「伊作くん」

そう、呼び掛けてみた。
彼は自分の名前が呼ばれたことなど気付きもせず、同じ学生服を纏った友人達と楽しそうに笑いながら、目の前を通過して行った。
それは彼が無視をしたとか、そういうことではない。
返事をしないで、当然なのだ。
彼には私が見えていない。
彼だけではなく彼の周りにいる誰もが、私を見ることは出来ない。
忍者と呼ばれる者たちが暗躍していたのは、もう何百年前の話だろうか。
私が人間として闊歩していた時から、何百年が経ったのだろう。
その時代に一度得た生命は当然散った、しかし長い月日の間に彼の方は再び肉体を持ち誰の目にも映る生きた人間として、地を踏む資格を得た。

私はといえば。

魂だけが現世に囚われて、動けなくなってしまった。
何か強く思い残したことがあったのだろうが、長らく留まりすぎて、霞んでしまった。
彼には私が見えないけれど、私には彼が見える。
他にも大勢、皆転生というものを経て、幸せに現世を生きている。
昔のことなど遥か彼方に忘れて、今を。
覚えていて苦労するよりは覚えていないほうが楽に決まっている。
だからそれでよい、それでよいのだけれど。
本能は、淋しさを隠さない。
忘れるということが、忘れられるということがこうなった今の私には驚くほど堪えるのだ。
皆が新しく生きていく中で、私はいつまで、こうしていればいいのか。

誰も気付いてくれないまま、私は、いつまで。

陽射しを眩しいとも暖かいとも、身体を通り抜ける雨や雪を冷たいとも、感じられない。
ずっと繰り返された不自然に馴れつつある自分が、何かとてつもなく悍ましい得体の知れないもののように思える。
この感情を恐怖だというのならば、恐怖とは何と不快なものか。
ただぼんやりと浮いて、己を突き抜けて歩いていく人々を見るだけの日々はもう飽きた。
ただ一人に焦がれて、気付かれないことを虚しく思うのも、疲れた。
もしも、誰かが救ってくれることを期待するならば。

「伊作くん、出来ることなら君が、私を消してくれ」





(願いは、緩やかに空気に融けてゆく)


fin.
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