事務所からマスタコースの寮へ向かうことになり、どこか緊張した面持ちで隣を歩く少女を見つめる。桃色のふわりと風に靡く髪、大きくパッチリ開いた綺麗な瞳、目が合った時に見せた笑顔。まるで花が咲いたような可憐な笑みに、同性ながら胸が弾む。

暖かい春を思わせるような雰囲気の彼女――ナナミ ハルカさん。私の間違いでなければ、王子の話していた相手はこの人だろう。話の内容と見事に一致している。

「……あの、外国から来られた方ですよね?」
「Yes。アグナパレス、キました」
「日本語はお話出来ますか?」
「スコし」
「では、改めまして、私は七海春歌といいます。シャイニング事務所の作曲家です。よろしくお願いします!」

勢いよく下げられた頭に歩みが止まる。そういえば、日本人は頭を下げるのが好きだと行きの飛行機で読んだ雑誌に書いてあった。確か、誠心誠意を込めた謝罪をする時はドゲザというものをするのだとか。日本の風習や言葉は母や王子から学んではいたけれど、なかなか理解し難い部分がある。これが文化の違いというやつだろうか。

「ナマエとヨんで、ミューズ」
「ミューズ?」
「ミューズ、オンガクのメガミ。オウジのタイセツなヒト」

貴女のことですよ、と直接的に言ったりはしない。それは私が口を挟んでいいことではないと重々承知しているから。
少し一緒にいて、少し会話をしただけでもわかった。この人の傍は、とても心地よい風が吹く。風に乗って、今にも音楽が聴こえてきそうなほど空気が澄み渡って――

『聴こえる…』
「ナマエさん?」

この澄んだ、空気の振動が伝わる歌声は聞き覚えがあるなんてものじゃない。このあたたかい声の主はあのお方だ。私が間違えるはずない。

『王子の歌声が聴こえる!』
「待って、ナマエさん! そんなに走ったら危ないですよ!」
『こっちです! 一緒に来てください!』

か細い腕を引きながら走り続けると、後ろで誰かの声が聞こえた気がした。しかし、今はそれよりも何よりも優先すべきことが私にはあるのだ。






歌が終わり、駆け寄ろうとして体勢を崩した姫様を、優しく名前を呼んで受け止める王子。その声色は、幼い頃泣いてばかりだった私を慰めた時とも、私を褒める時とも、私と笑っている時とも、私の名前を呼ぶ時とも違っている。そう、王子は遠い異国の国で、ようやく心から愛する人を見つけられたのだ。

「ねぇ、君大丈夫?」
「っ……すみ、すまみせん?」
「すまみせん?」
「『すみません』って言いたいんじゃないかな?」
「なるほど。惜しい」

さっき林檎さんに笑われてしまったから、と言い直してみたものの、やはりどこかしらおかしいらしい。再び王子にお会いできた嬉しさから滲んでいた涙を拭い、私の周りに集まった色鮮やかな髪色の男性陣を見回した。

「ガールは一体どこから来たんだい? もしかして、新人アイドルでマスターコースに?」
「神宮寺、婦女子に対して近すぎるぞ!」
「そんなことないさ。彼女、あまり気にしてないみたいだし」

ね?と小首を傾げ、青い瞳を細める彼が何かしら同意を求められていることはわかった。でも、早口で会話されていては私の日本語変換機能では追いつけない。首を傾げ返せば、彼は困ったようにさらに首を傾げた。

「あー!」
「七海になんてことを…っ!?」

隣で大声をあげた二人の視線の先には、王子と姫様。甘い雰囲気が漂っているように見えるのは、どうやら私だけではないようだ。周囲の男達の顔つきが変わり、各々気分を害したことが窺える。

手の甲へ口付けることは、日本ではそうない。日本人は慎ましく、人前では異性との接触をあまり好まない。そう読み聞いていたけど、まさかこんなに大袈裟な反応をするとは予想外だ。元々王子は素直な性格で愛情表現もストレート、思ったまま行動する。これでも控えられている方だ。

そんなことを考えていたら、一瞬にして場の空気が凍りついた。不思議に思い視線を二人に戻せば、王子は姫様に顔を寄せ、その唇を重ね合わせようとしているではないか。
あぁ、あの方は自重なんてできなかった。全然控えられてなんていなかった。

「離れてー!」
「何やってんだよ、お前!」

私の周りで様子を窺っていた人達が、一斉に二人の元へ走り出す。かと思えば、姫様を守るように二人が壁を作り、三人が王子に掴みかかり行動を制限し、何かを叫ぶ。
それを見た瞬間、一気に頭に血が上った。失礼にも王子に伸ばされていた手を強く叩き落す。女として身長が高い方だと言っても、相手はもっと高い。私より頭一つ分は上にある男の顔を睨みつけ、深く息を吸いお腹に力を込めた。

『王子に何をするんです、無礼者! このお方はアグナパレス第一王子、セシル様ですよ! その汚れた手をお放しなさい!』
「な、この子…?」
「聞いたことありませんが、何語でしょうか?」

戸惑った日本語が聞こえ、そこでようやく自分が日本語を話していなかったことに気付く。これは私の悪い癖。昔から王子のこととなると我を忘れて相手に噛みついてしまう。尤も、私自身は直さなくても問題ないと思っているのだが。

『ナマエ、少し落ち着いてください』
『王子!』
『彼等はハルカの友人、汚い言葉を使ってはいけません』
『ですが、不躾に王子の首根っこを掴むなど許されることではありません!』
『ワタシが許しているのですよ、ナマエ。でも、ありがとう』

事態を飲みこめていないらしい彼等の不思議そうな顔に、王子の言葉で治まりかけた怒りがふつふつと込み上げる。しかし、王子に止められてしまっては、これ以上何か言ってやることはできない。
思わず顰めてしまった顔を見せないように俯けば、姫様が焦ったように声をかけてくれる。さすが、王子の心を射止めただけあって中身も美しいらしい。きっと「大丈夫?」と訊いてくれたのだろう、王子が「いつものことです」と代わりに返してくれた。

不意に、どこからか高らかな笑い声が聞こえてきた。全員が動きを止めて見回してみるが、なかなか声の主は見当たらない。何となく視線を向けた姫様の後ろに突如人影が現れ、驚いて反射的に王子の服を掴んでしまう。やっぱりというか、声の主は事務所で別れたばかりのサオトメさんだった。

「紹介しましょう! 彼の名は愛島セシル! 音楽の国アグナパレスよりやってきた、正真正銘本物のプリンスデース! ミーがスカウトしてきました!」
「王子!?」
「何でそんな奴が…!」
「そして隣で睨んでいるのは王子様の従者、名字ナマエ! Mr.アイジマはマスターコースの一員、従者である彼女とも共に過ごすことになるでショウ! というわけで、仲良く頑張ってチョウダーイ!」

王子が姫様を優しく見つめ、そんな王子を怪訝そうに見つめる人達。場に何とも言えない雰囲気を残したまま、サオトメさんは大空へ飛び去っていく。どこから現れ、いつの間にヘリを準備したのか、彼に対してこれ等の質問が愚問であろうことはすでに察しがついてしまった。


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