「曼珠沙華!」
すずさんが放った炎の苦無が魔物に刺さる。
悲鳴のような雄叫びの声を上げ、魔物は砂の中に潜った。砂を被ったユーリさんは忌ま忌ましいとばかりに口に入った砂を吐きつつ舌打ちをする。
すずさんが周りを、特に魔物が這い回る地面の下を警戒しつつ、わたしの側に来た。
「ナマエさん、あと少しのようです。精神力は大丈夫ですか?」
「大丈夫です、まだまだ行けます!」
「っ、来るぞ!」
すずさんと二人、ユーリさんに腕を引かれる。
倒れ込むように尻餅をついたわたしと対照的にすぐ体制を直したすずさんは、足元から飛び上がって来た魔物に苦無を構えた。わたしも慌てて立ち上がり、魔術の詠唱を再開する。
さっき途中まで詠唱していたからか、マナの練り直しが早い。
「…下がってください!グランドダッシャー!」
地震のように揺れる大地から、幾重にも飛び出す岩の槍。今度こそ間違いなく悲鳴を上げて、魔物は光となって消えた。
杖を抱きしめてため息を吐いたわたしに釣られるように、ユーリさんも息を吐く。
「こう何度も戦いたい相手じゃねえな。さすがに冷や汗もんだったぜ」
「そうでしたか?とてもそんな風には見えませんでした」
「そりゃどーも。これでもビビったり驚いたりはしてるんだけどな」
「…ユーリさんは、忍者に向いているかもしれません」
至極真面目な表情でそう言われたユーリさんは目を瞬かせ、小さく笑って気持ちだけ受け取っとくよ、そう言った。
微笑ましいような光景に苦い笑いを浮かべ、二人に水筒を差し出す。
「すみません、ありがとうございます」
「サンキュ。…さすがに連戦は疲れるぜ」
「確か、サンドワームはこれが最後でしたよね」
「はい。ウィルさんの話によれば、サンドワームはもう終わりです」
「…残りはティランピオン、か」
喉を潤したユーリさんの呟きに苦い表情を浮かべれば、彼自身も唇を拭いながら眉を寄せた。
すずさんはそんなわたし達を窺いながら、砂嵐の先を示した。
「恐らくティランピオンはこの先でしょう。少し休憩しますか?」
「こんな暑さの中で休める奴、いるか?」
「休憩よりも早く依頼を終わらせて船に帰りたいです…」
「…確かに」
すずさんも静かに、けれど重く頷いた。
再びカダイフ砂漠の奥を目指して歩き出す。ユーリさんとすずさんの背中からふと視線を外して、振り返る。
あの蛇のような魔物、サンドワーム。初めてこの砂漠に来た時は、恐ろしい強敵だったのに。確かに連戦はきつかったけれど、自分が、仲間が強くなったことを自覚した。
「ナマエさん、どうかしましたか?」
いつの間にか足を止めていたらしく、すずさんも足を止めてわたしを振り返っていた。ユーリさんまで足を止めていることに気付き、慌てて走る。
「すみません。何だか、前に戦った時より楽だったから…」
「前にもサンドワームと戦ったことが?」
「ジョアンさん達をここに連れて来た時ですよ。…あの時は必死に戦っても満身創痍だったのに、変わったなあって」
クレスさんの頼もしい背中や、イリアさんの銃声を思い出す。サンドワームの雄叫びや、冷たい皮膚、濁った瞳。そして、赤い煙。
一瞬で現実に戻されたようだった。手足は冷たいのに、突き刺さる太陽に火傷しそうな錯覚。
ヘーゼル村の人達のことや、ヴェイグさんのことやクレアさんのことなんかを考えていたら、忘れられると思っていた、のに、余計なことまで考えてしまう。
どこか遠くを眺めるようなユーリさんの姿が、くらりと、揺れた。
「確かに、俺も変わったな。俺がガルバンゾのギルドにいた時は、俺が知る世界は住んでた場所だけだった。帝国のことは知ってたが、余所の国や世界の動きなんざまるで見えてなかった」
「意外ですね。ユーリさんって、こう…大人だから、色々なところに行ったりしてるものだと」
「普通のギルドは拠点ごと移動したりしねえっつの。…でも本当、何でも見渡せる自由のギルドだな。アドリビトムってのは」
ユーリさんにデコピンされた額を押さえて俯く。
わたしの世界は、変わらずわたしの手が届く範囲だけ。アドリビトムというあの場所が、わたしの世界そのものだ。
「私も里を出て、様々なことを知りました。…貧富の格差、星晶の大量消費、紛争…。大国が小国に強いた、単一栽培が引き起こす自然破壊。そして、飢餓」
「このまま進んでいけば世界の危機って奴はすぐ訪れる。ラザリスがいようといまいと関係ねえ。国のお偉いさんは、全てを食い潰すまで気が付かねえんだな」
「その危機を回避出来るかどうか。今が岐路の時でしょうね」
まだ幼い少女であるはずのすずさんが世界の危機を語る光景は、どこか不自然で、けれど真に迫る思いがした。
災厄と呼ばれるのはラザリスでも、そのラザリスを呼び起こしたのは、この世界の人間達だ。
考えなきゃいけないことがたくさんありすぎて、でもそれを考えたくなくて。せめて今は、とにかく何も考えたくない。
「何だか辛気臭え顔してんな。ちっとは気ィ抜けよ、おら」
「いたっ!」
本日二回目のデコピンだった。
少し前までは事あるごとに頬を引っ張られていたけれど、どうやら今のユーリさんの中ではデコピンがブームらしい。何てはた迷惑なブームだ。
ひりひりと痛む額を押さえてユーリさんから飛び退き、わたしより小さなすずさんの背中に隠れれば、彼女は小さく年相応な微笑みを浮かべた。
「気楽にやろうぜ。お前はディセンダーじゃねえんだろ?気負い過ぎんなよ、お前はお前自身のことを考えてりゃいいさ」
「た、確かに、わたしはディセンダーじゃないですけど、でも…」
「一人で抱え込まないでください、ナマエさん。私達がいますから」
わたしより小さな手で、励ますように慰めるように頭を撫でられる。それに目を瞬かせていれば、肩を揺らしながら笑うユーリさんも、わたしの頭に手を伸ばした。
「最近、色々な出来事が重なりましたから、ナマエさんの元気がないような気がしていたんです」
「え?…そ、そうでしたか?」
「はい。…本当に一人で抱え込まないでくださいね。世界樹のことやラザリスのことは確かに私達じゃわかりませんが、ナマエさんのことなら分かります」
「お前、表情に出やすいしな。ここ最近は見てられねえくらい暗い顔してたぜ」
乱暴に、けれど優しさのある手つきでユーリさんはわたしの頭を撫でる。
それを甘んじて受け止めながら、俯いた。
「俺達が選んだ道だ。責任を取るとしたら、俺達なんだよ。お前だけが背負うもんじゃねえ、アドリビトムの皆で、な」
喉から手が出るほどに、欲しい言葉だった。
それなのに、じんわりと染み入る優しさが重荷が軽くなった分、何故か、寂しさが増したような気が、した。
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