「うわっ」

開口一番、面倒なものを見てしまったとでも言いたげな、心底嫌そうな声を上げられた。

「…人の顔を見るなりその態度はちょっとひどくないですか」

その反応にムッとして、瀬名先輩を睨んではみたものの、泣き腫らして真っ赤になってしまっているであろうこの目では迫力も何もあったものではないだろう。
事実、瀬名先輩は怯むこともなくむしろ「なぁにその目は。誰だってそんな顔に出迎えられたらこの態度になるでしょ」と不機嫌そうに吐き捨ててずかずかと練習室に入ってきた。

「…普通は泣いてる女の子が居たらもっと優しくしてくれると思いますけど」
「ふーん、あっそ。でも俺はあんたにそんな優しくしたくもないからねぇ。
むしろ見たくもないもの見せられて、不愉快に思ってるのは俺の方なんだけど?」
「別に好きで見せたわけじゃありません!」
「はぁ?こんな誰でも入れる場所に居て何言ってんの?泣き顔見られたくないんなら誰も来ないところで泣きなよねぇ」
「…それ、は……仰る通りです……」

噛みついた言葉もそれ以上の正論で返されて、完全にオーバーキル状態だ。
いや、弁解させてもらうとすれば、今日この時間にこの練習室の使用予定が無いことは知っていたし、だからこそ誰も来ないだろうと踏んで思い切り泣いていたわけであって、私が悪いわけではないと信じたい。
それでも、油断せず鍵をかけておけば良かったと後悔せずにはいられない。
そうしていれば少なくとも、瀬名先輩にここまでボロクソに言い負かされるようなことにはならなかっただろうに。ただでさえ悲しい気持ちだったのに、まさに踏んだり蹴ったりだ。
落ち込む私をよそに瀬名先輩は練習室の片隅に向かうと、そこの机の上に置いてあったクリアファイルを「ああ、あった」と手に取った。
そこでようやく、瀬名先輩は忘れ物を取りにきたのか、と納得する。
先輩が忘れ物をするなんて珍しいこともあるものだ、と思ったけれど、それよりもよりによってそんなタイミングでここに来てしまった自分の間の悪さに嫌気がさした。
思い返せば、ここ最近はそんなことの連続だった。
別に、決定的に大きな失敗をしてしまったわけじゃない。けれど、小さなミスが積み重なって他のみんなにも迷惑をかけてしまって、そんな自分が情けなくて、ここに逃げこむように隠れて泣いていた。
しっかりしないといけないのに、思ったように上手く物事を運べない自分が嫌になる。みんなは優しいから疲れてるんだよ無理するなって言ってくれたけれど、そうやって気を遣われていることすらも自分のみじめさに拍車をかけるだけだった。
その時の気持ちを思い出して、涙が込み上げる。零れたそれを見られたくなくて、拭おうとした手をがしっと掴まれた。
見れば、眉を寄せた瀬名先輩がじっと私を見下ろしている。

「あんた、タオルとかハンカチとか持ってないわけ?」
「タオル……鞄に入ってます」
「鞄は?」
「教室、です」

正直に答えれば、はあと盛大な溜息。

「仮にも女なんだから、それぐらい持ち歩いたら?」

そう言って、瀬名先輩が自分の鞄からタオルを取り出した。

「はい、これ」
「えっ、あの、先輩のタオルが汚れちゃうし大丈夫です…!」
「いいから使いなって」

差し出されたそれを素直に受け取るわけにもいかず、手を振って辞退しようとしたものの、強引にタオルを顔に押し付けられ、目元にたまっていた水分がそれに吸い込まれていく。

「目を擦ったら赤くなるから、これ当てて。あと、腫れてるから落ち着いたらちゃんと冷やして。そしたらまあ、明日には見られる顔になってるでしょ」

続いた言葉に思わずぽかんと瀬名先輩を見つめてしまう。

「なんか文句でもあるの?」
「いえ…そんな文句なんて…。…有難う御座います」

瀬名先輩の私物であろう高級そうなタオルの、ふわふわとした肌触りが気持ちいい。大人しく言われた通りにしている私を見て、瀬名先輩は腕を組み満足そうに頷いている。
そんな瀬名先輩の様子を見ていると、悲しいという気持ちよりも嬉しさの方が勝って、知らず知らずのうちに私はふふ、と笑い声を漏らしていた。
それを耳聡く聞きつけて、瀬名先輩が驚いたような顔をする。

「なに笑ってんの?さっきまで泣いてたのに、あんたって忙しい奴だよねぇ」
「いえ、あの…瀬名先輩って、意外と優しいんですね」
「はぁ?別に俺はあんたが泣こうが喚こうがどうだってかまわないけど、あんたがいつまでもそんなブッサイクな顔してたらゆうくんが心配するから言ってやってるだけ。
勝手に勘違いしないでよねぇ、そういうのほんっとチョ〜うざぁい!」

そう言われはしたものの、今の私にはそれすらもわざと憎まれ口を叩いているようにしか感じられない。

「瀬名先輩にとってはそうかもしれないですけど、私は先輩に心配してもらったって思ったので。そういう風に受け取っておきますね!」
「…ふん。好きにすればぁ?」

てっきりまたうざいと言われるかと覚悟していたけれど、返ってきたのは全く予想外の反応。
ふい、と顔を逸らされて瀬名先輩の表情は確認できないけれど、強く否定しないということは私の想像も強ち間違いではないんだろう。
これが所謂ツンデレというものか、と思ったけれどそれを口にしてしまえば確実に瀬名先輩の機嫌を損ねてしまう。
口に出そうになったその単語をぐっと飲み込んで、私は瀬名先輩に頭を下げた。

「瀬名先輩、本当に有難う御座いました!タオル、洗って明日お返ししますね」
「別にそれは急がなくてもいいけど…まあ、わかった。ほら、気が済んだならさっさと行けば?俺ももう戻るし」
「はい、失礼します!」

今までのやりとりですっかり引っ込んでしまった涙の代わりに、浮かんでくるのは胸いっぱいに広がる幸せな思い。
ここに来たときとは真逆の気持ちと白いタオルを胸に抱いて、私は練習室を後にした。



(泣いて笑ってまた明日)