休憩室の机に置かれたポットの中には、冷たい水がたっぷりと入っていて、それが窓から入ってきた光を仄かに反射させていた。室内との温度差の為かポットの表面には水滴が付着している。なんとなく無色透明なポット越しに向かいの席を透かし見ると、紫に近いような黒がぼやけて見えた。そのまますることも無いのでぼうっと見つめていると、紫の主は俺の視線に気がついたのか、机に突っ伏していた顔を上げたようだ。ポット越しに見える紫がぼやけた肌色に変わるのがわかる。


「見てください相馬さん!ポットが暑いよう、暑いようって汗をかいていますよ?」


「……山田さんって、そういうこと言う人だったっけ」


「ばれましたか」


ポットの表面に付着した水滴を楽しそうに見つめながら幼い子供のような事を口にして山田さんは静かに微笑む。俺は時々彼女のことが分からないと感じることがある。この歳で家出、更には店の屋根裏で一人暮らし。しかもたった一人でだ。そしてそのわりには不安や後悔を見せることはなく、寂しいと言って絡んできた時でさえ彼女は笑っていたのだ。通常の女の子に比べると、これらの要素だけでも随分と彼女が行動的で実は大人のような思考を持っているのではないかと思う。小鳥遊君に言わせれば、山田さんは「子供の中の子供」らしいが俺はそうは思わない。そもそも、本当に子供の思考を持ち合わせていたのなら、家出なんかしようにも出来ないだろうし、孤独の中で笑っていることもできないだろう。そう思ったからだ。とにかく、俺は山田さんに対してそういう風に思っているのだけれど、時々、その考えが揺らぐことがある。それが今みたいな時だ。

わざとそういうことを言ってこちらの反応を楽しんでいるのか、それとも単なる気まぐれか。後者なら、小鳥遊君が言うことも正しいということになる。


「ばれましたか……ってさあ」

少し呆れたように呟くと、山田さんはつまらなさそうに顔を背けた。ぱさり、と長い髪が顔にかかる。


「うらやましいです」


「え?」


「ずっとずっと幼い時は、こういった無機物でさえ、人間と同じ、家族のような存在に見えたんですよ?」


それが今はどう考えても無機物は無機物という存在でしか捉えることができません。だからうらやましいです。


ポットの水滴を指でなぞりながら、ぽつりぽつりと呟く山田さんの表情はいつもと何ら変わらない。次にどんな言葉をかけてやるべきか。一瞬思案してから、俺は口を開く。しかし、俺の口から滑り出た言葉は、自分で考えていた慰めのような言葉ではなく、自分でも驚くくらいに素っ気無くて味気ないそれだった。


「ふうん」


それが何?とでも続きそうな、冷たく刺すような言葉。どうしてこんな事を言ってしまったのか自分でも分からなかった。後から思えば、これは突如沸いて出た言いようのない怒りの現れだったのかもしれない。それから慌てて山田さんを見ると、意外なことに山田さんはとくにこれといって傷ついたそぶりも見せずにちいさく笑っていただけだった。まあその姿は、酷く寂しそうにもみえたのだけれど。

「俺たちなんか、そこら辺にある無機物と違ってちゃんと、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりするよ?俺たちはけして多くは無いけれど山田さんのことをちゃんと知っているよ?それだけじゃ駄目なの?足りないの?」


無機物でさえも家族に見立て、自身の心の隙間を必死になって埋めようとする彼女に対して、俺は随分と酷な事を言ってしまったようにも思う。そんな少しの後悔を滲ませながらゆっくり、ゆっくり、かみ締めるように言葉を紡ぎだす。そうして最後にもう一度告げた。


「俺たちだけじゃ、たりないの?」


俺は時々山田さんが分からない。子供なのか。大人なのか。まあ結果としてこれはどちらも正しくて、どちらも間違っていた。山田さんは山田さんであって、それ以上でもそれ以下でもないからだ。彼女は、家族の愛や絆を得るためなら、子供にだって大人にだってなれる。そういう人間なのだ。











不満足イミテーション









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小さい子供が無機物を人間に例えたりするのをアニミズムとか言うらしいです。……と先日家庭科で習ったので。