人の噂も75日と最初に言い出したのは誰だ。そもそも、それを立証してみせた人間はいるんだろうか。本当に75日経てば消えるだろうか、これが。この鬱陶しい視線とヒソヒソ話、噂の真相を尋ねにやって来る文官やら武官、そして現在進行形で私に詰め寄っているこの人達も、綺麗サッパリと。

「本当なのですか、ジャーファル様!」
「ジャーファル殿!」
「……噂は噂でしかありませんよ」

今日で何回目、今日で何日目。なまえさんに頼まれていた服を渡した翌日から、王宮内は私と彼女に関する噂で持ち切り。ある程度のことは予想していたものの、まさかここまでなまえさんを気に入っている官吏がいるとは思いもしなかった。

しかも、こんなものまで受け取ってしまっては噂に尾ひれがつくばかり。そっと触れた懐には、彼女からいただいた羽ペン。噂のこともあるけれど、何だか使うのが勿体ない気がしてなかなか使えずにいる。

『ジャーファルさん、これ受け取っていただけませんか?』
『これは…?』
『今までのお礼も兼ねて、と思いまして。使ってもらえたら嬉しいです』
『羽ペンですか』
『前にボロボロだと仰られていたので。その羽は、東の大陸にしかいない鳥のものらしいんです。ほら、綺麗な銀色でしょう?』

まるでジャーファルさんの髪の色みたい!と微笑むなまえさん。つまり彼女は、私の髪色に似ているからこの羽ペンに決めたのだろうか。細かい細工の施されたそれを見て頬が緩む。ほんの少し照れ臭さはあったものの、大事に使いますと答えてお礼を言ったのが数日前のこと。
なまえさんの気遣いが迷惑だったかと問われれば首を振る。彼女の気持ちはとても嬉しかったし、プレゼントも素直に喜べるものだった。お茶をしていた時の何気ない一言を拾ってくれていたなんて、と。柄にもなく、その後はしばらく機嫌が良かったことも覚えている。

ただ、その時の会話を隠れて聞いていた者がいたのは予想外で。なまえさんも噂を気にしてか、なるべく人気の少ないところで渡してくれた。それなのに『今度はなまえさんが贈り物をしたらしい』という噂が、次の日には広まっていたらしい。おかげで、噂は終息する気配を微塵も見せやしない。むしろ、日を追うごとに広まっているのは気のせいではないだろう。






その日の午後、シンについてマスルールと共に久しぶりのシンドリア国内の視察。時には王宮を出て己の目で民の暮らしぶりや市場の様子を見ておきたいということで、今日は私達にそのお役目が回ってきたのだ。

「はぁ…」
「何だ、ジャーファル。お前が仕事中に溜め息なんて珍しいな」

シンに指摘され、初めて自分が溜め息を吐いていたことに気付いた。思った以上に、私は疲れていたのかもしれない。
毎日好奇心の目で見られ、事の真偽を問い詰められ、彼女が気にしないように表情を繕って。記憶喪失色々はシンと八人将しか知らないが、彼女が男性恐怖症ということは拡散してある。彼女に直接訊きに行くような間抜けはいないとは思うが、その分が全て私に回ってくるため対応に時間がかかってしまう。

「なまえに会いに行ってもいいんだぞ?」
「……シン、貴方まで何を言うんです。やめてください」
「おお。これは大分やられているようだな」
「そうみたいですね」

普段なら下世話だと説教の一つでもしてやりたいが、あいにく今の私にその元気は残されていない。せっかく王宮を出て視察へやってきたというのに、相変わらずの視線を受けていればそれも仕方がないというもの。

「どうやらあの噂が市井にも広まっているようで……もうどうしていいのやら」
「ふむ。誰が広めたのかはわからんが、浮ついた噂のないジャーファルだから広まるのが早かったのだろう」
「まったく、これがシンの噂だったらすぐ消えるでしょうに」
「おいおい、流石に失礼だろ。なぁ、マスルール?」

マスルールは目だけを明後日に向け、何も答えない意思表示をしている。彼だって私と同じようにシンの酒癖や女性が絡みで困ったことは何度もある。今だって、シンが通れば黄色い声が上がる。果たして、この声の中で何人がシンと関係を持った、または持ちたいと考えているのか定かではない。
この笑顔が惹きつけているんだろうと、隣でにこにこしているシンを一瞥。すると、自然と溜め息が漏れる。何だって今日のこの人は、こんなに楽しそうに私を見るのだろう。

「だが、なまえと噂になったんだ。羨ましがる者もいるんじゃないのか?」
「まぁ……彼女は容姿も整ってますし、真面目で人柄も良い。誰にも平等に接することのできる人ですからね。数人からしつこく訊かれていますよ」
「ハハハ。お前もいい歳なんだし、いっそその噂を本当にしてみたらどうだ?」
「おや、シンは禁酒日数を延ばされたいようですね」

ビクリと震えたシンは慌てて自分の口を両手で塞ぎ、一瞬で顔を青ざめさせる。本当にこの人だけは、完全に酒を絶てる日がこないのではないかと思う。たった一週間でやつれ始め、20日も経てば病人のように元気をなくす始末。思わず冷たい視線を送れば、彼はマスルールの後ろへ隠れて、大きく咳払いをした。

「第一、彼女に迷惑でしょう。歳も離れている私と噂になるなんて」
「そんなに離れてないだろ。精々6つくらいじゃないのか?」
「十分離れていると思いますが」
「それはお前の主観だ。なまえがそう感じているかわからないだろう」
「……今日はやけに推しますね?」

世の中には何歳離れていても好きなら関係ないと愛し合う者もいるという。それは素晴らしいことだと思うが、あいにく私には当てはまらない。歳が離れればそれだけ価値観が違うだろうし、色々な壁があると思う。
恋愛に興味がないとは言わない。ただ、今は政務官としての仕事が何より大事だし、今までの経験上仕事よりも相手を優先することはないだろう。そんな風にしか想える相手がいなかった私に、いくら恋愛について説いても無駄にしかならない。それはシンだってわかっているはずだ。

「まぁな。記憶を失っているとはいえなまえは働き者だしいい娘だ。お前には日頃から世話になっている。それに――嫌な気はしていないんだろう?」

そんなことありません、と嘘でも言ってしまえばいいものを。この男はまったく、昔から無駄に鋭いところがある。返す言葉もなく視線だけ向ければ、シンはとても楽しそうにニヤリと笑った。

彼女に対して色めいた他意はないが、好感は抱いている。慣れぬ土地で大変だろうに、健気に記憶を取り戻そうと頑張っているのを知っているから。懐いてくれる可愛い娘を帰るべき場所へ帰してあげたいと思う。たまに見せる表情が子供のようで放っておけない。だから、ついつい世話を焼いて気にかけてしまうのだ。
そこまで考えて足を止める。まるで言い訳にしか感じられない動機に、離れていく二人の背中を追いかけつつ気付かれないよう鼻で笑う。

――もし彼女が帰ってしまったら、寂しくなるな。

自分の中に生まれた、ほんの少しの矛盾に蓋をして。



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