04


戻れたことは嬉しいはずなのに、それでもどこか満たされない。
その理由など、考えなくともわかることだ。
この痛みは、寂しさは、最初からわかっていたことだ。
この感覚もいずれ慣れる。それに――

「おれが行方不明になってからどれだけ経つ?」
「大体二ヶ月です」
「そうか……」

新人隊員であるレイムには驚いた。存在しているだろうにしても、まさかこんな身近に『同種』がいるとは思いもしなかった。
生真面目なのか、隣に並ぶ事を良しとせずに自ずと後ろに下がって歩くレイムから感じるそれは、やはり恩人である彼女とよく似ている。
妙な巡り合わせだ、と僅かにクッと喉を鳴らして小さく笑ったマルコは、徐に手を掲げて不死鳥の炎を灯した。
異世界で世話になった彼女と別れる間際に、空幻という妖怪と交わした会話を思い出す。

「霊光玉は再び元に戻されるじゃろう」
「何? それじゃあ、」
「お前さんにな」
「――て、おれにかよい!?」
「屍鬼が死んだ今、この世界には最早不要じゃ。お前さんの世界にはまた別の理の上に成り立っておるじゃろうから、くれてやると言っておる」
「は、はあ!?」
「苦労して得た力を無駄にさせては気の毒じゃろうて」
「!」
「命懸けでこの娘と世界を守ってくれた褒美じゃと思えば良かろう。そもそも”海を克服した悪魔の実の能力者”の時点でお前さんは異質じゃ」
「あー…、あの子から貰った力はまた別だから失うことも無いってことか」
「そういうことじゃ。まあ、わしはそれで良いと思っておるが……」
「……おるが、の後は何だよい」
「空間を抜ける間に時津守和多利がどうするかはわからん、と言っておく」
「は……、そうかい」

そもそも力の在りどころを決める権限を持っていないのに、お前にくれてやるとは偉そうに……。この会話は一体何だったんだ?と思いながら空間を渡ったわけだが、いざ試してみると例の力は失われるどころか強く漲るのを感じた。

へェ、くれるのか。なら、有り難く貰っておくよい。

この島から感じる『異質な何か』の正体を理解しているマルコは笑みを零してその主に向けて『感謝』の意を送った。

「綺麗……」
「ん?」

後ろからポツリと呟かれた声を耳にしたマルコは振り向いた。青い炎を灯したマルコの手をじっと見つめたままレイムが立ち尽くしている。

「初めて見たわけじゃあねェだろよい」
「え?」
「敵対していた時に見ていたはずだよい」
「あ、え、えェ、空から先行して突撃されたので、それは、はい」

そう言いながらレイムの目は青い炎に釘付けだ。全く外そうとする気配が無いことに、マルコは片眉を僅かに上げてレイムを見つめた。
この青い炎には僅かに霊気を交えている。レイムの目には、以前のそれとは明らかに異なったものに見えているのだろう。
それにしても――綺麗な目だ。レイムの瞳は青みのあるグリーン色であることにマルコは初めて気付いた。
男装の為に短く刈られた髪は艶のある漆黒で、それもあって瞳の色がより際立って見える。普通の女として生きていれば、きっと綺麗で可愛いらしい娘になっていただろう。そう思えば、境遇すらも彼女とよく似ている。

「もう良いかい?」
「え?」
「いや、黙って消すのも悪い気がしてなァ」
「あ! す、すみません!」

ハッとしたレイムは慌てて頭を下げた。
人が変わったように思えても自分がそう思っただけかもしれないではないか、と自問自答して多少の冷静さを取り戻したところで再びハッとした。
サッチが先に走り去って行った以降、自分の態度があまり宜しくないものだったような気がする――と。
相手は隊長で自分の上司だ。さらに言えば、船長の右腕で、取り纏め役で、船医の一人だ。

あわわわ、な、何て無礼なことを!

マルコ命な1番隊の隊員達が側にいたらきっと集団リンチの刑に処したはずだ。よく考えれば二人で森の中を歩いている時の自分の態度は至ってよく無いものだった。例え言い知れぬ『何か』の存在が怖くて逃げたい気持ちに駆られたとしても、よく無い、絶対によく無かった。
頭を下げたまま血の気が引くのを感じながら唇をキュッと噛み締める。自ずと涙がじわりと浮かんで自己反省するも時既に遅しだ。
この胸に渦巻く恐怖は『何か』に対するものなのか、それとも『上司である隊長』に対するものなのか、はたまた『1番隊隊員達』に対するものなのか、最早わからない。頭の中が混乱して再び平常心を無くしたレイムは、頭を上げること無く、ただただ震えた。
しかし、くしゃくしゃと後頭部を撫でられる感覚に目を丸くして徐に顔を上げると、顔を逸らしてクツクツと笑っているマルコに拍子抜けした。
ポカンとした表情でマルコを見つめるレイムに、マルコは笑いながら「悪ィ悪ィ」と謝った。
プツンと緊張が解れると、トクン……と心臓が柔らかく打った。

あれ?

レイムは不思議に思った。何故だか胸がほっこりする気がする。それに――

「底無しのマイナス思考が可笑しくてなァ」
「う……、私にとっては大事なことです」

普段からあまり表情を変えなかったレイムが珍しく不満げな目をして頬を膨らませた。頑なに閉じ篭っていた感情の殻を少しだけ破ったか、と笑い過ぎて涙が滲む目元を拭いながらマルコは思った。

「とりあえず、1番隊の奴らがレイムをどう思うかはあいつらの自由で、おれからはどうこう言ったりはしねェ」
「……」
「けど、おれはレイムを信じるから安心しろ」
「え!?」
「改めて宜しくだよい」

驚き固まるレイムの手を取ってマルコはギュッと握手した。

「あ、えっと……」
「おれ達は海賊だ。形式ばる必要はねェ。お前らしく自由に楽しまねェとな」

それに――

握られた手先から感じる温もり。さらに何か不思議な空気?膜?どう言い表して良いのかわからないが、守られるように包まれる感覚にレイムは目を丸くした。

そう、妙に安心する。

「善処……します」

レイムの答えにマルコは口端を上げると手を離して歩き出した。

やっぱり違う。以前のマルコとは違う。何が、どこが、何故――と疑問がどんどん湧いて来る。
マルコの後に付いて歩くレイムは、その背中を見つめながら終始無言で岸辺に辿り着くまで考え続けた。





サッチの報告を受けて歓声を上げた船員(主に1番隊)達が今か今かと待機しているところにマルコが姿を現した。

「「「マルコ隊長ー!!」」」

多くの船員達が歓喜の声を上げて出迎える中、他隊の者達を押し退けて勢いよく飛び出した1番隊の隊員達がマルコに飛び付いた。

「何だいお前ェら泣き過ぎだよい」
「「「ご無事で良かったァァァッ!」」」
「特にギル、仮にも副隊長だろうが! ちょ、離れろよい!」
「うああ、嫌だァァァ!」

マルコの腰にガッシリと抱きついて声を上げて泣くギル。大の男がまるでガキみてェに……、と他隊の者達は若干引いている。しかし、1番隊にとっては通常運転なのか、誰も何も言わないのだ。
1番隊は基本的に冷静沈着で割と頭脳派で理性的な集団なはずなのに、こと隊長に関するとここまで壊れるものなのか、と誰もが思った。

「着岸しているボートには人数的に乗れそうですか?」
「あ、あぁ……、て言うかお前も1番隊だろ?」

あの話の中にいなくて良いのか?と言う他隊の隊員に、レイムは「おれは先に隊長と会って話しもできたので」と言ってボートに乗り込んだ。
あァ、新人だもんな、と他隊の隊員達は納得するように頷いた。

他の奴らと違って過ごした時間は浅いし、何より裏切りの素質があるような奴だから淡白なのもわかるぜ。

誰かの口から吐かれた言葉は、勿論レイムの耳に届いている。だがレイムは素知らぬ顔して待機している。
それがまた気に食わないのか、他隊の隊員達の幾人かがチッと舌打ちをして賑わう1番隊へと視線を戻した。





漸くモビー・ディックの甲板に上がったマルコにさらに大勢の船員達の歓声が上がる。怒号にも似た歓喜の声を耳にしながらレイムを始めとした下っ端達はボートを格納庫へと引き上げる作業を行い、歓声が消えて落ち着いた頃に甲板へと上がった。
丁度その時、出迎えた大勢の輪の中を抜けたマルコが船長である白ひげと漸く対面するところだった。

「……オヤジ」
「……」
「偵察から戻るのが遅くなっちまって……すまねェ」

謝罪の言葉を口にして頭を下げるマルコに、オヤジである白ひげは少しだけ眉をピクリと動かした。

「アホんだらァ、戻って最初に言う言葉が違ェだろうが」
「ッ!」

白ひげの言葉に目を丸くしたしたマルコは少し泣きそうな笑みを浮かべた。

「た、ただいま、戻ったよい……、オヤジ……」
「グララララッ! あァ、よく戻ったなァ息子! 色々あったってェ面だが、以前にも増して良い顔をしてやがるぜ」
「オヤジ……」

叱責されるよりも優しく温かい言葉を投げ掛けられたことがズシンと心に響き、マルコは目が熱くなるのを感じてグッと堪えた。
そんなマルコの心情を察したかはわからないが、白ひげはニヤリと笑みを浮かべると甲板に居る者達に向けて声を上げた。

「てめェらァ! 1番隊隊長の無事の帰還だ! 今夜は盛大な宴だァァァッ!」
「「「うおおおおっ!!」」」
「「「宴だァァァァァ!!」」」
「グラララララッ!!」

誰もがマルコの無事の帰還を喜び、弾けるような大歓声を起こし、それに気分良く楽し気に笑っている白ひげの傍らで少し照れ気味な笑みを浮かべたマルコがポリポリと頬を掻いている。だが直ぐに真面目な顔をして白ひげに向き直した。

「オヤジ、話があるんだけどよい」
「あァ、それは部屋でじっくり聞かせてもらう。夜までには時間がたっぷりあるからなァ」
「あのさ、その時だけどよ、おれもいちゃ悪いか?」

喜びに沸く船員達の中に混じらずに、サッチは軽く手を挙げながら言った。マルコは眉間に皺を寄せたが、白ひげは笑みを浮かべたままサッチからマルコに視線を戻した。

「障りぐれェは隊長連中に聞かせてやりゃあ良いんじゃねェか」
「……あァ、わかったよい」

オヤジがそう言うなら、とマルコはコクリと頷いた。

「なァ、マルコ」
「何だいオヤ――ッ!」

マルコを覗き見る白ひげは何かを見透かすような目を向けていた。眼光には鋭さがあり、俄かに覇気までも纏っていることに気付いた。
まさに――『覇王色の覇気』だ。
白ひげがマルコにのみそれをぶつけていることを察したマルコは瞠目して思わず言葉を飲み込んだ。しかし、直ぐにその覇気は引っ込められ、鋭い眼光は柔和になって白ひげは小さく笑った。

「お前ェ、やけに強くなったじゃねェか」
「ッ……」
「ん?」

白ひげの言葉にマルコは何も応えない。その傍で何の話?とばかりにサッチが首を傾げた。

「お、オヤジ、おれは、」
「勘違いするんじゃねェぞマルコ。おれァ怒っちゃいねェ。嬉しいんだ」
「嬉…しい?」
「あァ、これならおれはいつでも隠居できるってなァ」

ニヤリと笑う白ひげに、マルコとサッチ……だけでは無く、近くにいた幾人かの隊長達がギョッとした。

「な、何言ってんだよいオヤジ!」
「えェ…? な、何で急に隠居だなんてパワーワードが出てきちゃうわけ?」
「「「お、オヤジが隠居ォォォォ!?」」」
「グララララッ!!」

誰もが皆一様に驚いて固まり叫ぶのは当然だろう。マルコでさえも白ひげの言葉に開いた口を塞ぐのを忘れて呆然と立ち尽くし完全に停止していたのだから。
いくら強くなったと言っても『器』が違うのだ。例え同じ覇気を身に付けたとしても白ひげのような広く深い懐を持ち合わせてはいない。
大きくかぶりを振ってマルコは断固として否定するのだった。

「隊長幹部達がえらく焦ってるぜ」
「どうしたんだろうな?」
「周りの声で全然聞こえねェからわかんねェ」
「つーか、下っ端のおれ達だけ乗り遅れてね?」
「だよな。宴は嬉しいけど、テンション爆上がりの周りの中で、おれ達だけ浮いてるよな」

下っ端隊員達は甲板の隅っこで肩身の狭い思いをしながら言葉を交わしていた。そんな中――

「お先に失礼します」
「「「へ?」」」

その場を離れて船内に向かうレイムに呆気に取られた彼らは、お互いに顔を見合わせると「ドライだなァ」と口を揃えてレイムを見送った。





大部屋の片隅にあるベッドに腰を下ろしたレイムは、両手を頭に髪の毛をギュッと掴みながら強く目を瞑った。深呼吸を何度も繰り返して心を落ち着かせようと必死だ。
マルコと距離が生じた途端に再び恐怖が胸に押し寄せた。島から感じる得体の知れない何かから早く離れたくて堪らない。ただでさえ、船の中のどこかしこにいる彼らの目から逃げる様に気を張っているというのに、島から感じる何かは今まで感じたことのない圧力で、押し潰されそうな程に身体が重い。
ベッド下に置いてある僅かな荷物が入っているリュックを引っ張り出して手を突っ込み、縫い付けてあるポケットの中を探った。

「あれ……?」

おかしい。そこにあるはずのものが無い。

「え、な、何で……?」

リュックの口を広げて中を確認するが、肝心なものがどこにも見当たらない。割り当てられたクローゼットを開けて衣服のポケットやポシェット等、手当たり次第に探しながら数年前に会った年老いたシスターの顔を思い出す。
同じ能力を持ったが為に悩み苦しみながら生きる数少ない理解者だった彼女がくれたもの――小さな十字架を繋いだシルバーネックレス。

『これをお持ちなさい。不安に押し潰されそうな時や身の危険を感じた時に役に立つ。きっと守ってくれる。老い先の短い私よりもまだ若く先のあるあなたが持つべきです』

貰った時は半信半疑だったが、実際に例のモノと遭遇した時、それは不思議な力を発揮して守ってくれた。その時からずっと肌身離さず身に付けていた。しかし、今回はシャワーを浴びて部屋に戻る前に急遽捜索隊として呼ばれた為、リュックの中のポケットに入れたまま出る羽目となった。

「何で……」

荷物のどこを探しても見つからない。首から外した際は必ずリュックの中のポケットに入れることを定位置としていたのだ。だからそこに無いということは――無いのだ。

どうして? あれを失くすなんてことは絶対にあり得ないのに。

焦りから嫌な汗が蟀谷や頬を濡らして落ちて行く。大部屋の片隅に立つ黒い影がニヤリと笑むのを感じた。背中に寒気が走って自ずと小さく震える。
その時、声を噛み殺して笑う男が数名いることに気付いたレイムは振り向いた。ニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべてレイムの様子を見ている2番隊に属する隊員が数人。

まさか……。

嫌われていることはわかっていた。しかし、だからって勝手に人の物を漁って盗むなんてこと……とレイムは眉根を寄せた。

「あの、」
「おれさぁ、良いもん見つけたんだぜ。見ろよ」

レイムの声を無視して一人の隊員がこれ見よがしに襟を広げて見せた。

「お、シルバーネックレスかよ」
「小さェけど、なかなかイカしたクロスだな」
「お前、細身だからよく似合ってんぜ」
「だろ?」

まるで自分のものであるかの様に見せびらかす男。出所をわかっててわざとらしく褒める男達。
恐怖か怒りか、打ち震えるレイムは、ネックレスを付けている男に詰め寄った。

「返せ!」
「あ? 何言ってんだ。こいつはおれが見つけて拾ったんだぞ」
「嘘だ! おれのリュックから盗ったんだろ!」
「おいおい、そんな証拠が何処にあるってんだ?」
「そうだぜ、証拠を出せ証拠を」
「大体、新人の癖に先輩のおれ達に何て生意気な口を聞きやがる」

おら邪魔だ、と筋骨隆々の男がレイムを引き離して力で跳ね除けた。レイムは強く壁に身体を打ち付けてその場に蹲り、男達はゲラゲラ笑いながら去って行った。

「うぅ……」

どうすれば取り返せるのだろうか。誰かに相談して協力を請えば何とかなるだろうか。いや、男ならば、海賊ならば、欲しいものは力で奪え。そう言われるに決まっている。
酷く壁に打ち付けたからだろう、ズキッと右肩が痛む。

「あーあー」
「!」

呆れて笑う声が耳元で聞こえた。レイムはビクリとして息を呑んだ。

「大事なお守りを奪われちまったなぁ。これでお前は丸腰ってわけだ」
「ッ……、くそ、あれが無くても一人で何とかやって来たんだ! お前の思い通りになんて」
「本当にそう思うか?」
「――ッ……」

黒い影は海賊の風貌をした男だ。勝ち誇るような笑みを浮かべてレイムを見下ろす男は、酷く醜く顔を歪ませて笑う。

「やっとだ、やっと……。本当に手古摺らせやがって、さっさと喰われちまえよ」

男はレイムの首を鷲掴んでキリキリと力を込め始めた。

「あッ…ぐッ…」

首を絞められる感覚に呻き声を漏らしたレイムは、自分の首を絞める男の腕に掻きつくが実体を捉えることができずに足をバタ付かせた。

息が……。

苦しんでジワリと涙が浮かぶ視界の中で見えた。男の後ろに立つもう一つの黒く大きな影。何らかの動物を模した頭部に三叉の槍を手にしているソレに、レイムは今までに味わったことの無い絶望的な恐怖に飲み込まれ、フッと暗い闇へと落ちていった。

底無し

〆栞
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