その時、その場の近くに名前がいることを知っていた。

知っていて、俺は女と会い、いつもなら絶対にしないような行動をこれ見よがしに名前に見せつけた。
理由はただ単に観察したかったから。
普通の凡人だけれどどこか変わったところのある俺の恋人は、俺が浮気をしたらどんな反応を見せてくれるんだろうか。大概のやつらは別れを切り出すか、怒り狂って問いただすか、ベタベタ甘えようとしてくるかである。別にありきたりでも構わないのだが、例外の場合を期待してしまう。

そして今日は彼女と会う日。



「あ、折原!こっち!」

「…君はいつになったら名前で呼んでくれるのかな」

「さあ」


彼女との待ち合わせ場所に着いて、俺に気付いた彼女は大きく手を挙げた。それに駆け寄っていつものように苗字で呼んでくる彼女に呆れた声を出す。仮にも俺の方が年上なんだからさ、せめて“折原さん”とかさ(これを彼女に直接言ったら「きも」と一刀両断されてしまった)。


「ねえ折原、お腹空かない?」

「じゃあどこか入ろうか」


うんと頷いた彼女の肩を抱いて、例の喫茶店へと入る。たぶん、彼女も気づいている。
俺はコーヒーを頼んで彼女はオムライスを頼んだ。


「あ、わたしあそこにあるアイス食べたことある」

「向かい側の?」

「うん。ほとんど溶けちゃったけど、美味しかったよ」

「へえ、じゃあ後でまた食べようか」


俺の提案に嬉しそうに頷いて、彼女は向かい側のアイスクリーム屋を見つめた。そろそろあの話になってもいい頃合いだが、彼女から一向に話し出す気配がない。なにを考えているんだ。
そうしている間にコーヒーとオムライスが運ばれてきた。彼女はふわふわな卵の上にかかっているデミグラスソースを一口舐めて、それからオムライスにスプーンを刺した。



「ごちそうさま!」


喫茶店を出て向かい側のアイスクリーム屋に行くため、横断歩道を目指す。幸せそうに笑う彼女を横目に俺の心が暖かくなるのを感じた。そのまま自然な動作で手を繋いで、ゆっくりと歩く。


「わたしレモンシャーベット、折原は?」

「俺はいらない。名前のもらう」


しょうがないなあーと返されるも若干嬉しそうに口を尖らせる彼女は可愛い。
レモンシャーベットを美味しそうに食べる彼女の横から3分の1ぐらいかじった。「なにそれ意味わかんない!折原の馬鹿!」と怒られたけど俺が払ったんだから別に良いだろ。


「そういえばあの日もレモンシャーベット食べてたなあ」


不意に呟いた彼女の声に、ついに来たかと察した。


「あの日?」

「うん。あの日。折原が今日食べた喫茶店で女の人と一緒にいた日」

「へえ」


それで?と目を向けると、彼女はこちらを見ていなかった。


「臨也」

「!……なに?」

「さよならしよっか」


ああ、彼女も並大抵のやつらと変わらない答えを出した。落胆する反面驚いている自分がいる。


「折原だからきっとわたしを観察対象として試してたのかもしれないけど…ハッキリ言ってそういうところ、冷める」

「わたしはわたしを本当に大切にしてくれる人を大切にしたい」

「折原は、違うよね」

「さよなら」


きっぱり言いきった彼女は手にもったアイスが溶けるのも構わず、地面にポタポタ垂らしながらこの場を去った。この水滴を追えば難なく彼女に追いつくはずなのに体が言うことを聞かない。最後まで平凡な人間だった彼女だが、それでも俺は

もう一度名前を呼んでほしかった
(なくした、もう取り戻せないものを)



dear...みきさま






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