夕方、私はいつものように夕食の準備に取り掛かっていた。と言っても、王子が料理をしやすいよう下準備をするだけ。本当は、料理なんて王子にさせるようなことではなく、私がすべきことなのだが。如何せん、カミュさんが許してくれなかった。

『貴様が何から何までこなして、それが愛島をますます甘ったれさせていることがわからんのか。名字、貴様のその忠誠心だけは認めてやっているが、甘やかしてばかりでは奴のためにはならんぞ』

そんなお説教を受けて以来、王子のことに関してはお手伝い程度に留め、全てをこなすことは我慢している。ただ、王子は朝が弱いので、朝起こしに行くことだけは何とか許可してもらった。その時もカミュさんはあまりいい顔をしなかったが、自分の起こす手間を考えた結果だったのだろう。
それに、お世話をするためにアグナパレスから来たのに、何から何まで禁止されては何をしに来たのかわからない。従者として失格と言われてしまう。そう言えば、仕方なさそうに大きな溜め息を吐かれた。

「おかえりなさいませ、オウジ!」
「戻りました、ナマエ」
「オウジ、何かあったのですか?」

カミュさんより遅れて部屋へ戻ってきた王子は、悲しそうに眉を下げて私を見つめる。どこからどう見ても落ち込んでいるようにしか見えない。最近、何かと考え込んでいるところを見かけるし、単純に疲れているだけとは考えにくい。一体何があったと言うのか。

質問に答えることなく俯いてしまった王子の手を引き、キッチンスペースへ誘導する。ここならカミュさんの位置からは死角になっているし、小声で話せば内容は聞こえないはず。思った通り、カミュさんを気にする必要がなくなった王子は、ポツポツその心情を呟き始めた。

「ハルカは、ST☆RISHを好きすぎます。魅了されている。そのことを考えるともやもやして、胸が苦しい」
「ほんとうに大切におもっているなら、しかたがないことです」
「愛しているとはこういうことなのでしょうか…?」
「さびしいのですか、オウジ」
「……そうかもしれません」

ぎゅう、と腰に回された腕。肩に額を乗せて深く息を吐く王子は、とても疲れている様子だった。慣れない寮での生活、カミュさんからの課題、アイドルとしての勉強やトレーニング、そして胸の奥へ仕舞い込まなくてはいけないハルカちゃんへの淡い気持ち。何か悩まれているようだし、身体的にというよりは精神的な疲れが溜まってしまったのかもしれない。

「もっとワタシを見てほしいのに…」
「ハルカちゃんは、やさしい人です。だからオウジにも、ほかの人にもやさしい。オウジがしたうのは、そんなハルカちゃんではないのですか?」
「Yes。ハルカは優しい、とても。それはわかっています」
「オウジは、とてもすてきなだんせいです。私の目には、いつもかがやいて見えているのですから。ハルカちゃんにオウジのことをしってもらえば、だいじょうぶです」

弱弱しく頷くものの、王子は頭を上げずにジッとしている。そっと頭を撫でれば、力を抜いてますます私へ寄りかかってきた。少し重かったけど、それだけ心を許され頼られているという証明だ。従者の私からすれば喜ばしいことに他ならなかった。

「ナマエは、もう彼等の歌を聴きましたか?」
「いいえ。それはまだです」
「では、聴いてみてください」
「オウジ…?」

真剣な表情で私を見つめる王子に頷くと、複雑そうに息を吐かれた。聴いてほしいと望んだのは他でもない王子なのに、この反応はどういうことだろうか。

「ナマエは、ワタシから離れないですよね?」
「オウジからはなれることは、ありえないのです。めいれいなら別ですけど」

そこでようやく顔を上げた王子が、あまりに嬉しそうにはにかむのでくすぐったい気持ちになった。何度となくこのやりとりをしてきたが、王子はいつも嬉しそうに笑う。その表情が、幼い頃から変わらないことが嬉しくて。やっぱり私も笑顔になってしまうのだ。






とりあえずST☆RISHについての話を聞こうと、二人でハルカちゃんの部屋へ向かう。作曲家である彼女は、すでに彼等の歌を何曲か作曲しているらしい。その話をする王子は、やっぱり寂しそうな顔をしていたものの、これ以上私にできることが見つからず。何となく、少し前を歩く王子の脇腹を突いてみた。

「にゃっ! な、何をするのですか!?」
「くらいかおは、にあわないです。私、オウジにはわらっていてほしいのです。オウジには、えがおがいちばんにあうのですから」

キョトンと目を丸めてから、ふっと力を抜いて表情を崩す王子。そっと頭に置かれた手が優しく、あやすように、お礼を言うように髪を撫でられる。日本へ来てからナツキやレイさんにも撫でられたけど、やっぱりこの手の大きさ、体温が一番落ち着く。

「ん…? 何か、話し声が聞こえませんか?」
「このへやからですね」
「セシルとナマエ! いいところに!」

覗いた部屋の中から駆け寄ってきたオトヤが、満面の笑みで私達の手を引く。半ば強引に部屋へ入れられたかと思えば、王子を椅子へ座らせる。隣に座っていたショウが私に席を譲ろうとしてくれたが、丁重に断りを入れ、定位置でもある王子の後方へ立った。
中央には、黄色の見慣れない服を着たトキヤとマサト。トキヤは頭に何か飾りをつけていて少し可愛い。どうやら、女性の格好をしているようだ。

皆でマサトの受けるオーディションに向けて特訓をしているらしいのだが、その内容が少し変わっていた。なんでも『抱擁できるようになる』ための特訓なのだとか。先程まで抱擁紛いのことをしていた私や王子からすれば、そんなに苦労することなのか首を傾げるような内容ではあった。が、以前ナツキが選んでくれた服を着ていた時の出来事を思い出せば納得もいく気がする。慎ましい日本人、それは正にマサトのような人物を指すのだろう。

そんなわけで二人の演技が始まった。トキヤは涙を流し、きちんと女性の役を演じきっている。マサトも演技はしているものの、いざ抱き締めるシーンになると、手を伸ばすことができずにやり直し。結局、何度やってもマサトがトキヤに触れることはなかった。

「何故、男性が女性の役を演じているのですか?」
「演じられる女性がいないからですよ」
「ナマエもハルカもいるではありませんか」
「けどよ、名字に演技させるのは難しいんじゃね?」
「触れる特訓からすればいいのです。ナマエ、大丈夫ですか?」
「はい、だいじょうぶです」

盲点だったとばかりに皆が同意する中、マサトはそれを良しとしなかった。迷惑色々を気にしているらしいけど、ハルカちゃんはともかく、私としては何の問題もない。王子はマサトに協力したいようだし、ならば私はその希望を叶えるだけ。

渋り続けるマサトの前に立ち、視線を泳がせている整った顔を見上げた。何度か会話を交わしている私でさえこの反応、初対面の女性相手に抱き締めるという行為をとれるか不安になる。いや、出来るようになるための特訓。今出来なくても、最終的に出来るようになればいい話だ。

「マサト、まだ?」
「う、名字…」
「かたまっていると、ふれることもだきしめることもできない」
「それはわかっているのだが……くっ!」

私の方へ伸ばされた手は小刻みに震え、まったく近づいてくる気配がない。複数の視線を受けているせいもあるかもしれないが、オーディションでも同じように複数の人目があるはず。こんなことで動揺していては先が思いやられる。私から抱きついてしまってもいいけど、あくまでマサトから触れてくれなくてはこの特訓をする意味がない。

「ガールがせっかく協力してくれてるんだ。そんな情けない姿を晒すなよ、聖川」
「お前に言われずともわかっている! しかし、嫁入り前の女子を抱き締めるなど、俺にはやはり…!」
「きにしない。オウジもそれをのぞんでいるから」
「ですが、恋人以外の異性に抱き締められるなんて嫌ではないのですか?」

その理論でいくと、私は王子に抱き締められることを嫌がらなくてはいけないのだろうか。あの行為に嫌悪感を抱いたことなど一度もない。私の感覚が鈍っているのか、それともやはり文化の違いなのか。
ふ、と視界に先程までトキヤが着ていた黄色い衣装が目に入った。鮮やかな黄色。普段大人しい色合いばかりのトキヤだけど、あれはあれで可愛くて似合っていたと思う。

「トキヤ、すごくびじんだった! 泣いたところもすごかった!」
「……美人というのは女性に対して使われる言葉です。最後の部分は、褒め言葉としてありがたく頂いておきます」
「びじんはイヤなのですか?」
「これは本来女性が身につけるものであって、私が似合っても仕方ないんですよ。せっかくですし、名字さんが着てみては如何です?」

差し出された服、と呼んでいいのかわからないものを受け取る。トキヤが着ていた時とは形状が違っていて、前が全開になっている。彼の持っており太い紐か何かで縛って着るのだろうか。

「これは何?」
「着物です。日本の民族衣装と言ったところですね」
「私はきかたがわからない…」
「でしたら、私が着付けて差し上げましょうか? 聖川さんには少し休憩が必要なようですし、着物を着た方が雰囲気も増すでしょう」
「おねがいします、トキヤ」

簡易的なものなら着ている服の上からでも平気だと言われたため、その場でトキヤに着付けてもらうことにした。

が、着るまではわくわくしていたというのに、いざ腰紐で締め付けられる段階になって後悔した。そして、帯でトドメとばかりに締められた時には苦しくて内臓が出てしまうかと心配になった。これを昔の日本人は毎日着ていたと言うから、本気で驚いてしまうのも仕方がないというもの。それでも、弱音を吐くたびトキヤがもう少しだからと励ましてくれ、何とか無事に着付けを終えることが出来た。

「オウジ! ニホンのきものだそうです!」
「よく似合っていますよ、ナマエ。馬子にも衣装です」
「こらこら、セッシー。それは女性を褒める時には使わない言葉だよ」
「そうなのですか?」
「ナマエちゃん、とーっても可愛いです!」

ぎゅー!と言いながら抱きついてきたナツキの首根っこを掴み、トキヤが「せっかく着付けたのに崩れるでしょう!」と慌てて引き離す。すみません、と謝る割にナツキは笑顔で、トキヤはやれやれとばかりに大きな溜め息を吐いた。彼が溜め息を吐くところをよく見かける気がするのは、恐らく気のせいではないだろう。

「マサト、ナツキのようにやるとだいじょうぶ!」
「四ノ宮のように、か」
「俺、想像できないんだけど…」
「つーか、想像したくねぇ…」

苦笑いのオトヤとげんなりした様子のショウ。二人がマサトを強引に私の前へ押し出す。さっきよりも眉間に皺が寄っているし、心なしか踏ん張る足にもかなり力が入っているような気がする。

「さて、名字さんには本番同様衣装を着ていただきました。聖川さん、もう一度やりますよ!」
「あ、あぁ…」
「トッキーの作戦、効果抜群みたいだねぇ」
「マサトくん、今度は近づくのも躊躇ってますね」

ここまでくると、逆に感心してしまう自分がいた。王子は何も言わなくてもこちらから触れなくても、まるで猫のように擦り寄り触れてくる。それが当たり前のように。
そんな王子が傍にいたからなのか、どうしてマサトがこんなに拒絶するのか不思議でならない。抱き締めるだけ、それも演技で要求されてだ。何故そんなにも躊躇うのか、日本について勉強しているけど未だに理解できない部分が多いらしい。

いい加減、伸ばされたまま届かないマサトの手が焦れったくなり、その手を素早く掴んで強引に距離を詰める。彼は私が動くとは思っていなかったからか、それとも眼前にいきなり顔が現れたことに驚いたからか。カチン、という幻聴と共に、石のように固まってしまった。

「人とはなすときは、目を見る!」
「は…」
「目は口ほどにはなすとききました。目をあわせることからにげてはダメ!」

私と話す時のマサトは、いつもどこか落ち着かない様子だった。目を泳がせたり、意識して距離を作るようにしたり。だから、こんなに近くでマサトの瞳をじっくり見るのは初めてのこと。
覗きこむようにその瞳を見つめ、目の前で動かないマサトの薄ら赤みがかった頬へ両手を伸ばし、刺激しないように優しく触れてみる。一瞬大きく震えたものの、その手を払われることはなかった。

「マサトのひとみ、きれい。すんでて、とてもうつくしいあお。いしのつよさをかんじるから、きっとだいじょうぶ。マサトはがんばることができる。じしんをもって」

そこまで言って、頬に添えていた手を離す。もうマサトを拘束するものは何もないわけだが、彼はまだぼんやりとこちらを見つめたまま動かない。

「マサト…?」
「――すまない、気を遣わせてしまったか」
「そんなことはない。気にしないで」
「名字は本当に日本語が上達したな。俺も、お前を見習ってさらに精進しなければ」
「NON。マサトはニホンゴ、うまい。もんだいはない」

小さく笑ったマサトは、少し元気になったように感じる。その後もマサトとの攻防は続いたが、残念ながらあまり改善は見られなかった。
ただ、以前よりもマサトを身近に感じるようにはなったと思う。実際、話す時の距離も比べてみて近くなっているようだし、この分でいけばいつかは王子やナツキのように触れられる日が来るかもしれない。尤も、そんなマサトは非常に想像しにくいわけだが。






そして迎えたマサトのオーディション。早朝、王子達の部屋へ向かう途中で偶然マサトと会った。おはよう、と短い朝の挨拶を交わしたその時から、私はもうすでに結果を予期していたのかもしれない。

「名字」
「マサト。おつかれさま」
「あぁ。お前も精が出るな。毎日掃除しているだろう?」
「かびんの水もかえているのですよ。ここは広いから、何日かけても全部のそうじがおわらない」

掃除は業者にお願いしているらしいけど、この広さで毎日となると費用もかなりかかる。そんなわけで、業者が来ない日は私が掃除をしていたりする。ただし、この広い寮内を一人で掃除するのだから、いくら掃除慣れしていても一日でこなすことは難しい。

「オーディションのことだが…」
「だいじょうぶ、だったのですね」
「何故わかった?」
「かおつき、ひとみのかがやき、えがお。わかる、とっくんのときとはぜんぜんちがう。おめでとう、マサト」

雰囲気が変わったことは、一目見ればわかる。スッキリした様子で、先日まであった重たい空気が綺麗に消えているから。それにしても、私との特訓では何とか手に触れられるようになった程度だったのに、どうやって抱擁まで辿り着いたのか疑問が残る。

「どうやってこくふくしたのですか?」
「愛島と……ある人のおかげだ。演じるということがどういうことなのか、理解することができた。もちろん、あの特訓や名字がくれた言葉のおかげもある」
「私はじじつしか言っていない」
「だが礼を言う。助かった」
「どういたしまして」

私には、元気づけるつもりも気を遣ったつもりもなかった。ただ本当に思ったことを述べただけ。とはいえ、あの時の言葉が少しでもマサトの力になれたのだとしたら、私が特訓に付き合った意味があったということだ。少しでも人の力になれる、対象が王子以外でもその事実は素直に嬉しかった。

「それで、よかったらこれを貰ってくれ」
「くろい…?」
「牡丹餅と言って、米を蒸したものを餡で包んでいる。愛島から、名字は食べるのが好きと聞いて餡から作ってみた。味は黒崎さんの保証付きだ。愛島達と食べてくれ」
「ボタモチ、マサトが……ありがとう!」

甘いものだと聞き、さっそくその日の夕食後三人で食べてみた。マサトは料理が上手いらしく、ボタモチはとても美味しかった。そう、料理を習いたいほどに。
しかし、カミュさんの味覚には合わなかったらしく、もっと甘い方がいいと練乳を取り出していた。それを見た王子は、いつものように真っ青になって視線を逸らしていて。私にそこまで拒絶反応が出ないのは、甘党の母を見ていたからか、それともやはり多少味覚がおかしいからなのか。

食後、美味しいボタモチのお礼をした方がいいかと王子に相談してみた。すると、「マサトはブシだから義理堅い。お礼のお礼は必要ありません」と教えてくれたけど、私にはよくわからなくて。
後日、改めてアイさんに訊いてみて、勉強不足だと課題を増やされたことにより、ボタモチに関するあまり嬉しくない思い出ができてしまった。


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