あいさらい


なんとかバイトに来るものの、俺には不安な気しかしなかった。当たり前だ。寧ろ当たり前じゃねぇ奴がいたら言ってやりたい。これが不安にならないわけねぇだろうと。
ワグナリアの従業員入口から入るなり、最初に声をかけて来たのは小鳥遊だった。

「佐藤さん!よかった、このまま今日は来ないのかと」

俺はそんな小鳥遊を見るなり、あの携帯の名前を思い出して、たった今まで起きていた事実に顔が熱くなる。それを隠すようにどうにか顔を向けることをせず、とにかく遅れたことを詫びる。

「悪い、小鳥遊。電話もらってたのに」
「いえ、佐藤さんに電話しても繋がらなかったので、チーフに聞いたら相馬さんに電話してみたらどうかって。とにかく注文が結構入ってしまっているので、お願い出来ますか?」
「ああ、判った」

作業着のままだったので少し乱れていたそれを改めて整え、俺はもうやけくそで意気込むしかない。まさか相馬に入れられたものがまだ入っていて、そのままバイトをしろなんて言われたこと、気付かれるわけにはいかないのだ。
だが現実はやはり前途多難だった。そもそもこのバイト先自体が前途多難なのだから、今更に思えば無理なことだったんだろう。中では微弱な振動ばかりなので音も聴こえず、声も抑えられる。それでも少しずつ体温は上がっており、身体を触れられることだけは避けたい。……が、そうもいかない。

「佐藤さん!」
「あ…っ」

背後から種島の声がしたかと思えば、俺が振り返るよりも早く手で叩かれた。意識もせずに漏れた声を抑えるが既に遅く、半ば喘ぎのようなそれに不思議そうな種島を、慌てて自分で自分をフォローする。

「種島!ど、どうした」
「お客さんから催促来たから、伝えようと思ったんだけど……佐藤さん大丈夫?顔赤いよ、熱でもあるの?」
「いや、別にねぇ。判ったからほら、伊波が呼んでる。行ってやれ」
「あ、ほんとだ!男性客来たのかな。行って来るね!」

顔を隠すように手で顔を覆っては、ホールからの伊波の呼び声に気付き、とにかくなるべく近付けないようにと種島にふった。種島本人は俺のおかしな態度にも特に気にした風もなく、伊波に呼ばれる形でキッチンを出て行ってしまう。
俺は一人、とりあえず一つの関門を抜けたことに安堵して息をついた。とにかくあと数時間だけの我慢だ。幸い相馬はいないのだから、耐え抜いてどうにか終わらせることだけを考えるしかない。キッチン服を縛る紐を整えながら集中し、俺は早く終わらせてしまおうと客から来た注文伝票をひらりと手に取った。

一方、種島がホールにやって来ると、やはり男性客が来てしまっていたらしく、伊波は出入り口にて慌ている様子だった。すぐさま駆け寄ってみれば、そんな彼女の前にいた客に種島は嬉しそうに声を上げる。
それは彼にとっては不幸なことに、先程まで佐藤がいないことを安心していた同僚の相馬だったのだ。

「あれ、相馬さんだ!」
「やあ、種島さん」

客としてやって来るのは珍しいことなので、半ば不思議そうに近寄るものの相馬は至って笑顔である。伊波は伊波でいつものようにわななく右手を押さえ付けながら、何度も頭を下げて謝罪していた。

「ごめんなさい、相馬さん。ご案内も出来なくて…!」
「いや、伊波さんは大丈夫だから。俺がまだ無事なことに免じて、ほら仕事に戻っていいよ」
「本当にすみません!」

謝り続けていればやがて既に店内にいる客に呼ばれ、伊波は相馬の言葉に応じるようにして接客へと向かった。殴られる恐怖から一段落した相馬を、そうして入れ代わるように種島が適当な席に案内する。席につくなり同僚らしく、軽い雑談を始めた。
幸い、相馬の他には女性客しかいなかったので、少しならばその暇もあるようだ。

「相馬さんがお店に食べに来るなんて珍しいね」
「うん。今日はちょっとご飯食べるの遅くなったから、作るよりこっち来る方が早いかなって思ってね」
「注文は何にしますか?」
「じゃあハンバーグとエビフライセット。ライスに珈琲で」
「はい!佐藤さんに多めでお願いしておくね」

注文を取る機械に言われた料理を打ち込み、パタンと閉じるなり接客用の笑顔になっている種島。その姿に微笑む相馬だが、何処か今日は怖いような笑顔だった。そのことにも彼女は気付かないのだから、まさか水面下で相馬と佐藤の二人がこんな状況になっているとは思いもよらないのだろう。
実際、二人がそうした仲であることさえ、彼女は全くと言っていいほど、予想だにもしていないのだから。

「ありがとう。あ、でも俺が直接言いに行ってもいいかな」
「うん、大丈夫だよ。あ、今行きます!」

すると種島は傍の客に呼ばれ、すぐさま相馬から離れていく。それを見届けた後に席を立ち、相馬が駆け足で歩み寄ったのはもう随分と見慣れた職場であるキッチンだ。相馬がひょっこりと覗き込んでみると、一人、彼に背を向けた青年がいる。

「さとーくん」
「てめ、相馬…!」

それが俺だ。息苦しいような熱と違和感にいっぱいいっぱいとなっていた俺を、冷やかすような視線と声で呼ぶ相馬を殴り掛ける。それが出来なかった理由としては、このカウンターからキッチンとの隔たりの所為だろう。まさか直接来るとは思ってもいなかったが、それはそれで相馬からすればこんなにも面白いであろうことを放っておくはずがなかった。
にしても相変わらず面白そうな顔しやがって。同じ笑顔でも八千代とは大違いだ。それでもなんで俺はこんな男を追ったのか、我ながら気が知れない。

「どう?大丈夫そう?」
「大丈夫なわけねぇだろうが。こんなことさせやがって!」

さも人事のような態度には、さすがに腹が立つ。とはいえ、それを言われたからと言って実践してしまっている俺も相当おかしいのだろう。
いっそフライパンでも投げつけようとして振り上げた手を掴まれ、引き寄せられ、耳元に息がかかるほど近く、低くお前は声音を吐くんだ。俺がそうしたお前の一面に弱いことを知って。

「でも、誰にも気付かれずにバイトを終えたら、ちゃんとご褒美あげるからね、潤君」

だから嫌いなんだ。こんな男に惚れた、自分なんて。


(111213)

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