赤ん坊はまだ眠ってはおらず、少しぐずっているものの、さっきのように泣き喚く気配はなく、大人しく揺られていた。
泣いてもどうにもならないことがわかり、この部屋の空気に少し慣れてきたのだろうか。
あるいは、赤ん坊は笑顔を連想させるようなキャラクターが好きだという情報を得たので、無機質なマイケルの顔(に当たる部分)に世間で人気だというキャラクターの顔を書いて貼り付けてみたのが効いたのかも知れない。
けれど、男が第一に思い当たったのはそれらの要因ではなかった。
「♪〜♪♪〜」
マイケルは、ずっと歌を歌っていた。
“メロディアス・マイケル6号”は、その名の通り歌を聴かせるために男が作ったロボットだった。
このロボはネジが抜けており、よくポカをやらかす。
だが、その実は男が歌うこと以外のプログラムについて一切考えていなかったからだ。
とにかく歌うことだけに全力を注いだ。
…珍しいものだな、と男はぼんやりした頭で思った。
元々、マイケルは“失敗作”として破棄するはずだったが、壊すに壊せず、結局お手伝いロボットとして働かせるようになった。
歌うために作ったロボットだったのに、それからは一度たりとも歌を歌わせたことはなかった。
けれど、久しぶりに聴いたマイケルの音色は依然衰えることはなく、全力を注いだだけあって赤ん坊でなくとも心地好いメロディーを奏でていた。
***
男が初めてロボットを完成させたのは、14歳のときだった。
すでに出来上がっているロボットに電池を入れて動かすのではなく、初めて自分の手で一から作り上げたロボットだけに、そのときの感動といったらなかった。
僅かな小遣いでコツコツ部品を買い集め、ずっと昔から構想していた設計図の通りに作り上げた。
今のロボットのように話すこともない、顔すらない、パーツだけでちぐはぐだったメカ。
スイッチを押せば自分で発電して動くという、ただそれだけの機械だった。それでもとても嬉しかった。
研究者として生きていこうと決めたのは、そのときかも知れない。
決めたと言うよりは、潜在的に自分はこうやって一生ロボットを作っていくのだと思った。
人とは関わらなくてもいい。誰からも愛されなくても構わない。ロボットがいてくれれば、それでいいと思っていた。
機械を愛し、機械だけに支えられて生きていく。
これまでも、そしてこれからも。
***
マイケルが赤ん坊を持って帰ってきて、早一週間が過ぎようとしていた。
相変わらず、赤ん坊の母親に関する手掛かりも手応えもないままだ。
わかったことといえば、赤ん坊の性別は生物学上男だったということと、赤ん坊が泣くときのパターンを分析しているうちに泣き出すタイミングがわかってきたこと。
あと、マイケルのあやし方がだんだん上達してきていることぐらいだ。
赤ん坊はときどき、思い出したかのように激しく夜泣きをする。
会えない母親の姿を本能的に探しているのかも知れない。
だがそれ以外のときは意外にも人懐こく、たまにきゃっきゃと笑うことすら増えてきた。
いつも赤ん坊を抱いているマイケルの腕は合金で硬いためか、居心地が悪くて泣いていたように見えたので、二日目にはもう少し肌に優しく加工した。
顔(にあたる部品)も、紙を貼り付けなくても笑顔に見えるようなパーツにし、見た目も母親らしくなるように女性用ウィッグとエプロンを着用させた。
更には胴体に女性の胸の形をした型を作り、授乳時には哺乳瓶を差し込んで、まるで実の母親がおっぱいをあげているような工夫を凝らしたため、マイケルは見た目も役割もすっかり母親になっていた。
良くも悪くもこの生活にお互いに慣れてきたのだと思う。
けれど……このままではいけないという思いが、男の中には常にあった。
もしこの赤ん坊が母親に捨てられたのだとしても、一生ここで面倒を見るのは不可能だ。
「マイケル」
男が声をかけるとマイケルは振り向いた。
その腕のなかで、赤ん坊は実の母親にされているかのように大人しく抱かれている。
「はい、ハカセ」
「今日その赤ん坊を然るべき施設に預けに行く。」
「シカルベキ施設?」
「そうだ。お前は連れて行けないから、僕が一人で行ってくる」
そう言うと、マイケルは男の顔から目を逸らし赤ん坊の顔を見た。
赤ん坊は無垢な瞳でマイケルを見つめ返している。
マイケルは再び視線を男に戻した。
「アカチャン、バイバイ?」
「そうだ。今日でお別れだ」
白衣を脱ぎ、コートに着替えて出かける支度を始めた男の気配を察してか、赤ん坊がぐずり始めた。
「頼むから泣かさないでくれ、僕が変な目で見られる。あやすのはお前の方が上手いだろ?」
「…イヤ……」
「は?」
男は振り返って動きを止めた。
「赤ちゃん、バイバイしない。」
マイケルは、パーツで人工的に型どられた笑みを浮かべて男に真っ直ぐ視線を注いでいた。
それが逆に不気味だ。
「なにを言ってるんだ?
赤ん坊はもうここにはいられないんだ」
「ハカセ、言った」
「何をだ」
「マイケルに、赤ちゃん、任せる」
「あれは……」
男は、今まで反抗的な態度を取ったことのなかったマイケルが頑なに拒否することに戸惑いを覚えていた。
今までマイケルは、男の言い付けに「はい」以外で答えたことはなかったというのに、今は子どもを守る実の母親と錯覚してしまうほど、自分の意志で拒否している。
「ハカセ、お願い。マイケルが赤ちゃん、見る」
…マイケルに、こんなプログラミングを施した覚えはないのに…。
「マイケル、オムツも、変える。ミルクも、あげる。赤ちゃん、泣かないように、遊んであげる。
ハカセにメイワク、かけない」
なぜだ。
「ダカラ、赤ちゃん、連れて行かないで」
赤ん坊の泣き声が耳にきんきん鳴り響く。
高周波となって脳裏を大きく揺さぶるような、音。
男は襲ってきた偏頭痛に耐えられず、その場に膝をついた。