何処にでもある田舎の小さな村では妖怪退治と称した宿調達など案外簡単に出来るもので、今日も実にあっさりと村で一番の権力者の屋敷でお世話になる事が決まった。だいたいこういう金持ちの家の主には、貴方様のお屋敷には悪い妖怪が憑いておりますだの、不運の雲や邪気が見えるだのととにかく不安を煽る事ばかりそれらしく言ってしまえば、相手は一瞬うさん臭そうに私を見ながらも渋々家へと招き入れるものです。実際その家にはほぼ無害と言えど妖怪は憑いていて、ちゃんと御祓いもしてやっているのだから問題は無いでしょう。


しかし訪れる村々で毎度のように女子達に囲まれてしまうのは些か困り事のような気がしなくも無いが悪い気はしていない。男なら誰であろうと女子に好かれるのは喜ばしいと思うものであり、それが生ける者の中で仏様の作り出した摂理であるからです。とても法師の言う事とは思えぬやも知れぬが、法を信ずる者とて人間という子孫が増えねば法を先へと伝えられぬ。とまあ屁理屈じみた建前はこのくらいにしておいて、本心を言ってしまえば私は法師でありながら大変性格が宜しく無いという事が露呈してしまうのです。


私が女子と話をすれば珊瑚はいつも怪訝そうに私を見ておりました。最初はただの女たらしを見る目のそれだったのです。つまり出会ったばかりにして印象は最悪だったということです。しかし、人とは変わるもの。いつ頃からだったのかは定かではありませんが、次第に珊瑚のその怪訝そうな表情の中に苦しみが現われ始めた事に私は気が付いてしまったのです。じわりじわりと珊瑚の表情を、心を侵蝕してくるその苦しみの正体が、恐らくは嫉妬であるという事に私は気が付いてしまっていたのでしょう。そして愚かで狡賢く、それでいて心に珊瑚に対して恋慕の情を揺らめかせ始めていた私は、そんな風に歪む珊瑚の表情をもっと見ていたいと思ってしまいました。だからわざとらしく女子の前で鼻の下を伸ばしてみせる事で珊瑚の嫉妬を煽り、中途半端な優越感に浸っていただけなのです。


ただ、そうして決める宿だけは、なるべく女子がいない屋敷にしていました。何故ならそうすることで珊瑚はいつも安堵したように微笑むからです。その微笑みに私も安堵し、また愛しいと思うのです。愛しいと思うからまた笑顔が見たくなる。私の事を考えて考え抜いてくれた上で現われるその笑顔が。


「……かごめ様、珊瑚を見ておりませぬか?」


そうして相変わらず愚かなままの私はその笑顔が見たいが為に珊瑚を探しておりました。宿を探していた辺りからその姿を見ていないのです。そこで犬夜叉と何やら話していたかごめ様に尋ねてみると、かごめ様は実に微妙な表情を浮かべてこう言いました。


「……珊瑚ちゃんが何処へ行ったのか知ってるけど、あたしは珊瑚ちゃんの味方だから教えたくないかな」


「……それは、どういう意味なんです?」


「もっと珊瑚ちゃんの気持ち考えてみたら?」


それが分からなきゃ、あたしは珊瑚ちゃんの居場所は教えてあげないから。


かごめ様は射抜くような目で私を見ていました。その純粋で一点の曇りのない瞳はまさに破魔の矢のような清さと鋭さを持ち合わせており、愚かで純粋でもない私は苦しくなるばかり。まるで人の皮を被った妖怪にでもなったような気分です。しかし、この時かごめ様が冷たく放った言葉は、たしかに私の心中に珊瑚に対する後悔の気持ちを生み出しました。珊瑚は辛かっただろうに私は何をしているんだろうと。私は自分の醜い気持ちのせいで珊瑚を傷付けていたのだと。珊瑚に嫉妬をさせているという自覚がある上での行動だったのですから私の罪はとても大きいものなのでしょう。そうして長い沈黙のうちに考えて考えて最初に浮かんだのは謝罪の言葉と、飾り気の無い、愛しい者へのささやかな愛の言葉でした。


珊瑚に会いたい。


私はその言葉にありったけの気持ちを込めて紡ぎ出しました。するとかごめ様は渋々ながらも理解してくれたのか静かに指を差して珊瑚の居場所を教えてくれました。かごめ様は何も言いませんでしたが、先程の表情と言葉から推測するに珊瑚は私から逃げてしまったのでしょう。全てを理解し何も告げなかったかごめ様の計らいに感謝しつつも、珊瑚が逃げてしまったという事実に心がちくりと痛みました。きっとこの痛みは一生忘れることは無いでしょう。



それからしばらく河のほとりを走っていると、河辺の隅で静かに啜り泣いている珊瑚を見つけました。私はどう声をかけるべきか僅かに迷い、結局何も言わずに珊瑚の隣に腰掛ける事を選びました。どうやら珊瑚は私の気配に最初から気が付いていたようで、私が河辺に腰掛ける頃にはには素早く膝を抱え込むようにして顔を伏せてしまい、それ以上動く気配はありません。


「珊瑚」


「……あっち行ってよ。今は法師さまと話す気分じゃない」


「嫌だと言ったらどうする」

「…………」


「珊瑚、何も言わなくてもいいから聴いて欲しい。私は……珊瑚に私の事だけを考えていて欲しかったのだ」


「許しを乞うつもりはないが、珊瑚に……知っておいて欲しかった」


「……そんなの嘘だ、法師さまはあたしよりも……」


「珊瑚」


私が珊瑚の言葉を遮るようにして名を呼んだ瞬間、初めて珊瑚と目が合いました。その泣きはらした目はすっかり赤くなって腫れてしまっていて、気がついたら私は手を伸ばして珊瑚のその目元に触れていました。


「……私は珊瑚で無ければ駄目なのだ……それを分かっていながら……すまなかった」


先程も申したように、許しを乞うつもりはありません。けれど珊瑚には詫びなくては私の気が済まなかったのです。勿論それで自分が救われるなどとは思ってはおりません。それよりも、自身が救われないよりも、珊瑚が私を拒絶して遠くへ行ってしまう事の方が私にとって何よりも辛かったのです。


私の言葉を聴いた珊瑚はやはり何も言う気配は無く、ただ私の肩に寄り添うようにして身を預けただけでした。そうしてしばらく落ち着いてから、珊瑚は、こんなにも愚かだった私に対して今日一番の嬉しそうな笑みを浮かべたのです。それはまるで、清らかな光のような、目にしているだけでこちらまで清められて行くような、綺麗で、それでいて儚いものでした。珊瑚は優しい。私は珊瑚の優しさに救われたのです。


肩へと預けられる体温はとても温かくて、それ故に愛しい。先程浮かんだささやかな言葉が脳裏を過ぎりましたが、それを口に出すのはなんだかためらわれるような気がして、喉まで出かかった言葉は結局飲み込んでしまいました。何故なら私達には倒さねばならない敵がいて、それを成し遂げなければ全ては終わらないからです。幸せに浸っていてはならないと知っていたからです。けれど、いつか味わう事が出来る筈と信じてやまないその幸せを、今ほんの少しではあるけれど噛み締める事が出来たような気がして、ふと気づくと私も同じように頬を緩ませていたのでした。








じれったい愛を片手に


(貴方を愛しています)