「夏野、帰るよ」



夕方と夜の狭間、外場村は森に囲まれているから暗くなるとほとんどなにも見えなくなる。夏野はともかく私はよく転ぶため夕日が沈む前に家に帰ることにしていた。

気持ち良さそうに寝ている夏野を起こすのは少々気が引けるが致し方ない。私は夏野の体を軽く揺らしながら声をかけた。少し身動ぎした夏野はゆっくりと目を開いて何かを確認するかのように周りを見回す。



「…もう夕方か?」

「うん。真っ暗になる前に帰ろ」

「ああ…」



ベッドから体を起こして目を擦っている夏野を横目に、私は洋服の皺を伸ばして隣でお腹を出しながら寝ている徹ちゃんに話しかけた。



「徹ちゃーん、夏野起きたから帰るねー」

「…ふえ?」



床に垂れそうになった涎を拭って、徹ちゃんも目を覚ました。意識が朦朧としているのか、「あー」とか「うー」とか言いながらヒラヒラと手を振っている様子を見ると起き上がる気はないらしい。「おじゃましました」と最後にリビングへ寄って武藤家を出た。外は夕焼け色に染まっている。



「寝れた?」

「…まあ、家よりは」

「そっか。よかった!」



私が笑うと夏野も少し笑って、それから何か気付いたように口を開いた。



「名前は気付いてたのか?」



なにを?なんて、聞かなくても分かる。こくんと頷くと夏野は、そうかと言って目を伏せた。夏野が今どういう気持ちなのかは分からないが、夏野越しに見える夕日が、夏野の影を一層濃くしているかのようで胸がざわついた。



「な、つの」



そう呼べば、夏野を照らしていた夕日が雲に覆われて、私の焦りは杞憂だったことを理解する。夏野は、自分を呼んだ私と目を合わせて不思議そうに首を傾げた。



「なに」

「あ…ううん。なんでもないや」

「なにそれ」



怪訝そうな表情で私の顔を見る夏野に安心感を覚えながらも、先ほどの胸のざわめきはなんだったのだろうかと頭を悩ませた。本当に私の思い違いだったのだろうか。夏野が夕日に照らされた時、このままでは夏野は、闇に呑まれてしまう気がして咄嗟に名前を呼んでしまった。まだ物語さえ始まっていないのにこんなことを思うのはおかしいかもしれないが、明日という日は私にとって大きな分岐点になる。不安にならない方がおかしいのかもしれない。

尚も納得していないような顔で見てくる夏野に、誤魔化すように前を向いて夏野から顔を隠した。



「名前」



返事をする暇もなく振り向いた瞬間に手を取られて、確かめるように強く握られる。驚いて、夏野を見上げるような形で見てみると、真剣な眼差しで私を見ていた。



「俺、この村を出たい」



夏野の瞳には強い意志と、そして小さい迷いが見えた。








(意識)




2011.1.29







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