見上げるくらい、大きな魔物だった。

「おおっと。こりゃ、でかいな」

砂と同じ色をした、蠍の魔物。呆然と見上げるわたしとは対照的に、ユーリさんは楽しげな表情を浮かべて剣を抜いた。
すずさんは静かに苦無を握り、わたしも慌てて杖を構える。
魔物の咆哮が響いた。

「行くぞ!」

ユーリさんとすずさんが魔物に駆ける。それと同時に魔術の詠唱を開始した。
さっきまで連戦だったけれど、精神力はまだまだ残っている。

「シャープネス!ユーリさん、頑張って!」
「任せろ!…蒼破刃!」

次はすずさんにと、詠唱を再開する。
ユーリさんの剣が放った刃が、魔物を切り裂く。
追い討ちのようにすずさんが魔物の頭上へ飛び上がり、回転しながら斬り付ける。生まれたその隙にユーリさんの刃が突き刺さり、すずさんの苦無が薙ぎ払う。
魔術が効いている気がしない。サンドワームよりも固い魔物だ。何より、強い。
眉を寄せたその瞬間、魔物が暴れ出した。攻撃の手を緩めて飛び退いたすずさんを、ティランピオンの尻尾が狙う。

「っ、」
「すずさん!」
「す、すみません、大丈夫です…!」
「待って、今すぐ治しますから!」

魔術の詠唱を止め、治癒術の詠唱を始める。
すずさん立ち上がろうとしているが、予想外にダメージが高いのだろう。砂埃に塗れた小さな体には、たくさんの傷が見えた。

「キュア!」
「すみません、助かります…!」
「無理すんなよ!」
「はい!」

すずさんは再び苦無を手に、魔物に挑む。
ユーリさんの消耗も激しそうだ。魔術を使うよりは、治癒術でのサポートに専念した方がいいかもしれない。
そう思って魔術の詠唱を止めようとして、ふと、ユーリさんの背中から魔物に視線を戻す。その瞳がわたしを狙っていたのに、ようやく気付いた。

「ナマエさん!」

尻尾が振り上げられる。その影がわたしを覆うのを見て、震えて鳴る奥歯を噛み締めた。
きつく瞳を閉じて、身を縮ませた、その瞬間。
耳元で、風の音がした。

「…っああ!」

地面に叩き付けられるような衝撃に息が詰まり、尻尾が直撃した肩と砂を転がった体が痛い。
けれど、想像していたほどじゃない。すずさんは立ち上がるのさえ困難だったと言うのに、わたしは杖を支えにしながらも何とか立ち上がれる。
遠くでわたしを呼ぶ声に咳を繰り返しながら手を振って返す。
ふらふらと立ち上がり、道具袋からグミを出して口に放り込みつつ、即効でマナを集める。
口の中で血と林檎の味が混ざり合う不快感に頭を振り、杖を突き立てた。

「リザレクション!」

地面に描かれた巨大な魔法陣が傷を癒していく。
ユーリさんは傷の癒えた足で駆け、ティランピオンを目掛けて剣を振り上げた。





頬に伝う血に気付いたのは、安堵の息を吐いてからだった。

「ナマエさん、頬に傷が出来ています」
「え、嘘っ」
「…最後のリザレクション、ナマエさん自身を範囲に入れてなかったんですね」

少し恨めしげな、拗ねたような口調だった。
バレたか、と心の内で舌を出しつつ苦く笑う。リザレクションはナースと違って効果範囲がある。範囲より回復量を優先した結果、ティランピオンの攻撃で遥か後方に飛ばされたわたしを効果範囲に入れずに発動しただけだ。

「戦闘中は気付かないものですね。ティランピオンの尻尾が当たった時かな…」
「いえ、それにしては傷口がスッパリ切れています。まるで剣で斬ったように」
「剣で?え、でも…」

わたしが攻撃を受けたのはあの時だけだし、剣でなんて覚えがない。
ふと、光になって消えていくティランピオンの尻尾を見る。そこには鋭く綺麗に斬られたような傷が、あった。

「気付かなかったと言うことは、痛みはないのですか?」
「そうですね、今も痛くはないです」
「…まるで、鎌鼬のようですね」

すずさんが懐から白いハンカチを取り出してわたしの頬に当てる。
確かに痛くはないけど、かなり血が出ているのはわかる。汚れてしまうと断ろうとすれば、止血をするようにきつく押し当てられた。

「鎌鼬って?」
「要は、風の刃です」

風の、そう呟いたわたしの頭を、ユーリさんが小突いた。

「早く治せって、痕残るぞ」
「あ、そうですね」

ユーリさんはどこか、腑に落ちないという顔をしてわたしの頬を眺めている。
首を傾げれば、光になって消えたティランピオンがいた場所を示した。

「その風の刃って奴が、お前に攻撃が当たる直前に尻尾を攻撃して軌道をずらしたんじゃねえかなってさ」

あの攻撃をまともに受けたすずさんが立ち上がることも出来なかったというのに、わたしはふらつきながらも立ち上がることが出来た。つまり、わたしに直撃はしていないと言うこと。
そういえば、尻尾が当たる直前に、風の音を聞いた気が、する。

「ま、無事なら何でもいいか。何とか仕留められたし、戻ろうぜ」
「これでヘーゼル村の皆さんも無事に砂漠を越えられます」
「そうですね。…うん、よかった…」

達成感に胸を撫で下ろした頃には、もう、風の音のことなんて遠く忘れていた。
来た時と同じように、ユーリさんを先頭にすずさんとわたしが続く。砂の匂いに混じり、風に乗って、血の匂いがした。


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