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( 世界中を味方につけて )


昨夜降った雨で出来た水溜りのおかげで、足元の裾が濡れないかと執拗に下ばかりを気にしながら歩く帰り道。夕焼けがかった空の下を歩いていた。
 今日からテスト週間に入りそれと共に部活も休みとなった。学校にだらだらと居残るタイプではない狩屋は早々に帰宅しようとしたところ、偶々下駄箱で空野と鉢合わせた。「狩屋、一人?一緒に帰ろうよ!」という一言で、彼女と二人きりで帰ることになった。彼女が一人で居ることは珍しく、天馬くんたちはどうしたのかと狩屋が問えば、神童キャプテンたちに勉強を教えてもらうって先行っちゃったと苦笑いが返ってきた。
 ぴょこ、ぴょこ、と水溜まりを跨いで、自分の少し先を歩く彼女の背中をぼんやりと目で捉えながら、狩屋は彼女の後ろを歩いた。

「葵ちゃんはいいよな」
「ん?何の話?」
「何時も楽しそうでさ。」

 それって、馬鹿にしてる?少し間を空け、些か不機嫌そうな口調でそう言った彼女に、別に誰もそんなことは言ってないだろと狩屋は肩を竦めて宥めた。勿論彼女は本気で怒っている訳ではなく、口はそう言いながらも顔は笑っていたのでそれに同調するように、狩屋は呆れているかのような態度を取った。
 “何時も楽しそうで”、これは狩屋が彼女を羨む言葉であり、本心から思っていることであった。だから馬鹿にしているつもりは更々なかったので、フリとは言え不機嫌そうにした彼女を少し不思議に思った。
 何時だってどんなことだって、それを楽しむことが出来る、それは生まれながら運が良かった人の特権だと狩屋は考えていた。そういう考え方が出来る場所で育ち、生きてきたのであろう。
 人を簡単には信用せず、まず疑って掛かり、そして出来るだけ壁を作り自分を守る。自分がそんな風になったのは、生まれながら運が無かったからだと狩屋は信じ込んでいた。自分には運が無かっただけなのだ。そう、信じているにも関わらず、彼女のような考え方が出来る人間になりたかったと願う気持ちが心の隅にあり、胸にもやもやとした矛盾を抱えていた。



「私だって、何でも楽しめている訳じゃないよ?」

 気付けば狩屋の隣へと並んでいた空野は、そう言うとにこりと笑みを見せた。雨の日だったら髪が少しはねるから嫌、って思うし、水滴が肩や鞄につくのだって嫌だよ。ああでもお気に入りの傘が使えるのは好きなんだけどね、と表情をころころと変えながら話す彼女の顔を狩屋は横目で見ながら、ほらなんだかんだ楽しそうじゃん、と笑った。彼女は狩屋の言葉にはっとし、そして苦笑いをして今のは例が悪かったねなんて発言の責任を放ると、また水溜まりを跳ねるように歩き出した。

「私ね、人と話すのが好きなの」

 唐突に話し出した彼女はやはり狩屋の少し前を歩いていた。普通、前後が逆じゃあないかなんて野暮なことは言わないで飲み込み、彼女の話を促した。

「だからね、狩屋が楽しそうだと思う私は人と一緒に居る時だけだよ。一人の時は違うかも知れないでしょう」

 成る程、と狩屋は納得しかけて、不意に脳裏に浮かんだのは彼女が一人で頑張っている姿。サッカー部員の為に広いグラウンドや、遠いと部室までとあっちこっちへと走り回っていた。重い物でも少しずつ運んで、けして楽だとは言えないマネージャーの仕事をこなす彼女は、狩屋の目にはとても楽しそうに映っていた。
 それをぽつりぽつりと話すと、彼女は体をこちらに向け、驚いたように目を丸々とさせた。人に関わる、人の為になることだから楽しいよと彼女は言って微笑んだ。それよりさ、と微笑みからからかうような笑みへと彼女は表情を変えた。

「そんなに、私のこと見守ってくれてたんだね」

 嬉しい、ありがとう。そう言って少し恥ずかしそうにはにかむ彼女を見て狩屋はやっと言葉の意味に気付き、彼女につられるように頬が赤くなった。葵ちゃんは危なっかしいからなと気恥ずかしさを誤魔化すために吐いた言葉は、「狩屋は優しいね」と笑った彼女を見る限り、どうやら墓穴を掘っただけのようであった。

「…俺も、葵ちゃんみたいになれるかな」

 話を逸らすかのように呟いた言葉は、狩屋に取っては話を逸らすためではなく。唯、不意に口からぽろりと零れた本音に、口を押さえた。
 しかし、そんな狩屋の心境もお構い無しに「なれるよ、狩屋なら」と彼女は即答して優しく笑った。ドキリ、と彼女の笑みを見る度に高まる胸。それを必死に顔に出さないようにと努めながら、「葵ちゃんとずっと一緒に居たら、葵ちゃんみたいになれるかな」と、カマを掛けて、彼女に笑いかけた。

「うん、なれるよ、絶対!」
「え、……ありがとう。」

 彼女は狩屋の意図的な言い方にも全く気づかず、しっかりと頷いて微笑んだ。それ故に、狩屋の方が照れてしまった。火照る顔を腕で隠しながら、天然って本当に恐ろしいと心の中で呟いた。
 やっぱり、俺は当分彼女みたいになんてなれそうにないなと思いつつも、側に居られるならいっそこのままでもいいななんて思ってしまう単純明快な思考回路に苦笑いをした。
 「狩屋、早く帰らないと空真っ暗になっちゃうよ」不意に前から聴こえた彼女の明るい声に、ぱっと顔をあげると空は紅から紺へと変わる中間地点にあった。気づけば足を止めてしまっていたらしく、ごめんと彼女に一言告げると、狩屋はやはり少し前を歩く彼女の後ろ姿を追いかけた。




*世界中を味方につけて

(微笑む君の、傍に居たい)
20120415