26


マルコは右手の人差し指に霊子を溜めるとフィリアの腹部のヘソから体内へと流し込むように霊気を注ぎ始めた。するとフィリアの身体がビクンと小さく跳ねて強張らせた。

「あっ…はァはァ…ああ…あっ…、わ、たし…わたし、……い……なさい……ご、ごめんなさっ…い…」
「……」

フィリアはただただ泣き続けて譫言のように言葉を零した。マルコは黙ってその声を聞きながら処置を続ける。

「ごめん…なさい……ごめん…なさ…い…マ…ルコ…隊…長……」

―― どうか、どうか私を嫌わないで……お願い ――

フィリアの必死に願う本当の声がマルコの心に直に響くとマルコは少しだけ笑みを零した。そして視線を泣き続けるフィリアへと向けた。

「おれがフィリアを嫌う理由なんざどこにもねェよい」
「ッ……」
「これが終わったら少しだけだがちゃんと叶えてやるよい。だから少しだけ耐えてくれ。な?」
「…え…?」

マルコは左手を伸ばしてフィリアの頬に添えて笑みを浮かべた。するとフィリアは目を見開いた。
涙は相変わらず止め処無く溢れて蟀谷や頬を濡らしているが、フィリアの表情は苦しみが少しずつ和らいできたのか穏やかになりつつあった。
フィリアはマルコの優しさに触れ、やっぱり好きなのだと改めて思った。
マルコはフィリアの頬に添えていた左手をぐっと拳に変えるとそこに霊気を溜め始めた。
ヘソから注いだ霊気が『痕跡』を捉えた為だ。

「フィリア、ここから少し辛ェだろうが我慢しろよい」
「え……ッ!?」

フィリアに耐えるよう告げたマルコは左手の拳を上げるとフィリアの胸部に目掛けて振り下ろした。当然フィリアは驚き、悲鳴を上げる間も無くギュッと目を瞑った。だが襲って来るはずの衝撃や痛みが全く無い。不思議に思ったフィリアは恐る恐る目を開けると思わず息を飲んだ。

―― …な、何? どうなってるの?

自分の胸部にマルコの腕が二の腕まで深く刺し込まれているのだから驚くのも無理は無い。

「身体をぶち抜いてるわけじゃあねェから安心しろい」
「ッ!」
「けど、引き千切る時に痛みが襲うだろうから気は張っとけよい」
「……は、はい」

戸惑いながら必死に返事をしたフィリアにマルコは口角を上げた笑みを浮かべた。そして胸部に刺し込んだ手は標的を漸く捉えてしっかり掴み、そのまま思いっきり引っ張り上げるように腕を引き上げた。するとブチブチブチッと何かが千切れていく感覚が音となり、フィリアの体内を激痛が走った。

「んっ…くっ…あああっ!!」

あまりの痛みにフィリアは悲鳴を上げた。だが同時にバチンッと何かが弾けるような大きな音が部屋に響いた。そしてマルコの左手に腕を掴まれた形で姿を現した標的は宙を舞い地面へと背中から叩き付けられた。

「くっ…!」
「よう」

呻く声を上げて痛みで顔を歪める標的にマルコは不敵な笑みを浮かべて声を掛けた。すると涙目でキッとマルコを睨みつける。しかしマルコは片眉を上げるのみで視線をフィリアへ向けた。呼吸は少し荒いがぐったりしていて微動だにしない。どうやら気を失ってしまったようだ。

―― 目を覚ます前にさっさと終わらせるよい。

視線を戻したマルコは眼付を鋭くして睨み付けた。

「カーナ」
「何故だ!? 何故わかった!?」
「さァなァ……何となくだよい。生理的な嫌悪感ってェ奴かもない」
「なっ!?」

マルコが軽く笑ってそう言うとカーナは目を見開き、怒りで顔を歪ませた。欲しいと思う男に『生理的な嫌悪感』と言われたら、例え化物に身を落としたとしても女であるカーナにとっては侮辱以外の何ものでもない言葉だった。

「お前ェはそれだけのことをおれに仕掛けたんだ。だからおれに何を言われようが仕方がねェだろい」

マルコが笑みを消して静かにそう言うとカーナはギリッと歯を食い縛り身体をワナワナと震わせた。

「人間の……」
「?」
「人間の身体じゃなければ、お前は私を抱いてはくれない!」
「……」

マルコを睨み付けてそう言い放ったカーナにマルコは表情こそ変えなかったが内心では目をかっぴらいて唖然としていた。堪らずマルコは何故かうんともすんとも言わない心内にいるはずのマヒロに助けを乞うつもりで声を掛ける。

―― なァマヒロ、妖怪染みた奴ってェのはどうして『おれが抱く』前提で言うんだよい?
(……)
―― ……マヒロ?
(……)

呼び掛けても一切何も帰って来ない。あァこれは完全に怒っているなとマルコは思った。

―― いや、まァ何だ……その……。
(マルコさんのエッチ)
―― はァ!? お、お前ねい、嫉妬してくれるのは嬉しいけどよい、時と場合を選んでくれねェと困る。襲われて犯されかけたのはこっちだよい!?

敵を前にしてまたしても心内で痴話喧嘩が勃発する。マルコは額に手を当ててかぶりを振り、不機嫌なマヒロを後回しにすることにした。

「何故…何故動ける? 悪魔の実の能力者は海水に弱いはずなのに何故? 霊力があったとしても『悪魔の実』の能力者である以上は力を失うはずなのに何故だ!?」
「ん…? ……――! あー、あれか」

カーナの言葉にマルコは一瞬だけキョトンとしたが、直ぐに意味を理解した。フィリアが使ったリップクリームのことを言っているのだろう。

―― あれは海水で作られたやつだったってェことか、成程なァ。

動けなくなった理由がわかった。しかし、だとしても、マルコ自身も実はよくわかっていなかった。途中から何故か沸々と力が湧き始めて徐々に動けるようになったのだ。マルコは表面上は平静を保っているが内心では腕を組んで顎に手を当てて只管考えていた。

何故、どうして動けたのか。
その理由を知りたい。
いや、知っておいた方が良い。

そう思った。

―― ……いや、……まさか。……けどよい、……だろい?

自分の中で自問自答して答えを探す。そしてこれまでの経緯を鑑みれば何となく理由が分かった。

(当り前じゃない! 誰が、誰が許すものですか!!)
―― ……やっぱり……。
(マルコさんはっ……! あ、えっと、えっと)
―― そこ、詰まる所かよい?
(ッ…、と、兎に角! 絶対に私が守りますから!)

マルコを動かしたのはマヒロの力だ。マルコの『貞操の危機』に誰よりも敏感に反応する女が精神に存在していれば嫌でも力が湧くのは当然だった。そしてこの世界に来たマヒロ自身もモビー・ディック号に近付いて来ている以上、二人の結び付きが段々と太く強まっているのが感覚でわかるのだ。
不貞腐れるマヒロを後回しにしようと思ったが、”助けてくれた”以上は先にこっちを解決しなくてはとマルコはカーナを後回しにしてマヒロの対処に当たった。

―― まァ、その、何だい。身体が正直に反応しちまうのは本当に許して欲しい。おれも男だからよい……そりゃあ裸の女に抱き付かれて愛撫されたり胸を揉まされたりすりゃあ……な? 媚薬も仕組まれていたんだしよい、以前のサッチじゃあねェが、この後の処理を考えるとおれはゾッとしてんだよい……。
(そ、そんなに辛いことなの?)
―― ……なァマヒロ。
(な、何?)
―― 覚えてろよい。
(へ?)
―― おれはお前ェに再会したら早々に抱くと決めたから覚悟しろよい!?
(ひっ!?)

腹の底で声を荒げての決意表明。それにマヒロが怯えたが関係無いとマルコは気にもしなかった。これも男の性というものだ。だから我慢しろ――と、マルコは痴話喧嘩を半ば強引に解決へと導き出した。

(だ、大事に、優しく抱いてくれるなら、多少強引だったとしても……良いよ)
―― ……お、おう、そ、そうかよい。

果たしてこんな形で合意されるのもどうなのだろうか? と言うよりも、これは最早『煽り文句』では無いだろうか?
まったく、これだからモテる男は辛いんだ――と、マルコは軽く自我が吹き飛んでらしくない言葉を胸中で漏らした。

―― ……。

「って、アホか!? おれはサッチじゃねェんだ! 見境も無くお前ェを抱くわけねェだろうがマヒロ!!」
「ッ!?」

平静だったマルコが突然ブチ切れて怒鳴り声を張り上げたことでカーナも驚いて身体をビクつかせて若干後退った。困惑して戸惑うカーナにマルコはハッとして我を取り戻すと気恥ずかしさから視線を逸らしてガシガシと後頭部を掻いた。

―― いや、悪ィ。ちょっと内々の問題があってよい……って、そんな話をしてる場合じゃねェだろい!?

「マヒロがそこにいるのね?」
「!」

カーナの指摘にマルコは少し目を丸くした。

「マヒロがあなたに力を与えた。だから動けた。……そういうことね」

ポツリと呟くように言ったカーナは苦々しい表情を浮かべながらユラリと立ち上がった。

「ねェマルコ。今の姿の私が堂々とあなたを求めたら……あなたは私を受け入れてくれたかしら?」
「お前ェはそれ以外ねぇのかよい……。盛りの付いた猫じゃあるめェしよい」
「……大事なことだもの」
「何?」

カーナはそう言うと肩に掛かる髪を手で払い除けてクツリと笑った。

「あなたと交わればこの穢れた身体はあなたの再生の力と混同した霊子で綺麗になるかもしれない。だから試してみたい……そう思ったの」
「!」

カーナの言葉にマルコは驚いて言葉を失った。

―― な…んだよい……? そんなことがもしできるとしても、それは……。

もしそれが可能であるとしても恐らくマヒロだけしか効果は無い。同じ魂の色を持つ者同士だからこそ可能なのだ。
このことをカーナは知らないのだろうか?
いや、屍鬼の下に仕える身であるならば知っているはずだ。では何故カーナはマルコを求めたのか――。

―― お前ェも同じだってェことなのか……?

眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべるマルコにカーナは微笑を零した。

「私も女なのよマルコ」
「ッ……」
「生涯で唯一愛した男(ひと)がいる女よ」
「なっ!?」

カーナが口にした言葉にマルコは息を飲んで絶句した。嘗てマヒロがマルコに告げた言葉を一言一句違わずにカーナは言った。それもマルコに愛情を持った表情を浮かべて告げたのだ。

「好き」
「ッ!」

カーナは愛し気にマルコを見つめながら一歩ずつ歩み寄る。一方マルコは混乱しているのか微動だにできずにいた。

「マルコさんが…好き」
「お前ッ――!?」

直ぐ目の前にカーナが来るとマルコの頬にカーナの手がそっと触れた。そして”また同じ言葉”を告げたカーナはマルコが声を上げると同時にキスをした。
驚いたマルコは身を引こうとしたが、その前にカーナが自ら身を引き、以前と同じように白い光を全身に纏ってその場から姿を消した。

〜〜〜〜〜

「生涯で唯一愛した男がいる女よ」
「マルコさんが…好き」

〜〜〜〜〜

何故か反応が出来なかった。カーナの目に、声に、まるで手足を縛られるような感覚に陥って身動き一つ取れなかったのだ。

―― な、んだよい……?

マルコは触れた唇を手で覆うと自ずと眉間に皺を寄せて目を瞑った。カーナと唇を重ねた瞬間に何故か懐かしさと愛しさが胸中に広がり気持ちが高ぶった。

何故――?

触れたいと思ったのだ。直ぐに抱きたいとさえ思わされたのだ。

何故――?

同じだったのだ。まるで同じだったのだ――マヒロと。
同じ感触で、同じ匂いがして、同じ温もりを感じたのだ。

―― ……わからねェ。カーナと会ったのはついこの間だってェのに……。

まるで以前からマルコを知っていたかのようなカーナの振る舞いにマルコは困惑しきりだ。それにマヒロが告げてくれた言葉を、一言一句違わずにまるで自分の言葉のように告げたことがより拍車を掛けてマルコを悩ませた。

―― ……マヒロ。
(……はい)
―― お前ェはおれを不信に思うか?
(……)
―― 一瞬でも心を許したおれを疑うかよい…マヒロ。
(マルコさん)
―― おれはっ
(マルコさんが…好き)
―― !
(今は面と向かって言えないのが辛いけど、私は信じてる)
―― ……マヒロ……。
(私と同じ……似ていたから隙が生じた…でしょう?)
―― ……。
(それに、同じだったと言っても唯一異なることがあるでしょう?)
―― 何…だよい?
(私の心はマルコさんの側にずっといる)
―― !
(私はあなたを愛してます)
―― ッ……。

ドクンと心臓が大きく脈打った。

「ハッ…ったく、おれが敵の術中にハマっちまっただけってこった。情けねェなァ……」

額に手を当てたマルコは苦笑を漏らして力無く溜息を吐いた。
実際にマヒロは今どの辺りにいるのだろうかとふと考える。近くに感じてはいるのにそれさえ遠く感じる。

「早く…、早くお前に会いてェよい……マヒロ……」

こんなにも誰かに会いたいと心待ちにする気持ちを抱いたことは過去に一度たりとも無かったとマルコは思った。それはどうやら精神的にも余裕が無くなって来たことを自覚した瞬間でもあったと言えるだろう。

重なる愛

〆栞
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