私の名前を気安く呼ぶクラスメイトが非常に目障りだ。

「なまえ、奇遇だな」

朝一番に顔を合わせたのが花宮だという時点で、今日一日気分が良くないことは言うまでもない。出だしが肝心なわけだ。その出鼻を挫かれた所為で、虫の居所が悪いのをコイツは知っている。人が嫌がる様を見て悦ぶような性格の人間だ。

「おはよう花宮。その醜悪な尊顔を拝することが出来て心持が良いわ」

眉間に皺を寄せながら睨み上げると、花宮はさぞ面白そうにこちらを見て鼻で笑った。目には目を、歯には歯を、そして侮蔑には侮蔑を。

「俺も朝からてめえの喧しい皮肉が聞けて清々しい限りだ」

花宮から私に向けられた言葉を表情はやはりそれ相応のものだった。学校にいるだけでもストレスが溜まるから、せめて朝のうちだけでもストレスフリーでいたいものだったが隣に立つ花宮の所為でそれは見事に失敗に終わってしまった。腸が煮えくり返りそうな程に、イライラしてきている。

「死ね、花宮」

「お前が死ね」

何を差し置いてもこの男には真っ先にこの言葉を投げつけてやりたくなる。無論、あちらとてそれに変わりない。吐き出した言葉で、如何に相手に深手を負わすか。花宮と私との間ではそんなやり取りしか行われていない。

「鉄面皮野郎」

「似非優等生が」

「異常性癖者め」

「人格破綻」

ホームに入ってくる電車の音に、花宮の言葉が途中で掻き消された。辺りの喧騒も塗り潰されて、それと同時に風圧で髪が大きく乱れた。話の骨が折れて丁度良い。車内にサラリーマンの大群が乗り込んで来ると、車内の人口密度は一気に上昇した。人の熱気で噎せ返りそうなほどだ。ドアの横、私の近くにちゃっかり立つ花宮をじとりと睨む。

「目障り。あっち行け」

「嫌ならてめえがどっか行け」

「ふざけ―」

悪態を吐いてやろうと口を開いた瞬間、電車が大きく揺れた。その反動でむぎゅっという擬音が聞こえそうなほどの勢いで肩に何かがぶつかって、私は体勢を崩した。

「…っ!」

咄嗟に目を瞑ってしまった所為もあるけど、そのことに気がつくのにだいぶ時間がかかった私は間抜けなのかも知れない。予想以上に花宮が近い。文字通り想像すれば良い。まさに、“目と鼻の先”の距離だということを。



後ろから誰かがぶつかって来てぐいぐいと押されるがまま、ドア際まで追い込まれて鮨詰め状態になる。毎朝の通勤ラッシュにはもう慣れていたし、それはいつも通りだった。まあ、そこまでは。“ドアが閉まります。ご注意下さい”、遥か後方から駅員の声がする。ほんの一瞬、圧迫が緩やかになったが、直後には二倍くらいの圧力で一気にドア付近にまで押しやられた。

「…っ!」

「いっ!」

乱暴過ぎる唐突のない動きに肩は手摺に強打し足は踏まれ後頭部はカバンのような硬いもので叩かれ、僅かな時間の間にダメージを食らった。それは俺の前に立っていたなまえも同じようで声にならない悲鳴を上げていた。後頭部をドアにぶつけたらしい。おい駅員、ご注意下さいなんてレベルじゃねえ。こっちは横幅のあるオッサンに潰されそうになってんだっつーの。

「きっつ…」

「我慢しろ俺の方がキツイ」

「立端(たっぱ)のあるアンタが言うな」

「うるせえチビ」

「次に言った時は本気で蹴る」

不可抗力とはいえ、腕の中になまえを閉じ込めているような体勢になっている。が、片腕だけなのが救いだと言っても良い。下ろしたままになっている手にはカバンを持っているものの、斜め後ろに立っているOLっぽい風貌の女と会社員の体に挟まれてしまって見えない。

「暑い」

「俺は快適だけどな」

「アンタの所為で暑いんだ。ちょっとは退けって」

「そりゃ無茶な注文だな」

眼下にはなまえの頭頂部。黒い髪が空調に流されて少し靡いた。風は届いているようだが涼を取るには弱すぎた。誰が文句を言うわけでもなく、人の重さにじっと耐えてただひらすら駅に着くまで我慢する。度を過ぎた圧迫感に身動きがとれない。ガタン、と電車が傾いだ拍子に気がついた。完璧に、なまえと体が密着している。その事実を意識した途端、冷や汗が出てきた。表情なんざ見えないが、雰囲気で分かる。気まずいなんてもんじゃない。予想外の事態にほんの少しの間、思考が停止した。ドアに触れている手が妙にひんやりとしていたような気がする。なまえの案外小さい体を押し潰さないように、つかず離れずの微妙な距離を取る。互いに顔を見合わせないようにそっぽを向き合って。馬鹿みたいに早く打つ鼓動が、伝わらないことをただ祈るばかりだった。


鼓動は思うより正直で





普段は互いにツンツンしてる癖に、いざこういう状況になったらどうしていいのか分からなくて、表情に出さなくてもあたふたしてたら可愛いなと思います。(サイトの方でシリーズやってます、とこっそり宣伝。)
企画に参加させて頂き本当にありがとうございました。いい経験になりました!