わたしは伝説の救世主様じゃないし、一番に考えるのは自分のことだ。
二兎を追うものは、一兎も得られない。
そんなことをわかっていながら、わたしは。





机の上に広げられた一枚の絵が、研究室をにわかに騒がしくした。

「この風景が、ヴェラトローパ…」
「しかし、カノンノが何故それを?」
「わかりません…」

リタさんとウィルさんが感嘆するようなため息を吐き、ハロルドさんは絵を眺め、ふむ、と静かに頷く。困惑した様子のカノンノは、わたしの手を離そうとしなかった。

「これが何か、手がかりになりませんか?」
「難しいわね。見た目がわかっても、ヴェラトローパのドクメントがなければ…」
「ヴェラトローパを出現させることは無理、ね」
「……そんな…」

ヴェラトローパのドクメントなんて、あるわけがない。そもそもそれがあるのなら、もうとっくにヴェラトローパを出現させている。悔しさと焦りに、手を握りしめる。
重苦しい、焦がれるようなため息はわたしのものだったかもしれないし、もしかしたら彼女のものかもしれなかった。

「カノンノ、ちょっとだけ…あんたのドクメントを見てもいい?」
「あ、うん、いいよ…」

カノンノは戸惑いながらも頷き、おずおずと、わたしの手を離す。
研究室の真ん中に立った彼女にリタさんが両手を翳すと、耳慣れない音と共にカノンノのドクメントが現れた。
リタさんがぽつりと、呆然と呟く。

「この、頭上のドクメント…」

彼女の纏うドクメントはわたしと違い、いつかのハロルドさんが言っていたように白い。けれど、その一番上で輝くドクメントは、ピンクとバイオレットの混じり合ったような色をしている。
セルシウスが静かに瞼を伏せ、そのドクメントに手を翳した。

「…感じるわ。この中にヴェラトローパを」

そう言った本人も驚いているようだが、わたし達はそれどころじゃない。
夢に見るほど求めていたヴェラトローパが、こんなに近く。しかも、カノンノの中に。どうしてとか、何でとか、そんな疑問よりも先に、わたしの中を歓喜を回り巡った。

「ちょっと!本当なの、それ!」
「本当よ。…どうしてかは、分からないけれど」
「カノンノ、カノンノ!すごい、どうしよう、どうしよう!もう、もう!カノンノ…!」
「きゃっ、ナマエ…?」
「やっとヴェラトローパに行ける、やっと…!」

歓喜の勢いのままカノンノに抱きつけば、よろめきながらも受け止めてくれた。
わたしのあまりの喜びように驚いていたカノンノも、困惑しながら苦笑いを浮かべ、わたしの背を宥める。
彼女への気まずさも忘れ喜んでいられたのは、リタさんの苦々しい呟きが耳に入る前までだった。

「…もし、それが本当だとしたら…。ドクメントを更に展開すれば、ヴェラトローパのドクメントが手に入る」

一気に、浮かれた頭が現実へと引き戻された。
無意識のままカノンノを抱きしめ、庇うようにリタさんとの間に入る。

「でも、これ以上はカノンノの身体に負担が…」
「そ、そうですよ。せめて、今のまま…」
「…ううん、続けて」

カノンノが、静かにわたしを引き剥がした。
縺れた足はウィルさんに支えられ、見開いた目にはドクメントの中、凛とした彼女の横顔が、鮮烈なまでに焼き付いた。

「ヴェラトローパを出現させるために必要なんでしょう?…お願い」
「…わかった。じゃあ、少し我慢して」

その瞳を正面から受けたリタさんが、躊躇いながらも頷いた。
ウィルさんに支えられるまま呆然と彼女のドクメントが展開される状況を眺める。
頭上のドクメントの周りに、淡く同じ色のドクメントが出現していく。それがドクメントと言う形を取った瞬間、カノンノの体が震えた。

「ま、待ってカノンノ、リタさん、待って…!」

苦痛に耐える表情を浮かべ、胸を押さえるカノンノにリタさんも慌てて手を下ろそうとした。
しかし、それを制したのは、今にも倒れそうなほど青白い顔で唇を噛み締めた、カノンノ本人だった。

「だ、大丈夫だから…。お願い、続けて…」
「大丈夫なんかじゃないよ!リタさん、何か別の方法で…!」
「ナマエ、あんなに行きたがってたじゃない…。大丈夫、…大丈夫だよ。私が、ナマエをヴェラトローパに連れて行ってあげるから」

カノンノの、花開くような笑顔を直視することが出来なかった。
それは静かにその背にわたしを庇ったセルシウスのせいか、それともわたしの中に一瞬首を擡げた欲のせいか、わからなかった。
けれどわたしはその時、確かに選んだのだ。カノンノより、ヴェラトローパを。
親友より、自分を。

「よし、コピー出来た!可視化を解除するわ!」

ドクメントが静かに消えていく。カノンノは深く息を吐くと、そのまま、崩れ落ちた。


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