「主、ただ今帰還いたしました」

部屋の外からの聞こえた声に、書類を見つめていた顔を上げた。「入っていいよ」と促すと、「失礼いたします」の一言と共に、スッと扉が開かれる。

「お帰り、長谷部」
「はい。今日の戦績を報告しても宜しいでしょうか」
「うん、お願い」
「それでは、本日の出陣ですが―――、」

長谷部が滔滔と述べる内容は、本来その必要もない、戦場との連絡用に配給された通信機さえ使っていれば本丸に居ながらでも把握できるようなそればかりだけれど、私が目を通していないことを何も言わなくても彼は知っているのだろう。
どこそこへ出陣した。どんな敵を倒した。そんなあたりさわりのないことを告げて、よどみなく報告を続けていた長谷部の言葉が、そこで止まった。言いづらそうに口籠る姿を見て、ああまたか、と諦めにも気持ちで長谷部を見つめた。

「その、大変申し上げにくいのですが」
「いいよ長谷部、続けて」
「…今回の出陣にて、破壊されたものがおります」

差し出された白い布に包まれた一振りの刀。半ばから折れたその姿に、これは一体どんな刀剣だっただろうかと、思い出そうとするけれど頭に霞がかかってしまったかのように上手く思い出せない。

「俺の力が足りないばかりにっ…申し訳ありませんでした…!」

悲痛な声で、畳に額を擦りつけんばかりに下げる長谷部にそっと近づいて、随分低い位置にある頭に掌を乗せた。

「あ、主…?」
「いいから」

困惑気味な長谷部にそう告げて、小さな子にするようにぽんぽんと何度か手を上下させた後で口を開く。

「長谷部の所為じゃないよ」
「しかし、部隊長の俺がもっとしっかりしていれば…」
「ううん、長谷部は頑張ってくれてるの、私知ってるよ。だから謝らないで」
「主…!!」

ばっ、と頭を上げた長谷部に、今まで乗せていた手を握られる。感極まったように潤んだ長谷部をどこか別の世界のことのようにぼんやりと眺めていた。
大切な刀剣が折れたのに、涙の一滴すら流れない私はどれほど冷たい人間なんだろうか。
以前はこんなことなかったのに、と、遠い記憶に想いを馳せる。
あの頃はまだ、この本丸にもたくさんの刀剣が居て、賑やかな場所だった。
初めて折れてしまったのは、初期刀として苦楽を共にしてきた清光だ。
戦場から変わり果てた姿で帰ってきた彼を見て、私は泣き、取り乱し、他の刀剣たちに主がこんな有様では清光も浮かばれないと、諭されるほどだった。
そしてそれを皮切りに、一振り、また一振りと、私の本丸から刀剣たちは姿を消していった。
良い刀装を付けても、練度を上げても、出陣する度に誰かがその身を散らせていく。誰も喪いたくなくて、出陣をするのを止めると政府から矢の催促を受ける。
どうにもならない板挟みの中で、私の涙は次第に枯れ果てていった。
今はもう、あの頃のような幸せな光景はどこにも存在していない。私は滅多に部屋から出ないし、身の回りの全ては近侍を務める長谷部に任せてしまっているから、他の刀剣と出会うこともない。
寂然とした本丸には人気など感じられず、ここで生きている者はもう私達二人しか居ないのかもしれないと、そんな馬鹿みたいな想像すらしてしまうほどに、今の私の生活の全ては長谷部との間だけで完結をしてしまっていた。
ふと、長谷部はこの状況をどう思っているのだろうかと、疑問が頭をよぎった。私のような、情けなく頼りない小娘の世話をしなければならないことを、内心嫌がってはいないだろうか。
一度浮かんだ不安は黒い染みのようにじわりじわりと心を侵食し、居てもたってもいられなくなる。

「長谷部、」

目の前の長谷部を見上げる。

「いかがなさいましたか、主」

真摯な瞳に見つめられ、言葉に詰まった。私のことをまだ主と本当に認めていてくれるのか、吐き出しかけた不安をごくりと飲み込む。それを聞くことは、長谷部の心を疑っているのだと宣言するのと同じことで、それはとても残酷に思えた。

「長谷部は……長谷部だけはずっと一緒に居てくれるでしょ?私の前から居なくなったりしないよね…?」
「はい、主命とあらば…いえ、主命でなくとも、俺はいつまでも主のお傍に在り続けることを誓います」
「うん、約束ね。絶対だからね」

長谷部の胸へ頭を寄せると、どくんどくんと、命が流れる音がする。規則正しいその音にひどく安心して、私はそっと目を閉じた。
胸に縋りつく私を見下ろして、長谷部がどんな表情をしていたのか、私は知らない。



(夢と希望をホロコースト)