まさか、小さい子にこんな台詞を言われるとは思ってなかった。


「ヒトゴロシ」


持っていたティーカップががしゃんと音を立てて、中身の紅茶がカウンターから滴り落ちる。自分でも驚くほどに動揺してた。だから、気付けなかった。その子どもの目が可笑しいくらいに異様な色をしていた事にすら。男の子はにこにこ笑っていた。オレンジジュースのコップを持つ手に、水滴が落ちていた。気付かなかった。その彼の手が奇妙な音をたてている事にも。


「お姉ちゃんはヒトゴロシしてるんでしょ?」


僕は知ってるよ、って無邪気に言う。からんからんと音がして誰かがカフェに入ってくる。私は彼から目が離れなかった。膝の上にさっき零した紅茶がぴちゃりぴちゃりと、冷たく落ちる。それを拭うことすら出来ない。
なにを言ってるの?諭すように、笑顔で、首を傾げた。きっとひきつってるし、ひどい笑顔だと思う。


「…ぼく?」


情けない。声が震える。「ヒトゴロシ」言われればそうかもしれない。だから、こんなに核心をつかれたように動けなくなったのだ。だけど私たちがやってるのは救済で、それとは違うんだと声がする。でも。あれ?私は、ええと、エクソシストで神の使徒で救済を、人のために、ううんと。ぐるり ぐるり ぐにゃり。頭の中が混乱してうまく回らない。


「ははは、ヒトゴロシがこんなとこで茶なんて飲んでる」


ケラケラと嗤いながら指を差される。子どもらしくない、ふと考えたとき、いきなり彼の目が奇妙なくらいに大きく開いた。漸く「あ、AKUMAだ」って気付く。ほんと、鈍い。嫌になる。急に出てきた大きな機械になおも呆気に取られて、ついでにさっきの言葉がいつまでも脳裏から離れなくて、しつこくて、反応が随分遅れた。エクソシストには致命的。AKUMAが私の頭に焦点を合わせた。


「まったく 余計なこと言ってくれんさ」


軽い台詞とはミスマッチな、豪快な音が轟いた。機械に負けず劣らずの巨大な鎚がその上に下り立って、AKUMAはあっという間にぺしゃんこ。なんだ、さっき入って来たのはラビだったんだ。…なんだ、あっという間だなあ。そういえば待ち合わせをしていたんだったっけ。イスを回転させて後ろを振り向く。悲鳴やら怒号やら、ざわめくカフェ内を物ともしない様子でラビはにこりと笑って、私の方につかつか歩み寄って来た。手首ががっちり掴まれて、強引に店から引っ張り出される。店の修理代はどうするのかとか、あの混乱はどうするのか聞く前に、まずすたすた歩いてくラビに追い付くのは案外大変だった。呆れた声が上から振って来た。


「馬鹿じゃん。油断すんなさ」

「ごめん」

「任務が終わっても、どっから湧いて出てくるかわかんねえんだから」

「うん」

「ホントに分かってんのか」


手首を掴まれたままなのが気になって、つい生返事をしてしまう。ラビは、リナリーのときと違って私の扱いがちょっと雑な感じがする。


「名前」

「ん」

「名前はエクソシストに、疑問を持ってるんか」

「…」

「だから動けなかったんだろ」

「、よくわからないよ」


足が止まった。ラビが私を振り向く。翡翠色の瞳に心臓がどくりと跳ねた。


「エクソシストは絶対的な正義じゃないってことしか、わからない」

「なにが正義かなんて誰も知らないさ」

「…」

「オレらの掲げてる正義は、勝手に作られたもんだからな」

「それじゃあ、なにも信じられなくなるよ」

「だったら自分が正しいと思ったことだけ、信じればいいさ」


めちゃくちゃだ。そう思ったのに、なにも言えなかった。
私はエクソシストを誇りに思っていた。この仕事は、絶対的な正義なのだと。それでも、確かにヒトゴロシには違いがないのだと気付かされて、それが揺らいだ。本当は心のどこかで疑っていたのかもしれない。だから、私は、言葉にされて怯んだのだ。


「ずきずきする」

「どこが」

「心が痛い」

「…うざいから泣くなさ」


ラビって、やっぱり私の扱いがひどい。別に泣くつもりはなかったと言っても鼻で笑われるだけだった。ぼろぼろ頬を伝う塩水が口に入ってしょっぱい。


「辞めたくなった?」

「…やめ ない」

「なんでさ」

「まだ、信じられるものがあるから」

「オレたちのやってることがたとえ人殺しで、汚かったとしても?」

「うん」


そうだ。私には、まだあるのだ。大切な希望が。

ラビの手がぱっと離れた。じりじりする。私、女の子なのに、容赦ないよなあ。そっと手首を撫でて、ラビを見上げる。汚い顔だろうなあ。


「仲間が私の誇りだもの」


でもそれだけは、譲れない。偽善者だって、人殺しの集団だと言われても、たとえそれがいつか本当になったとしても、私は今を信じる。
刺さった棘を抱きしめながら、生きていかなくちゃいけないこと。あの無邪気な笑顔が本当に純粋だったころがあったのだと、忘れてはいけないのだ。


「ラビ」

「ん」

「助けてくれてありがと」

「どーいたしまして」


ラビが私の頭を乱暴に撫でる。それから、さっきとは比べものにならないくらいにやんわりとした力で私の手を握って、歩きだした。



201?0809 執筆
20121016 加筆修正

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