呼吸のできない水と同じことだと思った。だから逃げた。


欲しいと言ったらいくらでもくれた。今まで自分から求めたことなどなかった。本心でなんて、一度も。たくさんもらえるのに抵抗はあった。俺は受け入れないのにもらうだけなんて酷いとか、そういう偽善。
けれどそれでもいいと、お前は言った。必要にされるだけでいいと。それで手に入れた気になるからと。
だから、俺は。

「やめろ」

さっきまで、欲しいと言ってもらっていただけだった。好きになってもらえない寂しさを、俺が好きだと言うこいつに甘えていたんだ。判った、もう十分だ。俺は弱い、そしてそんな俺を求め続けるこいつも弱い。無駄な悪循環。そうだ、気付いた。なんて馬鹿げたことをしてきたんだと、そう。
相馬のことを殴ったのは、多分初めてだ。フライパンではなく、素手なら。口の中が切れたのか、溢れそうになった血を相馬の赤い舌が掬う。俺は未だ繋がっていたそこを相馬を突き飛ばして引き抜き、ふんぞり返った。

「う、…くそ、帰る」
「待って」
「ひ、」

待ってと言われ、握られたのは俺の自身。引き攣った喉に息を吸うのを忘れて、一瞬の呼吸困難に陥る。相馬の冷めた表情。息ができないことに涎を吐き、呻いて手を伸ばす。届かない、届かない。なんて遠いのか。こんなにも、そう、こんなにも。

「んっ、ひぐ、」
「息できないの?こっち向いて、潤くん」

さも当たり前のように名前を呼ばれる。それから握られていた手は離さないままで、もう片手を俺の後頭部を掴み無理矢理口づけされた。息を吹き込まれる感覚。僅かな酸素の供給に、心臓はけたたましく鳴り上がる。漸く呼吸を思い出した俺は、相馬を引きはがし、とにかく目一杯息を吸った。
吸い過ぎて噎せる。あまりにも自分が馬鹿で、涙が溢れた。

「今日はもういっか。また今度…」
「いらない」
「潤くん?」
「もういらない、名前も呼ぶなッ」

びくりと肩を震わせ、ああもうなんだ。これじゃあどっちが被害者だ。でも止まらない、止められない、止めたくない。俺は、多分知りすぎたんだ。相馬を。

「さと、」
「俺が好きなのは、お前じゃない」

服を引っつかんで着て走って、相馬の家を出る。息が切れるのも構わずに、大きく浅い呼吸を繰り返しながら、逃げる。認めてしまいそうになった、欲しがることに。何の躊躇いもないまま。怖くなって、逃げる。相馬博臣から逃げる。俺は、佐藤潤は、逃げる。
逃げて、何処へ?

(100615)

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