マスルールさんを隣に座らせ、ヤムさんは何杯目かもわからないお酒を呷った。顔は真っ赤で涙に濡れていて、その姿はとても痛々しい。いつもケンカ腰のシャルルカンさんも今日ばかりは茶々をいれられないようで、やれやれと呆れながらも静かに見守っている。

「だからもう私……どうしていいか、わからないのー!」
「ヤムさん、とりあえずその右手のお酒を置きましょうか」
「やだ! 何言ってるの、もっと飲むわよ! マスルール君、いいわよね!」
「なまえ、無駄だって。コイツ完全に悪酔いしてるぜ」
「うぅ……飲むわ、忘れられるまで飲む!」

突然強引にピスティのお友達に乗せられたかと思ったら、着いた場所は予想通り酒場。
その理由は、ヤムさんが片想いしていた相手にフラレてしまったかららしい。正確には想いを伝える前に出来てしまったので、ヤムさんは不完全燃焼。さらには、その恋人が謝肉宴で一緒にいるのを見かけた相手だったという事実が追い打ちをかけているそうだ。

「ピスティ、どうにかならないの?」
「ならないよー。ヤムは気が済むまで飲むタイプだから」
「いつものことだから放っとけばいいさ」

無言のマスルールさんに頭を撫でられているヤムさんを見ると、どちらが年上かわからない。私は初めて見るけれど、ピスティやシャルルカンさんは慣れているようでそんなに心配していない様子。スパルトスさんはマスルールさんの反対側でヤムさんを慰めていて、二人はとても忙しそうだった。

「でも見てられないよ。なにか、元気になれる方法ないかな?」
「そうは言っても、失恋の痛手は大きそうだしねぇ。私はその辺よくわからないし……シャルの方が詳しいんじゃない?」
「それ、俺がよくフラレてるっつー意味じゃねぇだろーな…?」
「えー?」

口元を引き攣らせるシャルルカンさんに対し、ピスティは笑顔を浮かべるだけ。二人のやりとりを横目に、再びヤムさんに視線を戻す。アルコールが随分回っているようで、彼女の顔は先程よりも赤くなっている。けれど、一番目につくのは涙を拭って出来たらしい目元の赤。本当に痛々しい。

「真面目な話、他に好きな人とかできれば一番早いんだろうけど…」
「フラレたばっかで?」
「そうなんだよね。やっぱり、こういう時は話聞いてあげるのが一番かも。それに、ヤムって結構立ち直り早い方だからさ! 今までだって同じようなことあったし!」

ということは、今まで何度もああして泣いたのだろうか。自分の気持ちを伝えられなくて、伝えても断られて、想いが叶わなくて、その度今日みたいに泣いていたのだろうか。

「好きな人ができるってすごいことだよね」
「そう?」
「だって、あんなに泣くほど辛いんでしょう? それならしない方が楽なのに」

確かに、好きな人のことを語るヤムさんはとても幸せそうで、嬉しそうで、楽しそうだった。それなのに、今の彼女はどうだろう。誰が見たって、先日笑っていた人と同一人物だと思えないはずだ。それでも、ヤムさんは好きになった。今まで何度も恋をして、恋が終わって泣いて悲しい思いをしてきたのに。傷つくかもしれないとわかりながら、恋をすることをやめなかった。私には絶対、真似できないだろう。

「わかってねーなァ、なまえ。恋愛ってのは理屈でするモンじゃねぇんだ、心でするモンだぜ?」
「心で……ですか?」
「気付いたらそいつのことばっか考えてたり目で追ったり、気になりすぎて仕事に身も入らなくて会いたくなったり。そいつが嬉しそうなら俺も嬉しくなるし、悲しそうなら悲しくなる。そういうモンさ」

そう言って目を細めるシャルルカンさんは、少し遠い目をしてヤムさんを見つめてた。彼女を見ているのか、彼女を通して誰かを見ているのかはわからない。でも、その目はいつもより優しげで、何だかんだお互いのことを認め合っている二人だから、何か感じるものがあるのかもしれない。

そっと胸に手を当てる。心臓の鼓動が激しい気がするのは、シャルルカンさんの言葉に思い当たることが多すぎるからだろうか。瞬時に思い浮かんだ銀髪のあの人は、私の想像の中でも優しく微笑んでいて。また少し、動悸が早くなった気がした。

「シャルってばやけに具体的じゃーん。気になってる人いるの?」
「ちっげーよ! おいバカ女、お前が大泣きするからなまえが心配してるだろーが。さっさと飲んで騒いで忘れろ!」
「言われなくても飲むわよバカ!」

ヤムさんの頭をわしゃわしゃと撫で回し、シャルルカンさんは彼女の肩を抱いてお酒を渡す。きっと彼なりに元気づけているんだろう。ヤムさんは一瞬驚いた顔をしたけど、涙を吹き飛ばすようにくしゃりと笑い、いつもの調子で声を上げた。

「ねぇ、ピスティ。好きになるってどういうことだと思う?」
「急にどうしたの?」
「ん……シャルルカンさんが言ってたこと、少し気になったから」

思い当たる節がある。というよりも、まさに最近の私にズバリ当て嵌まっていた。
眠れない、仕事に身が入らないほど謝肉宴の夜――つまり、ジャーファルさんのことを思い出す。彼が笑うと、私も嬉しくなって自然と笑顔になれる。そして、彼は私が初めて自ら手を伸ばしてしまった人。

もし私がジャーファルさんのことを、好き、なら。彼に対して抱いているこのあたたかい気持ちが恋だとしたら。ドラコーンさんの言うように、あの夜の出来事は私にとって些細などではなく、とても大切な出来事になるのではないかと思った。

「一緒にいたいって感じることじゃない? 同じ時間を過ごして、触れ合って、笑い合って。まぁ、男友達からの受け売りだけどね」
「……もしフラレちゃったらって考えないのかな?」
「悩むかもしれない。辛いかもしれない。あんな風に泣くかもしれない。それでも、人を好きになれるって素敵なことだと思うよ。好きになっちゃったんだもん、それなら考えても仕方ないって。気持ちに正直になって真っ直ぐ進むしかないよ。これは私の持論ね!」

えへんと胸を張るピスティが、私の目にはやけに大きく映る。流石、恋愛経験ゼロの私と恋愛経験豊富な彼女とは考え方もまったく違っていて。友達に対する感情も、一人の男の人に向ける感情も曖昧な私には、彼女がとても眩しく見えた。

「ピスティって、思ってたよりずっとずっと大人だったんだ…」
「ちょっと、今更気付いちゃったの? 遅いよなまえ!」
「ごめんごめん。流石一番の人がたくさんいると違うよ、すごいね!」
「……それって褒めてる、よね?」
「え、褒めてるよ?」

首を傾げると、ピスティは複雑そうな表情で曖昧に笑う。何か失礼なことを言ってしまったかと尋ねても何でもないと首を振るばかりで、結局教えてくれなかった。

「おい、お前等も二人で話してないでこっち来いよ!」
「あっ! ちょ、シャル待って!」
「っ――!?」

横から突然伸ばされた手にビクリとする。尤も、その手はピスティの声に驚いたのか、私へ届く前に止まったので触れることはなかった。ほっと胸を撫で下ろし、心配そうに私の顔を覗き込むピスティにお礼を言う。

「なまえ、本当に大丈夫?」
「あ、う、うん。大丈夫」

慌てて手を止めてくれたシャルルカンさんと、そんな彼を叱るピスティとスパルトスさん。彼は今お酒が入っていて頭から抜けていただけで悪気はないだろう。だから、仲裁に入らなければと思うのに、今の私にはその余裕がない。だって、こんなこと初めてのことで、自分自身で理解が追いつかない。

まさか、伸ばされた手に条件反射で驚きはしたものの前みたいにコワくなかったなんて。いつもの震えがまったく襲ってこなかったなんて。自分の身体のはずなのに、他の誰かの身体のように感じられて、ぎゅっと自分自身を抱き締めた。



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