落
日
夕闇が迫る。何時もは嫌に成る程真白で味気ない部屋も、いまはたゞうつくしく茜に染まつてゐる。窓から外を眺める彼女の頬も、おなじやうに、まろやかな茜色をしてゐた。
憂ひを帯びたひとみでなにかを考へてゐるらしい彼女は、先刻から黙りこくつて、自分の腰まで掛かつたシイツ―――此れもやはり真白な―――を弱々しく掴んでゐる。僕は其の様子を、なぜか夢のやうな心地で、ぼうと眺めてゐた。シイツを握りこむ指先は白魚のやうで、然し爪の色はすこし悪い。常人よりもうすい桃色をしてゐる。
茜の病室は、しいんと静まり返つてゐる。彼女は微動だにせぬまま、何処か遠い目をしてゐる。僕はといへば、やがて動かぬ指先を眺めるのにも飽き、膝に置いたまゝの文庫本を読み始めたのであつたが、話題を呼んだはずの其のちいさな本は、しかしどうしやうもなくつまらなかつた。
「薄氷のはつてゐるやうな二人」
「二人は淋みしい」
「二人の手は冷めたい、」
『…二人月を見てゐる』
しずかに視線を向ける。彼女は僕をみつめてゐた。深いいろをしたひとみには、隠しきれぬ昏さが滲んでゐる。
「善く知つてゐるね」
『―――貴方が何度も呟かれるので』
覚へて仕舞いました。そう言つて僅かに微笑む。僕はそつと腕を伸ばし、なにとはなしに彼女の手首にふれる。動脈に指を三本押し当てると、とくりゝと血のめぐる感覚がした。
「生きてゐるね」
『見れば解ります』
其れでも確かめなければ不安なのである。心の中でひとりごちる。声には出さなかつた―――きつと彼女のひとみの昏さが増すから。
再度窓の外に視線を向けた彼女は、僕が脈をはかるのにもなにも謂わず、只夕陽が落ちるのを眺めてゐる。赤赤とした燃えるやうな夕陽は、此れが最期と言わんばかりに、世界をうつくしく染めてゐるのであつた。
「なあ」
僕を、置いていかないでくれたまへ。気丈を装つたつもりで吐き出したことばは、存外何処までも情けなく震えてゐた。彼女の、細いといふよりもむしろ病的に痩せた手首をつかむ。……なあ、
「僕だけを、生かさないでくれ」
―――彼女は、何も謂わぬ。落ちていく夕陽を眺めながら、なにか又僕の知らぬものばかり見てゐるのだ。滑らかに曲線を描く頬をみつめる。
―――…つう、と其処になにかが伝つた気がした。
詩:尾形亀之助/二人の詩より