周囲を見回して息を吸う。まだ緑は残っているはずなのに、それ以上に焼けた臭いが鼻につく。焼かれたせいか、足元の土は黒く乾いていて草の根一本生えてはいない。その現実に、胸がきゅっと締めつけられる。

久しぶりに戻ってきた島は、話に聞いていたとはいえあまりにひどい状態だった。かつてはその場に建ち役目を果たしていたはずの家々は炭と化し、真っ黒になっていて見る影もない。弔う人がいないため放置されたままの住人達の死体も視界に入り、そっと目を伏せた。

「ここは魚屋さん、ここは野菜屋さん…」

子供の頃から歩いていた道を歩く。面影はないけれど、何となく雰囲気で場所は理解できた。船着き場のすぐ目の前、ここはこの島唯一の市場で、毎日沢山の人が訪れて買い物をしていたのを覚えている。
母上は神子様で、この島で一番地位が高く頼りにされていて、気軽に外出は許されない身分。だから、私は父上と買い物に出ることが多かった。しっかり手を繋ぎ、離れてしまわないように同じ歩幅を保ちながら。

「この島は漁業が盛んで、土地がないので野菜や果物は貴重でした」

大きくも小さくもない島。緑は貴重だからと伐採されることは少なく、大部分をそのまま残し、必要最低限保護されていた。ただ、大切にされていたそれも、残念ながら火事で半分は焼けてしまっているけれど。

「なまえさん…」
「大丈夫です。私はまだ、進まなくちゃいけませんから」

気遣うように肩へ乗せられた手に手を重ね、気丈を装い微笑む。ジャーファルさんには、この笑顔の裏に押し込めた感情に気付かれているはず。今までもずっとそうだった。それでも彼は何も言わないでいてくれるし、今は誰に何を言われてもこの足を止めるわけにはいかなかった。

武官さん達に島の人お墓を作ってもらっている間に、私とジャーファルさん、ヤムさんは奥へ向かう。この先にある建物は、一つだけ。

「この林を抜けた先に、私達の暮らしていた家があって……その近くに本殿があります。きっと、傷付いていない木造建物というのは神社のことです」
「何故焼けていないのかしら?」
「話を聞いた限りでは、恐らく母上が結界を張っていたためだと思います」

“ルフの神子”の力は、それは強いものだった。その魔力故か他に理由があるのか、代々神子様は身体が弱いことが多い。それは当然母上にも当て嵌まり、幼い頃から身体が強いとは言えず。成長につれて力は増し、身体は徐々に弱っていったと聞いたことがある。

ただ、次代の神子様にと育てられている私は何故か違った。幼い頃弱かった身体は日に日に強くなり、父上と一緒に剣を振るったり、魔力操作を教わるようになったのだ。それでいて、魔力も少ないわけでもなく。
なのに、両親や村の人達は一度も不思議がったり不審がったことはなかった。理由を聞く前にこんなことになってしまったため、もう二度と聞くことはできないだろうけれど、今思うと色々と不審な点が思い出された。

「着き、ました」

緑に周囲を囲まれた木造の建物、神社が見える。脇には本殿よりは小さい建物があり、その離れが私達の家だった。いつでも素早く本殿へ移動できるようにと、境内の中に建てられたのだ。早く行きたい、でも怖い。そんな気持ちで懐かしいそこへ一歩踏み出そうとすると、太陽の光を受けて何かが光った。部分的ではなく、神社の境内全てを包み込むようにして輝いている。

「なるほど。この薄い膜が中への侵入を妨げているというわけですか」

通常目視できないはずの結界がジャーファルさんに見えているというは、結界の力が大分弱っている証拠。この島の周囲に張られていた結界が消えてしまった時点で、この結界もそろそろ限界だとわかる。むしろ、今日まで消えていなかったことに驚いてもいいと思う。

「どういう命令式で動いているのかしら」
「すみません。これは代々の神子様にだけ伝わっているもので、私も詳しくは教えてもらえませんでした」

私が掌を添えるように置けば、薄い膜は一瞬にしてパチンと弾ける。驚くヤムさんに方法を問われたけど、触ったら解けてしまったため私自身理由はわからなかった。初めてこの島を見つけたシンドリアの人達は入れなかったと言っていたし、触っても解けなかったらしい。だとしたら、この先に在るものを守っていたということだろうか。

新たな疑問が生まれてしまったが、行く先は変わらない。警戒しながらも境内の中へ入る。しかし、特に変わった様子はなかった。完全に安全とは言い切れないものの、いつまでもこの場に留まってはいられないからと、とりあえず一番近くにある離れへ向かう。
建てつけの悪い、古びた戸に手をかけてゆっくり開く。一瞬にして、その場は中から漂ってくる木の匂いに包まれた。外の現実が嘘のように昔と変わらない様子に、思わず涙ぐむ。懐かしい。そう感じられるほど、私の知っているまま変わらなかった。

「この離れで、私は母上と父上と三人で暮らしていました。当時のままです」
「隣の大きな建物は…?」
「ルフが集うとされる神聖な場所です。祈祷や結納、結婚する場所でもあります。この島では、夫婦になるためにはルフの祝福を受けることが絶対でしたから。神子様とルフの前で契るんですよ。拝殿では結界も――」

そこまで説明して唇が震え、声が出なくなる。
朔の日になると結界の力が一時的に衰えるため、満月が島の天辺へ登った時に張り直す。黒いルフを纏った彼等に襲われたのも、丁度その日だった。もしも弱った結界を張り直そうとしたのなら。そのためにあの日母上が戻って行ったのなら。もしかしたら、と最悪な光景が目に浮かんでしまう。

考えたらいてもたってもいたれず、一気に駆け出す。後ろからジャーファルさん達の声が聞こえたけれど、一刻も早く確かめなくては。あの場所を。だって、あの場所にいるかもしれないから。いてほしくないようないてほしいような、そんな複雑な気持ちを抱いたまま足を動かす。

「なまえさん!」
「まだ一人での行動は危険だわ!」

向かう途中、脇道から拝殿へと点々と赤い道が出来上がっているのを見つけた。あそこは、父上が私達を庇った道。父上は生きていたのだろうか、そうして逃げてきたのだろうか。急げ、急げと命令しても、普段の運動不足も祟ってかこれ以上スピードは上がらなかった。

「あ……」

駆け込んだ拝殿の奥、祭壇の前に、何かが横たわっている。服を着ている。人間だ。見覚えのある、私のものと似たような形の服――地の色がわからないほど血まみれになっている――を着た人と、赤と白を基調とした許された人しか身につけられない神子様の服を着た人。外から続いていた赤い道は、そこで途切れていた。

一歩、また一歩と近づいてみる。
手と手を取り合い、寄り添い合う人影が二つ並んでいる。

「これは……」
「死んでいる、の…?」

後ろで小さく声がしたけれど、振り返る余裕はない。目の前の二人から目を背けることなんてできなかった。

二人の前に膝をつき、固く握り合うそこへ自分の手を乗せる。冷たい。ひんやりしていて、熱が通ってない証のように真っ白な肌をしていた。特に、一人は元々色白だからとても痛々しい。それなのにどうして、二人はこんなにも柔らかい表情で眠っているのだろう。誰のものかもわからない血を頬につけ、目を瞑ったまま微動だにしない二人を前にして、無理やり口の端を上げて笑顔を作る。

「ただいま戻りました。父上、母上」

眠っている時まで二人一緒だなんて、本当に仲のいい夫婦だ。色々訊きたいことがあった。私を逃がした後のこと。苦しかったのか。辛かったのか。何を思ったのか。伝えたいこともあった。三人で食べる食事が大好きだとか、もっと剣を教わりたかったとか、神子様に憧れていたとか。でも、もう訊くことも話すこともできない。
よくよく見れば、母上の服は血濡れている。攻撃を受けて負傷したのか、それともここまで父上を担いできて血がついたのか。どちらにせよ事実は変わらないけれど、出来るなら後者であればいい。そう思いながら血で濡れ固まっている部分をそっと撫でると、小さく紙が擦れる音がした。

恐る恐る、合わせ目から手を入れてみる。懐には、丁寧に折られた文が入っていた。血で汚れていないところを見ると、服の血が乾いた後に入れたのだろう。震える手をそのままに文を開けば、懐かしい母上の文字が並んでいて。少しだけ、文面が霞んで見えてしまう。


――なまえへ

久しぶり、ということになるのかしら。この手紙を貴女が読んでいる時、それは私の結界が解けた時でしょうね。書きたいことはたくさんあるけれど、話しておかなくてはいけないことを書いておきます。

まず、襲ってきた黒いルフを纏う人達は『アル・サーメン』といって、以前からこの島を狙っていました。この島の神子は大きな力を持っている。その力を利用しようと考えたのが彼等でした。神子である私のことも、次期神子になるであろう貴女のことも。特に、貴女は私とあの人の子ということで目をつけられているでしょう。気をつけなさい。

次に、記憶喪失は貴女を負の感情に染めさせないためです。彼等が島を襲い、私達の目の前であの人を刺した理由は堕天させるためでもありました。堕天とはルフが黒くなった状態のこと。ルフが黒く染まれば、今よりも強力な力を得ることが出来ます。ただし、それは闇に取り込まれるということ。決して道を踏み外してはいけません。そのために、私が封印を施しました。

記憶は取り戻せましたか? もしも取り戻せていたなら、貴女の隣にはどんな人が並んでいるのでしょうね。見られないことがとても残念でならないわ。
だって、貴女の記憶を取り戻す鍵は異性。男性を愛することだから。恐らく、記憶を失った貴女は男性に対して強い恐怖を感じるでしょう。それは記憶を封印した時の弊害です。あの人のことがあまりにも濃く焼き付いてしまった記憶を消すためには、そうする方法しか思いつかなかった。助けるには、それしかなかった。
けれど、たった一人。一人だけ、貴女が特別だと感じる人ができて、その想いが何であるかを自覚し、相手にも特別に想われて触れられた時に記憶は戻るはず。私は、その日が一日でも早く来ることを願っていますよ。

なまえ、元気に暮らしていますか? 辛くはないかしら?
いいえ。この島に辿りつき、無事この文を読んでいるということは、きっと貴女は一人ではないのよね。私もあの人も、なまえの幸せを心より祈っています。貴女が末永く笑って過ごせれば、私達は何の未練もなくルフに還ることができます。貴女ならきっと大丈夫。

どうか、最愛の娘にルフのご加護がありますように――


―― なまえ、どうか幸せになって

ピィ、とどこかから鳥のような鳴き声が聞こえてきて、同時に私を囲うように舞う白い鳥のようなもの。それを目で追えば、頭の中にあの優しい声が響いた。



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