馬鹿馬鹿しい、と思っていたの。


必死で空回りして焦ってもがいていた時は、情けなくて苦しくて、いっそこんな人生やめてしまいたいって思っていた。

あれから色んなことがあって、なんだかんだ落ち着いたのだけれど、幸せで平穏な日々を手に入れたかわりに私はずいぶん空っぽな人間になったと思う。


……変よね。私もそう思うの。


どんな妄想をしても、どんな想像をしても
とても現実には敵わない。

薄っぺらい人間からは軽薄な言葉しか出ないみたいに、あの時の私と今の私は、全く違う人間みたい。


不幸と幸せなら後者がいいと、きっと誰しも口を揃えてそう言うわ。


でも不幸が当たり前だった私には、不幸がないと何をしていいかわからなくなる。こういうところがズレてるのよね。

可笑しくなっちゃう。


辛くないことが辛いの。

きっと一時的に幸せを感じても、いつかそれが消えてしまうことが怖い。


壊れていく足音に怯えながら、笑顔でやり過ごす日々はもううんざりなの。

いずれ不幸になるならば、幸せな時間は痛みを増すだけ。
だったら最初から、幸せな時間などなければいい。



こうはなりたくない、と思っていた、ひねくれた大人になってしまったわ。
そんな自分に一番幻滅しているのは、自分。


滑稽、という言葉はこんな時に使うのね。


……こんな人に言えないような話。
誰にも話したことはなかったのだけど。


あなたなら、わかってくれるかしら。


そう期待している私がいるの。ごめんなさいね。




*


レディ、お手紙ありがとう。


あれから僕は、とても幸せにすごしているよ。

なにかを失くして落ち込むこともないけれど、感じの悪い同僚に腹を立てることはある。
まあ、お酒を飲みながら誰かに愚痴れば、次の日にはケロッとしているけど。


面白いでしょう(笑)
なんて平和なんだ、ってね。


今は幸せだよ。
―もう存在は抹消したけれど―大切な人を失って、毎晩毎晩押し潰されそうになっていた、あの頃のような痛みはもうない。


後を追おうと締めた首の痕だって、切りつけたひどい傷跡だって、新しい皮膚が覆い被さって一目ではわからないほど快復したんだ。

人の体ってすごいよね(笑)


怪我をしてすぐは痛みが取れるまで永遠のように長く感じてしまうのだけど、喉元過ぎれば熱さも忘れてしまうものだね。


あの苦しみが嘘のように、僕は今日もケロッとしているよ(笑)




今はとても幸せだよ。
とても幸せで――、それでいてひどく、退屈なんだ。



たとえばさ、小説には沢山の登場人物が出てくるけれど、人生もそれに結構似ていて

沢山の人が僕という主人公に影響を与え、お互いに及ぼし合いながら生きているわけでしょう?


でもね、僕の場合。僕の人生の舞台から、僕以外の人は去って行った。

強制的に退場させた、と言った方が正しいかもしれない。


掛け合いもなにも無い、僕のステージにいるのは僕だけで、誰のセリフも僕の心には響かない。



ねえ、あの頃より僕たちは笑えるようになったはずなのに、心は全然満たされてないのはどうしてなんだろう。


満たされない、叶わないものをごまかしたり目を逸らしてきて、だんだんその痛みにも慣れてきたはずなのに
どんどん息苦しくなるのはどうしてなんだろう。


この平坦な道を歩み続けたら、その先にあるのは大きな落とし穴なのかな。それとも海底かな。

なんにせよ、ひどくつまらない気がしてならない。



ごめんね、君の相談に乗りたかったのに、結局自分の情けない話をしただけになってしまったよ。

生い立ちも年齢も住んでる場所も、何もかも違うのに僕たちは考え方が似ているね。


よければまた、こうして手紙を書くよ。
どうかまた会える日までお元気で、ミスマダム。



親愛なる退屈なあなたへ






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