなり話の中心に引きずり出されて目を瞬かせたわたしを、キールさんは鋭い瞳で睨みつけた。

「…お前、船を降りる前に僕が言ったことをもう忘れたのか?」
「わっ、忘れてません!忘れてませんよ!」

常に自分の側から離れないこと、間違っても自分より前に出ないこと、絶対に無茶をしないこと、それから、ええと、何だっけ。
心の中だけで首を傾げたわたしを見透かしたように、キールさんがその手に持つ杖でわたしの頭を小突いた。

「それならどうしてわざわざ危険に飛び込みたそうな顔をするんだ!いいか、いくらお前がディセンダーの力を持っていようと、お前自身はただの人間なんだからな。絶対に僕から離れるなよ、無茶なんかしたら宿題の量を増やすからな!」
「はっ、はい!」

宿題の量を増やされるのだけは本当に困ると、姿勢を正して頷いた。
それに満足して踵を返したキールさんは、さっきジュディスさんが情報を読んだ石版を丹念に調べ始める。安堵のため息を吐いたわたしに、やっぱり楽しげなジュディスさんが声をかけた。

「彼、教え子が可愛くて仕方ないのね」
「ああ、馬鹿な子ほど可愛い、みたいな…」
「そういう子が好みなのかしら」

暗にメルディさんのことを言っているのだろう。わたしと一緒にするのは底抜けに可愛い彼女に失礼だと思い、曖昧に頷いて返す。
宮殿の中から聞こえる魔物の声に耳を傾けていたジュディスさんは、ふとわたしに微笑みかけた。

「あそこに、いると良いわね」
「え?」
「創世を見届けた者よ。ナマエはその人に会いに来たんでしょう?」
「………あ、はい…」

ラザリスのこととか、世界のこととか、何より、わたしのこととか。
たくさんの疑念を解決させるために、わたしはずっと、ヴェラトローパを求めていたのだから。

「見つかると良いわね。カノンノのためにも、あなた自身のためにも」

ジュディスさんは、まるで全てお見通しとばかりに微笑む。
それは考え過ぎなだけだろうが、わたしの心臓は早く早くと急かすように音を立てていた。





ヴェラトローパの中は、再び異世界にやって来たかのような錯覚を見せるようだった。
無機質で、けれど自然と上手く調和して、造られたものでありながらも、まるでそれが当たり前で自然のような美しさがある宮殿だった。
キールさんやジュディスさんも戸惑うような様子を見せながらも、積極的にヴェラトローパの奥へと足を進めた。

「壁画のようだな。これは世界樹か?」

そこは、宮殿の端にある小さな庭園だった。
木々と花と水と、それから見上げるほどに大きな壁画。興味深げに眺めるキールさんの隣で呆然と壁画を見上げていると、ジュディスさんが静かに目を閉じ壁画に触れた。

「…世界樹とは、世界を生みしもの…。大地、自然の摂理、そして生命を作り出す」

滔々と語る彼女の言葉が壁画の情報を読んだものだと遅れて気付いた頃には、キールさんが持って来ていた資料を捲り息を吐いていた。

「何だ、僕達の認識と変わらないじゃないか」
「続きがあるわ。…世界樹の始まりは、一つの種子。宙空のただ中を漂いながら芽吹き、創造を始める。これは、大地や生命を生み出す行為ね」

首を傾げながら、宇宙の中に種が浮き漂う光景を想像する。
何だかちょっとシュールだった。

「そして世界樹は、作られた世界と調和を成しながら更に成長していく。それから調和によりマナ満ちた時、世界樹は新たな世界となる種子を付ける…」
「…何だって?それじゃあ、この世界ルミナシアはかつてどこかに存在していた世界樹から生まれた種子が芽吹いたものだと言うのか」
「え、…え?」

話が難解過ぎてついていけない。慌てふためくわたしに、驚きの表情から教師の表情へと変わったキールさんが、懇切丁寧にかみ砕いて説明を始めてくれた。

「つまり、ルミナシアの世界樹の始まりは小さな種子なんだ。そしてその種子は、何処か遠くの世界樹がマナに満ち足りた時に生み出すもの。分からなければ、世界樹じゃなくて普通の木や花で想像してみろ」
「…ま、まるで世界樹が普通の植物、って言うか生き物、みたいな感じですね…」
「まあ、実際に世界樹は生きているしな」

キールさんは当たり前とばかりにそう言い切り、ジュディスさんの興味は壁画にしかないようだ。わたしにちゃんと覚えておくように言い聞かせ、キールさんも壁画を調べ出した。

「…世界樹って、生きてるの…?」

まずはそれについて教えてください。





二つ目の壁画もまた、最初の時と同じように小さな庭園のような場所にあった。

「今度の絵は何だ…?」

眉を寄せたキールさんの隣で壁画を見上げれば、様々な形で描かれた生き物が、何処かから降りて来るような絵だ。

「世界に大地が生まれた後のことね。…大地が生まれた後、ヒトの祖と精霊が生まれた。ヒトの祖はここにヴェラトローパを創り、ヒトとなるために肉体や潜在能力を設計した。そして、設計通りの身体を纏い、地上に降りたようよ」

これはリタさんがセルシウスから聞いた通りのことだ。
あの時はただ驚いていたけれど、こうして考えてみると不思議なものだ。初めて生まれた知的生命体が、自分自身を設計して地上に降りる。
世界が違えば生命が生み出される過程も何もかも違うのだと、漠然とそう思った。

「…ソウルアルケミー、すごいですね…」
「ああ、正に神の成せる業だな…」
「ソウルアルケミーは、ヴェラトローパの民が普通に持っていた能力みたい。私達には魔術の曙、失われた技術とされていたけど、ここでは当たり前に使われていた…」

ジュディスさんはどこか感慨深げに自分の後頭部から伸びるクリティア族特有の触手を撫でた。

「私達クリティアと言う種族、そしてナギーグと言う力は、ここで決められたのね」
「僕達人間も、ユージーンのようなガジュマも、カイウスのようなリカンツも…」
「シャーリィさんみたいな水の民も…」
「コレットのように羽がある者も…。全ての人類はここから始まったんだわ」

もしかしたら、わたし達は今とんでもないところにいるんじゃないだろうか。
庭園は優しい光が溢れ、草花が生い茂る暖かな場所だ。しかし、ここで、この宮殿で生命は今の形を持って生まれたのだ。
ジュディスさんのように感慨深くもあるが、わたしは異世界人だ。どこか落ちつかないような想いで周りを窺うと、キールさんが腕を組み呟いた。

「だが、ヒトの祖は何故地上へ?ここに残れば、神のように生きられただろうに」
「…世界と共に、創造するため、ね」

壁画に向けていた体を反転させたジュディスさんは、優しい手つきで劣化した壁を労る。

「世界樹の被造物であるヒトの祖も、世界と共に創造の担い手として生きることを決めたのよ」
「…ええと…?」
「実際に生きて、世界と調和し、経験すること。この世界にある生命全てが学び合い、向上していくこと。世界をより成長させるために、学びの道を選んだのね」

確かに非物質のままの存在なら、このヴェラトローパの中で何物にも害されることはなく、生きていけただろう。
世界と共に創造していくために、自らの意志で物質体を得た。それは、どれだけの覚悟だったのだろう。脆いわたしの覚悟など、彼らには到底及びやしない。

「それが今の世の中の有様か?成長どころか、後退してるじゃないか!」
「そう?今が学びの時かもしれないわよ」

そう吐き捨てたキールさんに、ジュディスさんはどこか楽しげに微笑んで見せた。毒気を抜かれ、キールさんは行き場もなく深くため息を吐く。
前にユーリさんが言っていた。このまま進めば、世界の危機はすぐに訪れる。前にすずさんが言っていた。今が、岐路の時だと。
今が岐路の時で学ぶべき時なら、今、こうしてこのヴェラトローパが現れたのは、偶然じゃないのかもしれない。


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