16


怪我の回復を優先して数日間その町に留まることにした。その間、ヤヒロは本来の目的と自分の正体をサッチに話した。そして、全てを理解したサッチは床に額を擦り付けて何度も礼の言葉を口にした。

「サッチん、もう良いって」

頭を上げてくれとヤヒロは言うが、いや、それでもと頭を振ったサッチは頭を上げない。

「おれはヤヒロちゃんに一生頭が上がらねェ。感謝だなんてそんな言葉だけで済む問題じゃねェってんだ!」
「じゃあ、何もかも無事に終わったら最高級エレファントホンマグロを使ったサッチんの料理で手を打つ」
「わかった。おれの小遣いを全部叩いてエレファントホンマグロを買って作ってやるよ」
「やった!!」
「ハハ……」

エレファントホンマグロって最高級魚なだけあって超高いって知らねェんだろうなァ。はァ…、暫くは貯金生活だなと、サッチは半ばトホホと嘆いた。そんなこととは露知らずにヤヒロは「楽しみだ」と笑った。
それから――と、ヤヒロはこの宿に着いた日に見たリアル過ぎる夢の話を話した。サッチは愈々眉根を寄せて真剣な表情を浮かべた。

「想像したくねェけど、オヤジとエースの墓の前でマルコがどういう顔して突っ立っていたかなんて、容易に想像できちまう。その辺、おれっちは本当にマルコの良き理解者だなァって、自分でも思うわけ」
「……」
「精神的にズタボロで、もう相当まいってたんだろうな。ヤヒロちゃんに対するマルコの気持ちは理解できる」

サッチにとってこれ程ショックな話を聞かされるなんて夢にも思っていなかっただろう。
親友が落ち込むその場に自分は立っていない。それどころかその元凶は油断していたとは言え全て自分の落ち度から始まったようなものだ。
サッチは深い溜息を吐いてガクリと項垂れた。それを見つめていたヤヒロはツキンと胸が痛んで徐に手を当てた。
何か…ごめん……。
自分が悪いわけでも何でもないのだが謝らずにはいられなくて胸の内で吐露したヤヒロ。しかし、再び顔を上げたサッチの表情は至っていつもと変わらない柔和な笑みがあった。
無理して笑っているのかもしれないと心配になったヤヒロは「大丈夫か?」と声を掛けた。それに「気遣ってくれてありがとな」とサッチは笑った。

「まァ、色々ショックっちゃショックだったけど、でも現にこうして生きてるわけだから気にすんなって」
「サッチ……」
「ヤヒロちゃん……いや、マジマヤヒロのおかげでおれっちは生き延びた。折角拾った命だ。そうとなりゃあ全力で阻止しねェとな!」
「え?」
「エースの処刑」
「やっぱり未来通りかな?」
「あいつのことだから周りの制止を聞かずに船を飛び出して単独でティーチの野郎を追うだろうなァ。エースは意外にも責任感が強ェしな」
「あー……」
「たぶん未来は予定通りに事が進むとおれっちは思う。けどよ、イレギュラーが発生してんだから変えることだってできるだろ」

親指で自分を指したサッチは二ッと笑った。そして、両手を広げて意気揚々と声高に言う。

「やってやろうじゃねェか! 全く違う未来への開拓をよ!」

本来なら既に死んでしまっていた自分の命の使い道を見出したサッチの目には覚悟があった。目を丸くしたヤヒロは、ツキンと痛んだはずの胸の底から嬉々とした強い心が湧くのを感じてクツリと笑みを零した。

「その為に、世界を飛び越えた夜叉鬼神様はモビー・ディック号に来たんだからなァ!」

サッチがヤヒロの肩にポンッと手を置くと「あァ、そうだ」とヤヒロは頷いた。

「未来で泣いてるマルコとの約束を果たしてやろうぜ」

おれっちが助けてやんねェと可哀想じゃねェか。エーンエーンって泣いてだぜ?おっさんがよ――と、サッチはお道化て言った。

「ハハ……」

流石にエーンエーンは無いだろう。ちょっと想像したけど、あり得なさ過ぎて、可愛そうどころか謎のホラー感があって恐ろしさを感じた。思わず頬が引き攣ったヤヒロは、ここにマルコがいたらサッチは今直ぐにでも処刑されていただろうなと思った。

「うん、想像したな?」
「……」

ヤヒロはスッと視線を外した。その反応はYESと言ってるようなものだ。ただ、「おれっちも自分で言っといてなんだけど怖かったわ」と、サッチは頭をカリカリと掻きながら「ごめん」と謝った。で、冗談はさておき――と改めてサッチは真面目に言葉を続けた。

「立ってやろうぜ、隣によ。墓なんて無い海の見えるその場所で、オヤジもエースもおれも一緒にマルコの隣に立って、皆で笑うんだ。そんな未来に変えてやろうじゃねェか、な?」
「皆で笑って……か。そうだな。うん、それが願いだ。その為なら私は何だってやってやる」
「あ、勿論その時はヤヒロちゃんも一緒だからな」
「ん?」
「当然でしょ。もうヤヒロちゃん無しではあいつは物足りねェだろうからさ」
「へ? あいつ? 物足りないって?」

目をパチクリさせて首を傾げるヤヒロに何か言い掛けたサッチは、咄嗟に口元を手で押さえて視線を外した。

「何だ?」
「いや、こっから先はお節介が過ぎるから話は終わり」
「え?」
「つーか、マジでこの手の話になるとヤヒロちゃんは鈍いな」
「な、何だよ? 気になる言い方すんなって」

不満気な表情を浮かべるヤヒロに二カッと笑みを浮かべたサッチは、ヤヒロの頭に手を置いてくしゃくしゃと撫で回した。そして、「んじゃ、早速色々と準備しねェとな!」とサッチは無理矢理に話を切り上げた。

「サッチ!」

声を張り上げてサッチの名を呼ぶヤヒロだったが、「聞こえませーん」とサッチは笑うだけだった。
むぅ……、何かムカつく。
ヤヒロは眉間に皺を寄せて唇を尖らせた。――が、わからないことをいつまでもどうこう考える性分では無い為、気持ちを切り替えて今後についてどうするかを話し合った。

頂上戦争に関する記憶を何とか引き擦り出して大まかな流れをヤヒロは説明した。ただ本当に朧気過ぎる記憶なので――

「役割分担だけ決めておいて、あとは現場に行って自己判断で行動」
「うわァ、適当。本当に助ける気あんのかって思うな」
「んー、だってよ……」

頂上戦争について説明しながら書かれた内容を見つめながらサッチは言った。

「ヤヒロちゃんの記憶力があまりにも薄っぺらいんだから仕方が無いよな?」
「ご尤も……」

申し訳無いと後頭部に手を当ててヤヒロは謝った。
話し合いの結果、それぞれが出来ることを優先的に考えて別々に行動することにして、「あ、そうそう」とヤヒロは薄っぺらい記憶の内の一つだけ確実だとする事象を前もって対処しておきたいとサッチに言った。

「えーっと、誰だっけ? 誰かがね、海軍の赤いおっさん」
「赤犬か?」
「あ、そうそう。誰かさんが赤犬の口車に乗ってオヤジの腹を刺すんだよ。けど、オヤジは寛大だから責めたりはしなかったけど結構な致命傷だったんだよな」
「誰か思い出せねェの?」
「えーっと、んー、ハゲ……。いや、でも、長髪…だったような」

ぼやーっとしか浮かばない顔に苦心するヤヒロと、ハゲで長髪という両極端過ぎる情報にサッチは眉を顰めて首を捻った。

「ん”−……、確か蜘蛛みたいな……」
「蜘蛛? あ、傘下の大渦蜘蛛海賊団船長スクアードか!」
「あ、それ。そんな感じの名前だった」
「あァ、だったらわかるような気がするぜ」

大きく頷いたサッチは察しが良かった。赤犬の口車に誘導されて白ひげを刺してしまうスクアードの理由を直ぐに理解したのだから――。
白ひげ海賊団の中で人の機微に敏感に察知して気遣いができる4番隊隊長の存在は本当に大きい。サッチが生きているのと死んでいるのとでは大きく違うとヤヒロは思った。

「とりあえずスクアードの方を何とかしねェとなんねェわけだ」
「先に全て話しておけば問題無いかと。サッチんなら口が上手いし説得可能かと思ってさ」
「知らねェ仲じゃねェからな。ん、説得はおれっちに任せろ」
「ハハ、頼もしいぞサッチん!」
「大船に乗った気分でどーんとな!」
「フランスパンみたいな感じの船な」
「男の勲章!!」

こうしてサッチは単独でスクアード率いる海賊船を探し、エースのことを前もって話をすることになった。

「こんだけ揃ったら行けるかな」
「たぶんな」
「本当に大丈夫か?」
「んー、何とかなるだろ。大体、おれっちがここにいる時点でイレギュラーだからな」
「それを言うなら私がこの世界に来た時点でイレギュラーだって話」
「ハハハ! 二人揃って『イレギュラーズ』ってか」
「何それダサい」
「ははは、違いねェ」
「じゃあ、サッチん! 裏方稼業を頼んだよ!」
「おー」

宜しくなァ相方!と笑うヤヒロに対して苦笑を浮かべたサッチは少しだけ視線を泳がせる。
ちょいちょいとおれっちの名前を愛称で呼ぶのな。まァ、もう良いけどよ――と、何だか気抜けする呼び名に緊迫感ゼロだなと小さく溜息を吐いた。

そして――

「じゃあ、おれはスクアードの説得が済んだらそのまま先にモビーに帰るからな。皆も心配してるだろうしよ」

それぞれの船に調達した当面に必要な荷物を全て乗せた後、残った資金を半分に分けて持つ。バギーが選別にくれた資金は、二人分の旅の準備を揃えても尚十分に残る程の額だ。これには心の底からバギーに感謝しても足りないぐらいだとヤヒロは思う。
一方――
あの道化のバギーがヤヒロにこれだけの選別を与えたのには理由があるとサッチは勘繰った。ヤヒロから経緯を聞いて考察した結論は正に『惚れやがったな』だ。
これはきっと儚い恋だ。マジで同情する。……会ったことねェけど――と、賞金首リストの顔写真でしか見たことが無い命の恩人にサッチは同情だけしてあげることにした。

「ヤヒロちゃんも気を付けてな。ヤヒロちゃんだってもうおれ達の大事な家族なんだからよ。ヤヒロちゃんの命も身体もヤヒロちゃんだけのもんじゃねェってこと、忘れんなよ?」
「ハハ、わかってるよ」
「じゃあ――」
「あ、そうだ。サッチん!」
「ん?
「お願いがあるんだけど」
「何?」
「これ、私から皆にってことで渡しておいて欲しいんだ」

船に乗り込もうとするサッチを呼び止めたヤヒロは、持っていた袋を手渡した。サッチはその袋を開けて中身を見ると目を丸くした。

「何だこれ?」
「願いや想いを込めながら一人一人の分を編んでおいたんだ。ミサンガって言うんだけど、これを腕か足首にでも付けて……、まァ、御守みたいなもんだな。あ、ちゃんと誰の分かって名札も付けてるから」
「へェ……、一人一人色が違うし組み合わせも違うんだな」
「本来は色によって色々な意味があるんだけど、これは私の勝手なイメージで色を組み合わせて編んでるから色合いに意味は無いけど」
「おれっちのは、黄色と白とオレンジか。良いな! 気に入った!」

早速自分の腕にミサンガを付けたサッチは、目線の高さに腕を上げてどうだとばかりにヤヒロに見せると、ヤヒロは自分用に作ったミサンガを付けた腕を翳してサッチに見せた。赤と青と金と黒。特攻服に使用されている色と同じ色の組み合わせだった。そして、お互いに笑みを浮かべる。

「ハハ、ヤヒロちゃんらしい色だな。よく似会ってる」
「ありがとう。サッチんも似合ってるよ」
「おう、おれの好きな配色だ。流石はヤヒロちゃん! よくわかってる!」
「じゃあ、気を付けて!」
「おう! ヤヒロちゃんもな!」
「次に会う時はその時だって伝えておいて!」
「わかって……あ!」
「ん?」
「あー……、他に伝えること無い?」
「え?」
「ほら、何だ……、その……、な?」

何だか歯切れが悪いサッチに、疑問符を飛ばしながらヤヒロは首を傾げた。やっぱりわからねェかと痺れを切らしたサッチは割と真剣な表情で言った。

「未来のマルコとの約束も大事だけどよ、現実のマルコにもちっとは心を向けてやってくれよ。あいつ、結構……ヤヒロちゃんのこと心配してると思うわけ、マジで」
「!」

ハッとしたように目を丸くしたヤヒロにサッチが改めて「何か伝えることは?」と問い掛ける。だが、少しだけ寂し気な表情を一瞬だけ浮かべたヤヒロに、サッチは軽く目を見開いた。何でそんな顔……――と、あまり見たことのない表情に少しだけ動揺が走る。

「青い不死鳥は守りの加護を……。いや、違うな」

小さく首を振ったヤヒロは、更にこれまであまり見せたことの無い程に眉尻を下げて笑った。

「想いは全てそのミサンガに込めてあるから良いよ。ありがとうサッチ」
「!」

どこか儚げで、しかし可憐で、そして優しい、女性らしい笑み。
あァ、成程。一端の女の顔しやがって。それが十分伝言になってるって気付いてねェんだな――と、サッチはクツリと笑みを浮かべてコクリと頷いた。

「わかった。じゃあ、先に出るぜ」

サッチが乗った船が動き始めて大海原へと出航する。そして、徐々に距離が生じて小さくなって行く船の船尾にサッチの姿を見つけたヤヒロは「サッチ!」と手を振って声高らかに叫ぶ。

「生きててくれて本当にありがとう! 次に会う時も笑って会おうな!!」
「!」

ヤヒロの言葉に身体が震える程の喜びに満ち溢れたサッチは眉尻を下げて笑みを零した。そして、ヤヒロに向かって無言で深々と頭を下げた。

マジで、マジで感謝する。
ヤヒロ、ありがとう。

目頭がジワリと熱くなって視界が歪む。

こんな気持ちは初めてだ。
こんな風に涙が込み上げたことなんて人生一度も無い。
心の底から感謝してもし尽せない。

言葉では言い表せない程のこの想いを、サッチは大事に心に刻み、胸元に手を置いて深呼吸をしながらジンと染みる思いを噛み締めた。
暗く荒れた海に落とされた自分を助ける為に、己の命を顧みずに飛び込んで助け出すようなとんでもない女だが、自慢すべき仲間で家族で――愛すべきおれ達の妹は――常識外れの ” 絶対的な力” を持っていて、この世界において全てを飲み込んで変えてしまう程の存在。
何よりも底知れない魅力という名の器を持っていて、それは覇王をも超える絶大なる大器で、誰しもが意図も簡単に屈服させられることになるだろう。恐らくそれは世界最強と称されたオヤジでも、恐らく赤髪のシャンクスでさえも――と、確証は無いがサッチはそう思う。

強いのに強さを誇示しない。
器があるのに使わない。
誰に対しても対等で平等。
自分の尻拭いは誰にも手を出させないのに、他人の尻拭いを平気でする。
真っ直ぐで、素直で、直情的だけど、感情的にどうこうすることは無い。
ケジメをつけるにしても他人に強要はしない。
自分に厳しく他人にはそれとなく甘いところがある。
口が悪く、態度も横柄で横暴――と見せておきながら、実のところ繊細で細やかな優しさに満ちた心根。
それらはきっと――
そう、別れ際に見せた内面に潜んだ孤独と寂しさと悲しみに暮れた顔が教えてくれたようなものだ。ヤヒロ自身が孤独という寂しさと悲しさを知っているからこそ、そして、それを失う辛さや怖さを知っているからこそ、他人の為に命を懸けて、他人の為に身体を張って、他人の為に優しくできるのかもしれない。

あァ、十分だ。十分過ぎる。
ヤヒロちゃんは命を懸けるに値する女だ。

拾った命。
与えられた命。
とことん使い尽くしてやる。
これから先、この命はヤヒロの為に使ってやる。

サッチはヤヒロから貰ったミサンガを付けた腕をギュッと握り締めて強い眼差しを持って前を向いた。
そして――
港に残ったヤヒロは「んじゃ、私も行くか」と、覚悟を新たに始動する。

「とことん掻き混ぜてやるから覚悟しろよ世界!!」

目的は決めてあるが、まず先に会っておきたい人がいる。今から目指すのは赤髪海賊団の船だ。白ひげ海賊団といずれ会うだろう彼に先んじて会っておきたいとヤヒロは思った。そして、彼らと会った後にサッチには言わなかったが、とある場所に潜るつもりでいる。

何事も慎重に、でも、やるからには大胆に!だ。

麦わらのルフィを知るなら共に戦う必要があるだろうし、何より ” 彼の協力 ” は必要不可欠で欲しい力だ。オヤジと因縁があるみたいだけど何とかなるだろう。

上手く行くかはわからない。
だが自分の器用さを信じる。

町で得た情報を元にヤヒロは一路、赤髪海賊団を目指して船を走らせるのだった。





青、誠実と冷静と行動を

黒、意志の強さを

紫、忍耐力と精神性を

白、平穏と落ち着きを

水色、美しさと爽やかさ、そして――笑顔を





編み込みながら自然と涙が零れた。拭っても拭ってもポロポロと零れる涙の意味を、ヤヒロは嫌と言うほど理解した。
一人一人の名前と顔を思い浮かべながら紡いでいく。その中でこの色を編む時ほど胸が苦しくなっのは、きっと、それが特別だからなんだと思う。

雨の中で一人佇む姿が目に焼き付いて離れない。
今にも泣き崩れてしまいそうな悲しみに暮れたあの顔が忘れられない。

願いを込めて、想いを込めて、編み込んだそれを太陽に翳して見つめるとギュッと握り締めた。

特別だかんな! 有難く受け取れよ!
そんで、もう一度……――

皆で笑おうな、マルコ。

想い願う心

〆栞
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