「いつまで泣いてんさ」


呆れたラビの声に、顔を腕に埋めたまま鼻をぐずらせる。ゆうに一時間はこの状態だった。そりゃ呆れもする。


今日は早く目が覚めたのだ。休日は十時起床が当たり前で、布団をひっぺがされてもごろごろだらだらの私が四時だなんて聞いたら、ラビは雪でも降るんじゃないかと空を見上げるかもしれない。その表情はきっと、からかうような笑顔だろうなあ。
二度寝をするには目が冴えていた。ちょうど借りてきた恋愛もののDVDをみようと思い立って、隣で眠るラビを起こさないように布団から出る。窓を見れば少しだけ空が白んでいた。それから。


「(…涼しい)」


風が吹いた。窓から差し込む朝の光が、空気が澄んでいて、夏から秋に移ろうこの時期の空気感をとても愛しく感じた。風がまとわりつく。ひやりとした酸素が肺の中に巡っている。はあ、と息を吐いて、はっとした。腕に生暖かい液体が跳ねていた。ぼろぼろと溢れ出して止まらない。悲しくも、うれしくも、ひしと画面の中で抱き合う二人を見てもなにも感じないのに、たえまなくこぼれていく涙が不思議でたまらなかった。


「はよ〜」


タイミングが良いのか悪いのかそこでラビが起きてきて、だらしなく鼻水まで垂らしてるわたしを、八重歯を見せて笑った。画面にはエンドロールが流れていた。






「お前も涙もろいよな〜」

「…前はこんなんじゃなかったのに」

「年かね」

「うるさい」


あやすみたいに頭をよしよし撫でてくるラビの手を払った。まだ若いってば。愉快そうに笑われる。
洗濯物を取り込んでくれたらしく、ソファに座って畳む姿が見えた。ラビの足下に、きれいに揃えられたバスタオルや洋服が時間をかけて積まれていく。


「…いま何時?」


泣きはらした目で見上げたラビは、やっと終わったかといった表情をして「七時さ」と答えた。柔らかな笑顔だった。口元はゆるく弧を描いていて、細められた瞳から放たれる翡翠色の光が眩しく感じられる。暖かなオレンジの髪が風でふわりと揺れた。

ああ わたしの隣にいるこのひとは、本当に同じ人間なのだろうか。神様は、なにを思って彼を生み出したのだろう。近頃はそんな果てもない考えばかりが頭を支配している。なぜわたしは、彼の隣にいられるのだろう。


「…」

「?」


ラビがソファを下りて真横に座る。それからなにを思ったのか、わたしの腕を軽く掴んだ。膝の前で組まれていた両手は解かれて、自由になった左手がぎゅうと握られる。すこし痛い。意図してることがわからないままラビを見ると、朗らかに微笑まれてなんだか戸惑った。なに、なに、言ってくれないとわからないよ。


「二度寝でもするか」

「え まだ七時過ぎたばっか」

「お前が寝るんさ」

「なんで」

「クマがすごい」

「げっ」

「起きたら散歩に行くからな」

「な、なんで」

「しどろもどろだな」


今日はラビがよく笑う。眩しいな。太陽みたい。また泣いてしまいそう。
ぱっと手が離されたかと思えば、肩に手が回って左にぐいと引っ張られた。ラビの太ももに頭が着地。すかさず今度は右手を握られて、さあ寝ろと言わんばかり。


「ほら、起きても側にいてやるから」


ちいさな痛みや手の温かさが、わたしもラビも、おなじ人間なんだなあと思わせた。わかりきっていたことなのに、なんで難しく考えようとしていたのだろう。うとうとと閉じていく瞼が、思考を溶かしていくように眠気を誘う。


「おやすみ」

「 うん」


この温かさがいつか離れてしまうかもしれないけれど、考えても仕方がない。今を大切に、ラビと生きていけること。それだけで幸福だ。


「ちゃんとここにいるからな」


撫でられたところから伝わるラビの温度が愛おしかった。届いた言葉がなによりうれしかった。ああ すきだなあ。だいすきだ。眠りから覚めたら、一番に伝えよう。心地よい微睡みに身を委ねながら、頬をゆるめた。



20121017

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