学生らしい一人暮らし用の小さな部屋。テーブルとベッドとテレビと、生活に必要な物しか置いていないその部屋には一切の無駄が無く、特に目立った装飾も無い家具達は部屋全体にシンプルな印象を振り撒いていた。


因みにここは佐藤君が一人暮らしをしているアパートの部屋である。俺がこの場所に、佐藤君がこの時期レポートに追われる生活をしているのを知っている上で押しかけたのが今日の昼間。相変わらず感情の読み取り難い表情で俺を出迎えた佐藤君はぶつぶつと文句を言いながらも俺を部屋へと通してくれたのである。


たまにある休日、特に俺と佐藤君の休みが重なった時の休日は、俺はこうやって佐藤君の家に遊びに行って過ごすのがお決まりとなっていた。それが何時から始まったのかは分からないけれど、気が付いたら俺は休みの度に佐藤君の家へと上がり込んでいたのだ。遊びに行って何をしていたのかと問われれば特にこれと言って無いような気がする。毎回適当に食事をして、テレビを見て、他愛も無いおしゃべりをして、時にはちょっといい雰囲気にもなったりして。そうして満たされたと感じたら帰る。そんな感じだった。


しかし今日は佐藤君の大学のレポートの提出期限が間近に迫ってきているとの事で、普段バイトだけで無くバンドもやっていて多忙な生活を送る彼は当然の如くレポート製作に追われていた。勿論おしゃべりなんてしている余裕はない。俺はそんな彼の様子を見て、家に押しかけた上に作業まで邪魔するのはさすがに悪いと思い、2人で軽い昼食を取った後はただ一人黙々と本を読むことにしたのだ。


そうして現在。本を読み始めてどれくらいの時間が経っただろうか。最低でも2、3時間は経ったように思うが、その時間の割に読んでいた本のページは最初からほんの少ししか進んでいなかった。


長い時間同じ姿勢だった為に固くなってしまった身体をほぐすようにして大きく伸びをする。そこで初めて佐藤君の方を見た俺は見付けてしまった。無防備にもノートパソコンを置いたテーブルの上で静かに寝息を立てている彼を。どうりでずっと聞こえていた筈の、佐藤君がノートパソコンのキーを叩く音がいつの間にか止んでしまっている訳だ。


電源の入ったままだったノートパソコンの画面を見れば、レポートはもう完成間近なのか、画面の中の紙面上には文字と写真と表がびっしりと詰まっていた。これだけレポートが進んでいるのなら今、少しくらい彼にいたずらしたっていいだろう。何時間も待たされたんだからこれくらいは許してくれるよね。そんなような事を自分自身に言い聞かせながら、俺は自然に綻びそうになる頬を引き締め、自身の腕を枕にして寝ている佐藤君の寝顔をそっと覗き込んだ。


少し痛んだ金髪から覗く白い肌に、瞼を縁取る長い睫毛。それらを男ながらにして綺麗だなあと思ってしまう。そしてそれらを全部俺のものに出来たらなあと邪な考えばかりが脳裏を過ぎってしまう。君はそんな俺の葛藤も知らず、俺が手を伸ばせば簡単に触られちゃう場所で呑気に寝顔なんか晒しちゃってさ。何だか俺ばかりが悶々として腹が立ってきたので仕返しとばかりそっと、その頬に口づけを落とそうと身を寄せた。


「ん……?」


しかし、俺のその行動は佐藤君の声によって阻害される事となる。小さい呻き声を漏らした佐藤君はなんとこの絶妙なタイミングで覚醒したらしいのだ。ゆっくりとした動作で押し上げられていく瞼に少しばかり心臓が高鳴る。


覚醒したばかりの彼はまだ眠たいようで、俺を見るその目は何処かぼんやりとしていた。その目を見つめながら、俺は先程まで寝息を立てていた筈の彼が起き上がったという事実に驚き、しかし表面では平静を装いつつ適当に嘘をついた。


「佐藤君、髪に糸屑付いてから取ってあげたよ」


「ん……ああ……」


しかし彼はそんな適当な嘘にも一切不審に思う事無く同じように曖昧な返事を返しただけだった。その様子にもしかしたら彼はまだ寝ぼけているのかも知れないという考えに辿り着く。だとしたら好都合だ。取りあえず近くなってしまった距離を離すべく動こうと思考を巡らせ、身体を佐藤君から離す。すると不意に、それを引き止めるかのように佐藤君の手が俺の腕を掴んだのだ。そして間髪を入れず僅かに引かれる自分の腕。それと佐藤君が身を僅かに起したのはほぼ同時の事だった。


本当は俺が佐藤君にする筈だったのに。と後悔するのにはもう遅く。俺の頬に軽く口づけた佐藤君は無表情に近いもののほんの僅かながら満足げな笑みを浮かべると、再び身を伏せ瞼を降ろし寝てしまったのだ。そして30秒としない内に穏やかな寝息が聞こえてきたのだから不思議である。


「……なにそれ」


無意識に頬をなぞり、そんなような事を呟いてから窓を見る。すると窓から見えていた筈の陽はすっかりと傾いてしまっていて、遠くの空にはうっすらと星が輝き始めていた。その景色はとても良いもので特に空気の澄んでいる北海道の地では星も綺麗だ。だから普通ならこの空を見て感動したり何かを考えたりするのだろうが、残念な事に俺の頭の中には空の事なんてこれっぽっちも無く、俺は夜の訪れをゆるやかに告げる空を見ながら、レポートを頑張った佐藤君に後で差し入れでも買ってきてやろうだとか、佐藤君の目が覚めたらさっきの仕返しでもしてやろうだとか、そんな事ばかり考えていた。








寝ぼけてキスをした