朝になってみると、彼女がぱったりと消えてしまっていた。出かけるときにはあるはずの置き手紙すらない。心配になって電話をかけても留守番に繋がって、普段はなんとも思わないアナウンスにいらいらする。いつものメンバーに聞いても一様に知らないの返答でますます心配になってきた。祐希の答えも同じ。でもちょっとちがう。


「家出じゃないの」

「…そうかな」

「なにしたの悠太」

「なにもしてないよ」

「愛想つかされたとか」

「えー」

「浮気だったりして」

「うるさい」


ぶつ、と受話器のボタンを押した。どうせからかってるだけだろうから謝らなくてもいいかな。

テーブルが不気味すぎるほど真っ白で、まっさらだった。シンクにぶつかる水滴が静かな空間に微かに響く。通学中の小学生がじゃれてる声とか、慌ただしく部屋を出ていく人の足音とか、鳥の囀りとか、外はいろんな音で溢れている。のに、この部屋にはなにもない。毎朝ぼさぼさの寝癖を掻きながら、寝起きのむっとした表情でおはようと言ってくれる声が、ない。もやもやする。


「……置いてってるし」


なんだ。どうりで繋がらないわけだ。テーブルの下に置き去りにされたそれを足先でつついた。ちかちかライトが点滅する。出てもらえない電話。溜まる着信履歴。サイレントマナーのまま静かに光って転がっている。


「静かだなあ」


ふらふらとあてもなく視線をさまよわせる。


「悠太髪むすんで!」

「自分でやりなさい」

「あっ靴下に穴が開いてる!」

「縫えばいいじゃない」

「縫ってよ」

「忙しいから無理」

「優雅に珈琲飲んでるじゃないー!」


いつもだったら、とにかく彼女の立てる音で騒がしい朝なのに。どうしてこんなに落ち着かないんだろう。慌てた声をからかって、なだめることもない。ばたばたうるさくないし、珈琲だってゆっくり飲めるのに。捕らわれなくていい。気を遣う必要もない。

もしかしたら、神様から与えられた自由なのかもしれない。好きなように生きて良いのだと、言われてるみたいだとふと思う。


「…はやく 帰って来ないかなあ」


気付けば太陽は真上にあった。ぎらぎらと世界を照らしている。部屋には俺の命だけが息づいていて。なんだかなあ。彼女のいなくなった世界はあまりにもさみしい。ひとりぼっちで生きていくことが、苦しい。彼女の笑顔は、どこに行ってしまったのだろう。嗚呼、もう。


「浮気だったらどうしよう」


しゃがみこんで頭を抱えた。あーあ ちょっと連絡がつかないくらいでここまで不安になるなんて。俺だけ世界に取り残して、どうするつもりなんだろう。ねえ 新手のいじめですか。

探しに行こうか。そう思ってよろよろと立ち上がったときに、ドアの開く音。彼女の声。


「ただいまぁ」


間延びしたそれに、心臓がスピードをあげて鼓動する。胸の奥が熱くなってきた。俺の目が捉えた彼女は、申しわけなさそうな表情でへらりと笑っていた。


「ごめんね、バイトの早番が急に入っちゃったの」


その言葉が耳に届く前に、呆然とした頭では足を前に踏み出すことを命令して。それから、ゆっくり腕を伸ばす。抱きしめた彼女は、柔軟剤と汗の匂いがすこしだけした。走ったんだ。頭を肩口に埋めると、くすぐったそうに動くのが愛おしいと感じて息を吐く。浮気じゃなくて良かった、呟いた言葉にからからとした笑い声が返ってきた。


「おかえり」



120607

企画 それでも世界は廻る 様 提出
ありがとうございました