私は25mどころか10mも泳げない。それが小学生の頃からのコンプレックスであり悩みなのである。
「さっ!ビシバシいきますよ!」
怜くんはプールサイドで仁王立ちをする。お手柔らかにお願いしたかったけど、彼的にはスパルタにやりたいらしい。スクール水着でプールにぷかぷか浮かぶ私は彼を見上げる。
「あのさ、教えるって言ってくれるのは有難いんだけど…怜くん、泳げないよね」
「今は泳げますから!」
「えっそうなの?!」
知らなかった。無理やり私をプールに連れてきて着替えてきなさい!この僕が泳ぎを教えてあげますから!と言い出して、いやあなた泳げないじゃないかとは言えずにここまで来てやっと言えたけど。泳げるようになっただと?
もし本当なら、幼なじみとして感慨深いものがある。
「バタフライだけ、ですけどね!」
「なにぃっ」
思わず口に出してしまった。
これは逆に賞賛に値することなんじゃなかろうか。バタフライだけ出来るのかよかなり凄いよ。一番難しいはずの泳ぎじゃないのか。
「さっ、教えますよ!」
怜くんがプールに変な飛び降り方(垂直に舞い降りてきた)をして、ゴーグルをはめる。私もしぶしぶとだけどゴーグルをはめる。
「まず、バタフライには冷静な考えによる理論が必要なんです」
「はい?」
「自分がまさに美しく華麗な蝶になったように、それをイメージしてアイアムバタフライ!と心の中で叫ぶとうまくいくんです」
「それ机上の空論じゃないの?」
「違います」
「いやでもさぁ…専門がバタフライの競泳選手の皆さんが常にそんなこと思うわけないでしょ」
「屁理屈はいいから早くやりなさい!」
ほら!と言われて急かされたので仕方なく腕をかきまわして足をバタバタさせてみた。うん、沈む。前にも進まない。
「無理だよ怜くん」
「ぐぬぬ…人に教えるのがこんなに面倒なことなんて」
「おいちょっと待て。今面倒なことって言わなかったか」
「美代子には、クロールの方が向いてるかもしれませんね」
怜くんはする必要のないゴーグルクイッをする。クロールの方が向いてるってアドバイスにも聞こえるけど、実際は突き放されたような。
「さぁ、クロールをやってみてください。同じリズムで腕を回し、足は水をしなやかに蹴るようにやるんです」
「それも机上の空論?」
「それもってなんですか!さっきのもこれも違いますよ!ほらさっさとやってください!」
更に怜くんに急かされ、クロールをやってみる。ゆっくりゆっくり、怜くんに言われたことを思い出してそれをやる。すると少しだけ前に進めた。
ぷはっと水から顔をあげて、ゴーグルを外す。
「怜くん!少しだけ泳げたよ!」
「すごいじゃないですか!」
「怜くんも出来ないクロールができたよ!」
「失礼ですね!!」
怜くんはゴーグルを外しながら高らかに叫ぶ。
「あ、ごめん。でも怜くんのおかげで泳げたのは事実だから」
「…そうですか、なら良かったです」
柔らかく微笑む怜くんには、昔の面影が残っていた。
「優しいんだね、相変わらず」
と言うと、怜くんはあたふたして
「と、当然じゃないですか」
と弱々しくつぶやいた。なぜこんな小さな声なのか、幼なじみの私には分かる。照れているんだ。