とりあえず手始めに池袋の散策をしようと思い立った。今後の私の状態についてはその時に決めるとのことで、曖昧なまま話は終わった。 臨也の家に着いたのは早朝だったので、時間はまだある。
「折原さん」
「ん?」
「ちょっとこれからまた池袋へ行ってきてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。どうせなら衣料品とか要るもの買ってきちゃえば?」
臨也はデスクの引き出しを開けてなにかを取り出し椅子から立ち上がった後、私の目の前に来て「はい」、と真っ黒のカードを手渡した。 これは、まさに
「ブラックカード…?」
「うん、住所はこれ。部屋は一応あるけど家具はほとんどないから、それも一緒に買ってきてね」
「嬉しいですけど、私遠慮しませんよ?」
「…宝石を大量買いするならともかく、そういうものに興味なさそうだし。それに名前ちゃんはそんなことしないよ」
「さすがですね折原さん。私はそんなことしません、良い子ですから」
なんとも君は引っかかる言い方をするなあと楽しそうに笑って、臨也は私の肩に腕を回した。いきなりのスキンシップに軽く思考が止まりながらも、臨也を離そうと肘で押してみたがびくともしない。これが男と女の差なんだろうか。
「まあまあそう硬くならないで。これから一緒に暮らすんだし、仲良くしようよ」
人の良い爽やかな笑みを向けられたが、それは臨也の本性ではないと知っているため、どうやって反応したらいいか分からなかった。未だニコニコと笑い続ける臨也に私もヘラリと笑ってみせる。その瞬間、ぴたりと臨也は笑うのを止めた。
「あれ」
「……今は、それでもいいか」
「は?なにがです?」
パッと離れた臨也に困惑していると、彼はそのまま元居た椅子に座ってパソコンをいじり始めた。いつも通りの彼に戻ったことには安堵したが、先ほどの言葉の意味が気になった。あれってどういう意味なんだろうか。少し考えてハッと気づく。もしかして――、
「じゃあ行ってきますね、臨也さん」
私は小さく笑って玄関のドアノブに手を掛けた。彼は私が思っているよりも優しい人なのかもしれない。小説での印象とは良い方に違っていて、嬉しく思った。
彼女が出て行った方を見つめ残された臨也は、ふぅと息を吐いて窓の外に視線を移す。どうやらあの子は案外鋭いらしい。 マンションの下に目を向ければ彼女の背中が見えた。臨也は口元だけに笑みを浮かべパソコンに映し出された文字を目で追う。さて、これから彼女はどう動くのだろう。
「とりあえず、俺が思ってた以上かもねえ」
(距離)
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