「さむい」

帰宅早々、炬燵で猫とともに丸まっている兄ちゃんを足蹴にしながら大声で言う。重たい鞄は隅っこに投げやった。猫は睡眠を邪魔されたのが気にくわなかったらしく、私をじろりと睨みつけてきやがったからガンを飛ばしていると兄ちゃんはもぞもぞ動いて私を見あげた。


「おかえり」

「ただいま」

「痛いです」

「さむいんです」

「そんなミニスカートなんか穿いてるからさ。この破廉恥娘が」

「パンツ見たいの?今日は黒の勝負下着だよほら」

「やめろさ気持ち悪い。俺の目が腐る」

「嘘吐けムッツリ」

「そんな恥じらいもないことしてるから勝負下着を試す機会が一向に来ないんだよ」

「んだとチェリーボーイ。そんなんだから彼女にいつまで経ってもキスから先のこと許してもらえねーんだろうが」

「なんでそれ知ってんさ!!」

「ハッ図星か」

「てめぇぇぇぇ」


勝った。にやにや笑う私をむくりと起き上がった兄ちゃんは猫と同じような目で睨みつけてきた。ふふんと鼻で笑ってやって、炬燵の毛布を肩まで引っ張ってぬくぬくと暖を取る。


「…さむい」


それなのに、体の芯が全くと言っていいほど暖まらない。指先も足下も、ちりちりと痛みを伴って温かくなっていくというのに。ひやり。ぞわり。風邪ひいたかな。


「風呂入りゃあいいじゃん」


私と同じように、体育座りのまま肩まで引っ張った毛布の上に顎を乗っけていた兄ちゃんがこっちを見てぼそりと呟いた。相変わらず、綺麗な翡翠色の瞳だ。私は真っ黒。相反しているような二つの色が交じり合う。たまに、兄ちゃんは本当に私と血が繋がっているのか疑いたくなる。まあ、そんな兄妹もいるかと思考は一旦落ち着いた。


「それもそうだ」


そうと決まればと、リビングとは全く正反対な冷ややかな空気が漂う脱衣室へ向かった。




「やっぽー」

「おう変態。なにしに来た」


バスタブに沈みぶくぶく気泡で遊んだあとに、ぱっと顔を出したらまあ想定内のことだったが兄ちゃんがいた。いつ入ってきたのかは分からないけど、こっそり何かをするというのは奴の得意技だ。見れば膝に肘を立てて、頬杖をついていた。裾やら袖やらがしっかり巻かれているから何か用があるのだろうとは思うが、何故今なのかが甚だ疑問である。
鼻と鼻がくっつくくらい距離が近くてもなんとも思わない私もなにか欠けているかもしれないが、兄ちゃんはたまに理解不能な行動にでるのなんとかした方がいいと思う。


「頭洗ってやるさ」

「遠慮する」

「痛いところは御座いませんか〜」

「兄ちゃんのその理解のない頭が痛いんじゃないですか」


聞く耳持たずというか、私が返事をする前にシャンプーで洗い出すなら初めから聞くな。仕方がないのでバスタブの縁に腕を乗せて、手の甲に顎を置いてわしゃわしゃと洗われるがままでいた。人に頭を洗ってもらうというのは気持ちのいいものだ。ほうと息を吐いたら、言うつもりがなかったことまで言ってしまった。


「私さあ」

「んー?」

「時々、兄ちゃんと本当に兄妹なのか分からなくなるんだよね」


兄ちゃんは恐ろしく頭が良い。運動も出来て、成績も良くて、モテモテで、気が利いて、自慢の兄ではある。私はといえば、賢いわけでもなく成績は中の下で、運動は得意な方ではない。兄妹なのになんて差だろうとは思う。並んで歩いていても、隣のきらきらしたオーラが眩しくて、私はその光に目を細めるばかりで。「あなたラビのなんなの?」って聞かれることもある。妹だと言っても信じてもらえないのは、瞳もタレ目じゃないし髪の色も好みも賢さもちがうからだろう。性格はそっくりらしいが。
シャワーでゆすがれて排水口に流れていく泡をじっと眺めていると、いつもより優しい兄ちゃんの声が隠って聞こえた。


「名前はちゃあんと 俺の大事な妹さ」

「…そう?」

「当然だろ」

「兄ちゃんは嘘吐きだからなあ」

「信じられん?」

「………いいえ」

「それでよし」


気付かれないようにちらっと視線だけ見上げたつもりだったけど、ばっちり目が合ってしまった。ぽたぽたと忙しなく滴る雫が姿を時折ぼやけさせる。にこりと優しく笑うから、ああこの人が兄で良かったとひどく安堵した。差を感じてはいるものの、劣等感を感じたことがあまりないのは紛れもない兄ちゃんのお陰だった。今言ってくれたように、兄ちゃんはいつも私を大事に思ってくれていて、そして私も誰よりも大切な存在だと思ってる。超越した家族愛かもしれないなあと面白がって、こっそりにやけた。兄ちゃんは世界でたった一人の 特別な私のヒーローである。


「兄ちゃん好きだよ」

「悪いけどオレ そっちはちょっと抵抗が」

「勘違いしてんじゃねーよ気色悪い」





マカロン・ガール・サディズム


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