「ヒビキくんにとって、しあわせって何?」

電気を消して、暗くなった僕の部屋。二つ仲良く並べられた布団に僕とコトネはそれぞれ包まれていた。

「しあわせ?」

「そう、しあわせ」

眠りたいと思い、目をつむる。けれども眠れなくて瞼をあげる。視界は真っ黒。瞼の有無に関わらず変わらない色。夜の世界には黒しかない。

「うーん…」

まどろむ、とはこういうことを言うのだろう。脳が休息を求めて、体の機能を次々と奪ってゆく。無音の夜、錐体細胞が働かない今、せめて耳だけは休んではいけないのだと祈る。もっと彼女の声を聞きたい。

「じゃあ、コトネのしあわせって何?」

隣で布が擦れる音がする。深くゆったりとした呼吸の音がする。彼女の、存在の音がする。もっとその音を聞きたい。

「明日が来る…ってこと」

明日。
僕の隣で体を横たえている少女が旅という名の別れを経験する日。

「ついに私も旅立ちかあ…」

楽しみだなあと呟くコトネ。旅のサポートは任せろよと言った、昨日の僕はどこへ行ったのだろうか。今になって、彼女が旅立つという事実を受け入れられない自分が居た。



最後だから、昔みたいに一緒に寝よう。

そう言って寝具一式を持って僕の部屋に現れたコトネは、まだ僕の知っている幼なじみの姿だった。でも、次の朝が来ると、違うコトネになっているのではないかと思うと怖くて怖くて眠れない。本当はぐっすり眠りたい。けれど眠ってはいけないような気持ちになる。

光のない部屋で瞼を閉じると、真っ黒な世界に僕だけ取り残されて、そのまま彼女に僕の存在を忘れられるのではないかと思う。いや、僕がその世界に慣れて、彼女の存在を忘れてしまうのかもしれない。

彼女の言った通り、僕らが枕を並べることは、これが最後なのだろう。


「しあわせ…か」

口に出してはみたものの、コトネのように格好良いものは浮かんでこなかった。僕にとっての幸福とは、衣食住が出来ること、父とマリルという家族が居ること、そして、コトネが居ること…。


コトネのほうを向くために寝返りを打つ。目がこの暗さに慣れてきたのだろう。布団と彼女が織り成すぼんやりとした輪郭が、ゆっくり、静かに上下するのが見えた。どうやらコトネは寝てしまったようだ。

「慣れてしまうのかな?」

暗闇に慣れるように、君の居ない世界に慣れるのだろうか。


彼女の布団の中に腕をのばす。コトネの左手を見つけた。僕の掌でそっと包む。ほんのり暖かい彼女の体温に僕はほっとする。もっとこの手が小さかった頃、僕らはこうして、手と手で繋がっていた。町を走り回る時も、博士にいたずらする時も、お風呂に入る時も…。


……嗚呼、そうか。
昔から、僕の側にはコトネが居た。僕はコトネが側に居るという幸せを当たり前だと思っている。だから当たり前を無くす時、寂しいと思っては泣き、悲しいと思っては喚く。


ぎゅっと手を握ると、彼女は無意識なのだろうか、ぎゅっと握り返してくれた。


人間の、身体の仕組みはよく出来ているとつくづく思う。暗闇に完全に慣れた僕の目には、コトネの目尻から滴が垂れているのがはっきりと見えた。

心の仕組みは、身体ほど都合よく出来てはいないようだ。

しあわせの世界に生きる僕らはきっと、互いが不在の世界に慣れることはない。僕も、コトネも。



「僕のしあわせは、今、この瞬間だよ。強がりなコトネさん」






幸福アダプテーション








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やづるさまより相互お礼文を頂いてきちゃいましたっ…!ほんわかしていてそれでいてちょっぴり切ない素敵な作品で…!こんな素晴らしい作品を頂けるなんて私ってばなんて幸せ者…!

やづるさま!素敵な小説をありがとうございました!