05


甲板での報告をそこそこに一時解散となり、宴を開く準備や出航の準備へと各々が忙しく動き始める。その間、マルコの身に何があったのかを改めて聞く為に、隊長達が揃ってぞろぞろと船長室へと続く通路を歩いていた。途中、マルコが一旦自室に寄ってからと口にすると隊長達が一斉に否定した。

今行くのはやめておけ。
後にした方が良い。
話に集中できなくなるぞ。

あまりにも制止するものだから大体予想がついた。机上に積み重なっているであろう書類の山々を……。
頬をひくりと引き攣らせたマルコはズシンと気が重くなった。

「誰でも良いから代わりに処理してくれてりゃあ良かったってェのに」

そう思わねェかお前ェら、と左隣にいるイゾウから右隣にいるサッチを最後に順繰りに隊長達へと視線を向けたが、彼らはこれ見よがしに視線を斜め上やら横に逸らしてシラを切った。
まあまあと言いつつアハハ、ハハ……と乾いた笑いを残して、隊長達は次々と逃げる様に船長室へと入っていった。

「まったく……」

マルコは溜息を吐いて最後に船長室のドアを開けて入ろう足を踏み入れた、その瞬間――

『やっとだ、やっと……。本当に手古摺らせやがって、さっさと喰われちまえよ』

耳に飛び込んで来た言葉にピタリと動きを止めた。隊長達が自分達の定位置につく中、白ひげだけがマルコの異変に気付き眉根を寄せた。
ドアを開けたまま立ち尽くして険しい表情を浮かべたマルコは、一歩二歩と後退して通路に視線を向けた。

「……」

そんなマルコに隊長達も気付いて、どうしたのかと顔を見合わせて首を傾げた。

「おい、どうしたマルコ」

イゾウが声を掛けるとマルコはイゾウを一瞥してから白ひげに顔を向けた。

「オヤジ、少しだけ待ってくれよい」
「ああ?」
「直ぐに戻る」

マルコはそう言うと急に駆け出した。

「おい、マルコ!」

呼び止めるイゾウの声を無視してマルコは目的の場所に向かう。階段を一つ上って大部屋の区間に繋がる角を曲がったところで2番隊の数人と出くわした。

「うお!」
「びっくりしたァ……」
「マルコ隊長?」
「どうしてこんな所に?」

隊長格の人達は船長室に集まるよう呼び掛けられていたはずなのに、隊員しかいない大部屋区画の入口手前にどうしてマルコがいるのか、彼らは目をパチクリして不思議に思った。

「ちょっとな。悪ィが通してくれ」

広がって歩く彼らを押し退けるようにして通るマルコだったが、その内の一人の肩に触れた途端にある出来事が脳裏に浮かんで焼き付いた。
ピタリと足を止めてマルコはその男に目を向けた。

「おい」
「え?」

彼らの中で比較的細身の男は目を丸くした。彼にとっては雲の上の存在とも言えるマルコから声を掛けられるなんて思ってもみなかった。他隊の、それも、ほぼ末端に近い自分の存在を認識してくれたことが、とても嬉しく思えた。しかし、そんな思いとは裏腹にマルコの表情が妙に険しいことに気付き、思わずヒュッと息を呑み込み一瞬にして緊張が走った。

「な、何でしょう?」

何とか声を絞り出して返事をすると、マルコが無言で彼の首元に手を伸ばした。シルバーネックレスがチャリッと小さな音を鳴らしてマルコの指に掛かる。

「お前、家族と言えども気に入らねェ奴だからって勝手に盗んで自分のもんにするってェのは違うんじゃねェのか?」
「え!?」
「「「!」」」

マルコの言葉に細身の男は勿論、周りにいた隊員達も驚いて目を見張った。

「な、何のことですか? これはおれのですよ」
「そのネックレスは以前に立ち寄った島のジュエリー店でこいつが一目惚れして購入したのをおれは見てましたよ」
「お、おう、おれもそこにいたっすよ」
「ハハハ、冗談が過ぎますって」

隊員達はどぎまぎしながら口々にそう言った。だからこのシルバーネックレスは――と細身の男が口にした時、シルバーネックレスのチェーンをグッと掴んでマルコは睨み付けた。

「嘘吐くんじゃねェよい」
「うぐッ…、う、嘘だなんて」
「こいつはレイムのもんだろうが!」
「「「ひっ!」」」

怒鳴るマルコに彼らは顔を青くして固まった。身が竦み動けない。何故、どうして、これがレイムのものだと知っているのか。
いや、その前にだ。
例えレイムがマルコの率いる1番隊の隊員であろうとも、敵船から寝返って末席に加えられた新人で、隊長であるマルコも警戒して厳しく接していたのを知っている。それから直後にマルコが行方不明となった為、ちゃんと接した時間なんて殆ど無いに等しかったはずだ。だから、このシルバーネックレスが、新人の、レイムのものであるなんて知らないはずだ。

「な、んで……」

細身の男が震えながらそう漏らすとマルコは片方だけ口角を上げた。

「おれに嘘は通用しねェ。お前がどうやってこいつを手に入れたのかもわかってんだ。話してやろうか?」
「ッ………」

言葉に詰まる細身の男の代わりに筋骨隆々の男が言った。

「じゃ、じゃあ、話してみてくだせェ」

それを隣にいた男が、おいバカ!と小声で諌めた。筋骨隆々の男が、けどよう……と隣の男に目を向けると、男はマルコをチラチラと見やりながら隊長を煽るようなことをするなよと言いたげに表情で訴えた。

「そうかい、なら――」
「す、すみません! 確かに盗んだものです! ほんの出来心で……」

細身の男は恐怖に屈して謝罪すると、急いでシルバーネックレスを外して頭を下げながらマルコに差し出した。
シルバーネックレスを受け取ったマルコは、チャリッと鳴らして手の上に転がる十字架を見つめながら表情をより険しくした。

「出来心……、それも違うだろうよい」
「え……?」
「た、隊長……?」
「ま、寝返りから加わった奴を警戒して厳しく接していた“おれのせい”でもある、か」

仕方が無ェと微笑したマルコに男達は目を見開いた。マルコを筆頭に殆どの隊長方もレイムをよく思っていなかったから、と動機の一部にあったのは確かなのだが――

「今後、あいつをちゃんと家族として扱え」
「ッ……!」
「「「!」」」

まさか疎外したり下賤の輩のような扱いで見下したりしていたことを言われるとは思ってもみなかった。ただ、それは自分達だけでは無く隊長達を含めた他の者達も同じではないか、と彼らは思った。

「勿論、他の奴らも同罪だよい」
「「「え!?」」」
「とりあえず周りの目が気にもなるだろうから直ぐにとは言わねェ。けど、機を見て盗んだことを含めてちゃんと謝ってやれよい」
「う……、はい……、わかり…ました…」
「「「……」」」

彼らはお互いに顔を見合わせると何とも言えない気持ちになり、マルコに頭を下げて無言のままその場を後にした。
一方マルコは大部屋の区画内へと足早に向かう。幾つかある大部屋の前を素通りし、最奥の大部屋を目指して角を曲がると、ぐったりとして倒れているレイムを見つけて即座に駆け寄った。

「おい! 起きろ! レイム!」

急いで抱き起こして声を掛けるも反応が無い。血の気の無い蒼白い顔色にチッと舌打ちをしたマルコは、レイムを抱き上げて大部屋にあるベッドに下ろした。





意識が浮上して目を覚ましたレイムは、ぼんやりとしたまま辺りを見回した。
ここは見慣れた大部屋前の通路だ。確かここで首を絞められて……と記憶を辿りながら常に身に付けているシルバーネックレスに触れようとして、ピタリと手を止めた。
そうだ、盗られたんだ、と思い出して深い溜息を吐きながら首を振った。そうして再び周りに目を向けた。
辺りはシン……と静まり返って人の気配がまるで無い。気を失ってどれだけ時間が経過したのだろうか。ここに倒れてから起こされることも無く目覚めたということは、誰もここに来ていないということか。まさか、嫌われれ者だからって倒れているのを無視するなんてことは流石にないだろう。そう思いたい。そうであって欲しい、とレイムは立ち上がった。
しかし、やけに暗く感じる。もう日が沈んで夜を迎えたのだろうか。ということは宴が始まっているのかもしれない。それならば船内に人の気配を感じないのも当然だ。
だけどおかしい。
船内の端に位置する場所だとしても大部屋は比較的上部に位置しているのだから甲板の騒ぎは聞こえてくるはずだ。なのに、賑わう声も忙しなく動く足音も何も聞こえない。
そういえば揺れをあまり感じないことに気付く。おそらくまだ出航していないのだろう。ということは、島に降りて宴をしているのかもしれない。甲板へと繋る階段は食堂を通った先だ。そこに行けば4番隊が忙しなく料理を運んだりしているに違いない。
レイムは深く息を吐き出すとゆっくりとした足取りで食堂を目指した。しかし――

「え……?」

食堂の扉を開けたところでレイムは立ち尽くした。
暗い影を落とした食堂に人一人とていないのだ。シン……と静まり返って暗い食堂は何だか不気味で、俄かに鼓動がドキドキと激しく打ち始めるのを感じた。

「何で……、誰も……」

食堂内に入って厨房へと近寄るとカウンター越しに中を覗いた。せめてサッチ隊長だけでも……と思っての行動だったが、やはりいなかった。

「どこに……」

地図に載っていない無人島に寄港しているから襲撃の心配も無く不審番も必要無いとして全員下船しているのかもしれない。料理も既に全て運び終わり4番隊の人達も宴に参加しているから誰もいないのかもしれない。抱いた不安を払拭するには甲板に出て確認をすれば良いだけだ。
そう思ってレイムが甲板に繋がる階段へと足を向けた、その時だった。

リーン……リーン……。

どこからともなく鈴の音が鳴り始めた。それは暗闇に包まれる通路の先から聞こえてくる。

「何……?」

緊張に襲われたレイムは食堂の出口付近に立ち竦む。

「お前」
「え……?」

急に声を掛けられて視線を向けると食堂の角っこに立たずむ男がレイムをじっと見つめていた。人の気配が全く無くて誰もいないと思っていたレイムは驚いて目を丸くした。
そもそも、何でそんな隅っこに……と思っていると男は無表情のまま口を開く。

「生者がここで何をしている」
「え……、せい…じゃ………?」

意味がわからずにレイムは困惑した。

リーン……リーン……。

再び鈴の音が鳴る。先ほどよりも大きく聞こえることから段々と近付いてきているのだとわかる。

「あァ、何だ。お前、結局捕まったんだな」
「捕まったって、どういう意味?」

どうもレイムを見知っているような口ぶりで話しているが初めて見る顔だ。白ひげ海賊団は大所帯なのだからレイムにとってそれは何らおかしいことでは無い。しかし、どうも引っ掛かる。男の服が何だかボロボロで、腹部には黒っぽいシミが大きく染み付いているのだ。

リーン……リーン……。

「あァ来た。奴に見つかっちまうと引き摺り込まれっちまうからな。おれは逃げるぞ」
「引き摺り込まれるって……」
「どうせなら少しでもマシなところに逝きてェからな」

どういうことだと問う前に、男は静かに闇に潜むようにして姿を消した。わけもわからずにレイムは通路の先へと目を向ける。緊張がピークに達したか、心臓の鼓動が激しく打ち、ハッ…ハッ…と呼吸が徐々に短く早くなっていった。

リーン……リーン……。

とても近い。もう直ぐ目の前だ。

リーン…………。

音が止まった。ゴクリと息を飲むレイムは、直ぐにそこを離れなかったことを後悔することになる。

「!」

暗闇からスッと姿を現したのは、牛のような頭を模した頭部に黒い靄がかったような胴体で三叉の槍を手にする大きな――影だ。
大部屋にいたあの男は、襲撃で負った致命傷が原因でベッドの上で息を引き取った元隊員だ。その男に首を絞められた時に彼の背後にいたあの影と同じだ。

「ハッ……ハッ……」

一歩、二歩とレイムは後退する。逃げようと踵を返すと足が絡まって転んでしまった。膝を強く打って顔を歪ませたが、直ぐにハッとして慌てて後ろを振り向いて尻餅をついたまま後退りをして距離を取ろうとする。
影はレイムを見据えて三叉の槍を掲げた。あれは目だろうか、うっすらと黄色に光るそれが弧を描いた。

「う……、あ、あ、」

恐怖で上手く身体が動かない。

こいつは霊じゃない!
こいつは何者!?
ここは、一体何!?

ハクハクと口を動かして声にならない声を叫ぶ。
死者の霊に襲われることはあっても、こんなことは初めてのことだった。





船長室に入らずに出て行ったマルコの後をサッチとイゾウが遅れて追い掛けた。どこへ行くのかと思っていると大部屋の区画に真っ直ぐ向かうマルコの後ろ姿に、サッチとイゾウは顔を見合わせて眉を顰めた。

「何でまた大部屋なわけ?」
「さァな」
「何だか急いでるみたいだけど」
「深刻な面していたからな」

立ち止まって言葉を交わしながら考えた二人だが、とりあえず行けばわかるだろうと少し遅れて大部屋へと向かう階段に向かった。すると、顔色を悪くして力無く肩を落としている2番隊の隊員達と会った。

「あ……」

細身の男がサッチとイゾウに気付いて思わず弱々しい声を漏らした。

「どうした?」

サッチが問いかけると彼らは顔を見合わせると「いえ、何でもありません」と力無く答えて通り過ぎて行った。少しだけ眉を顰めたサッチが彼らを見送っていると「サッチ、行くぞ」とイゾウが声を掛けた。

「お、おう」

そうして大部屋の区画に着いて各部屋を一つ一つ確認していくと「おい! 起きろ! レイム!」と角を曲がった最奥からマルコの声が聞こえきた。
サッチとイゾウは急いでその場に向かうと、レイム抱えて大部屋に入るマルコの姿を見つけて駆け寄った。

「おい! マルコ!」

何をしてんだとばかりにイゾウが声を掛けた。しかし、マルコは振り向くことも返事をすることも無く、ベッドに下ろしたレイムの側で膝を突いて顔を覗き込んでいた。
そいつはお前も嫌っていた新人だろう、とイゾウは詰め寄ろうとした。だが、サッチが即座にイゾウの腕を掴んで制止した。何で止めるんだと視線を寄こすイゾウに、サッチは眉を顰めながら「何だか様子がおかしい」と小声で言った。

「何?」
「つい数十分前までは普通だったってェのに、今はまるで死んでるみたいに生気が感じられねェ」

サッチの言葉にイゾウは視線をレイムに向けた。病気か何か発症したのかもしれない。だとすれば船医でもあるマルコが診るのは当然のことだ。それに自分の隊に属する部下でもあるなら隊長としての責任あっての行動とも言えるだろう。しかし、だからと言って主船医のナキムを呼べば済むことではないか。各大部屋には通信手段として電伝虫を飼っているのだから直ぐに呼んで代われば良いだけじゃないか。

「マルコ、ナキムを呼ぶから船長室に戻れ」
「……」
「おい! マルコ! 聞こえてンだろ!」
「ちょ、イゾウ、落ち着けって」
「サッチ、医務室に連絡しろ」
「わかった。わかったから落ち着けってんだ」

イゾウの腕を離して電伝虫を取りに行こうと向きを変えた時には、既に大部屋の前に隊員達が野次馬のように集まっていた。

「マルコ」

イゾウがマルコの肩に手を掛けた時、マルコが漸く顔を上げてイゾウを見上げた。

「悪ィが人払いしてくれ」
「何故だ」
「目を覚ました時に大勢に見られてたんじゃあ萎縮しちまう」

レイムは人見知りだからなァ、と苦笑するマルコにイゾウは眉を顰めた。

「マルコ、お前はこいつを良くは思っていなかっただろうが」
「前はな。今は違う」
「何だと?」
「とにかく人払いしてくれ。じゃねェと手遅れになっちまう」

マルコはそう言ってレイムの額に手を置いた。イゾウとの会話を聞いていたサッチは電伝虫の受話器を持ったままマルコの様子を見つめている。

『サッチ隊長、大部屋で何があったんだ?』

受話器の先から主船医であるナキムの声が聞こえる。答えないサッチの近くにいた隊員が「サッチ隊長、電話、ナキム船医」と小声で声を掛けた。

「あ、わ、悪ィ、何でも無いみたい」
『あ?』

サッチはガチャッと通信を切るとイゾウに代わって集まりつつある野次馬達に「ほら行った行った」と人払いを始めた。連絡を止めて人払いを始めるサッチにイゾウは顔を顰めつつマルコに視線を落とした。

「イゾウ」
「何だ?」
「悪いがお前らも外してくれよい」
「おい、ふざけるな。おれ達は、」
「頼む」
「!」

いつになく緊迫感を漂わせた真剣な顔を向けるマルコにイゾウは目を丸くした。

処置をしたら直ぐに戻る」
「……」

マルコはそう言うと改めてレイムに意識を向けた。一方イゾウは何も言えないままに踵を返して大部屋を後に通路へと出た。人払いを済ませたサッチが戻って来ると「船長室に戻るぞ」と言って歩き出した。

「え、何で……マルコは?」
「お前らも外してくれ、だと」
「……」
「後でわけを話してくれれば良いが、どうだろうな」
「んー、マルコは隠すのが上手いからなァ」
「わかったことは、今のマルコは行方不明になる前のマルコとは違うってことだ」
「この二ヶ月の間に何かあったのかもしんねェな」

とりあえず船長室で待つしかねェな、と二人は大部屋区画を後にして船長室へと戻った。

蠢く影

〆栞
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