※9巻ネタバレ注意








「新羅ってさ、俺にとっては羨ましい、人間から乖離した特殊な存在――完全なる別次元から人間を見ることが出来る存在であると言えるけれど」


 私の目の前に立つ男はそこで言葉を切る。私の影と同じように闇に溶け込む黒を纏ったその男は、私の、本来なら首が存在する筈の場所を静かに眺めながら、何かを考えているのだろうか。
 私は長い沈黙の中でもPDAを取り出すこともせず言葉の続きを待ち続けた。
 普段の私ならここで早くしろと相手を急かしていることだろう。
 何故なら臨也とはあまり話したくないというのが私の本心だったからだ。
 偽善や嘘で塗り固められた、相手の心を揺さぶるような言葉ばかりを吐き出す臨也と会話を交わすのは、あまり心持ちが良いとは言えない。


 まぁ、たとえ臨也が私や新羅を弄ぼうと口を開いたとしても、私はあいつの口車にまんまと乗ることはしないよう細心の注意を払いながら言葉をこの画面に綴るし、新羅だって奴から守ってみせる。あの時のようなことは二度と起こっちゃいけない。
 とにかく私は、時には仕事の依頼主ともなりうる折原臨也という人間があまり好きではないのだ。
 では何故、私があまり好きではない男の言葉を待っているのか。それは少し前の時間にさかのぼる。


 臨也は、依頼主と呼ばれる人間にしては珍しく、仕事をこなす前に報酬を渡すことが多い。私が彼をあまり信用していないのが分かった上での行動なのか、それとも後から払うのが面倒なだけなのか。おそらくは前者だろうが、特に気に留めることでもなかった。
 もちろん大きな仕事や運び屋以外の仕事では報酬を前に渡すことはないのだが、今日の仕事内容は純粋な荷物運び。中に何が入っているかは触れないでおくが、拳銃や爆弾といった危険物ではない。
 しかし今日のあいつは、『報酬は仕事が終わった後に渡す』と言って来たのだ。私は珍しい事もあるものだと思いながら同時に、この仕事はよっぽど大きな仕事なのだろう、そんな程度にしか考えていなかった。


 そして、仕事を終えた今現在。私は彼から報酬を受け取るためにこの場所にいる。


「君と、少しだけ話がしたかったんだ」


 臨也のその言葉で、私は何故あいつが報酬を後で渡すと言ってきたのか、その理由を理解した。
 先ほども言ったように、私は臨也があまり好きではない。話をするにも良い心持ちはしない。普段なら『急いでいるから』と適当に言って逃れることも可能なのだが、生憎急いでいる理由となる今日の仕事はもう終えている。
 口実を作って逃れる術を失い動かない私を見て、満足そうに微笑んだ臨也は、こうして冒頭の言葉を紡ぎ出したのだ。


「新羅ってさ、俺にとっては羨ましい、人間から乖離した特殊な存在――完全なる別次元から人間を見ることが出来る存在であると言えるけれど」


 随分と長い時間がたったような気がする。実際は1分にも満たない時間だっただろうが、私にはそう感じた。
 臨也が新羅について何かを言おうとしている。それだけのことなのに、私の時間の感覚は狂ってしまったのだろうか。


「ふぅん、なんか悶々と考えちゃってるね、運び屋」


 長い沈黙の後、臨也はそう言って何か面白い物を見るようにして笑い、こう続けた。


「……ただね、その新羅は俺よりも上を歩んでいるくせに、俺よりも弱い存在なんだって言いたかっただけだよ」


『?』


「俺は新羅を羨ましいと思った。完全なる別次元から人間を見ることが出来る存在である新羅を。そして、新羅をそうしてしまったのは君だ。新羅は君がいるからこそ人間から乖離した特殊な存在になれる。だけど同時に、君を失えば新羅は何も出来なくなるんだ」


 それこそ、生きることも、死のうと行動を起こすことも。
 何故なら新羅のすべての行動理由には、君がいるからだ。


 だから君がいなければ、新羅はただの生ける人形になってしまうかもしれないね。


 その言葉を黙って聞いていたはずの私は――気がつけば更に言葉を紡ごうとする臨也の喉に先を鋭く尖らせた影を纏わせていた。
 音を立てずに漆黒の刃は奴の青白い首に寄り添う。肌が傷つかないぎりぎりの場所にあるそれは、私がそうしたいと望めば、あっさりと奴の首を貫くだろう。
 だがそれをしなかったのは――奴が新羅にとって世間一般で言う友人と呼ばれる存在だからであり、どんな理由でさえ、臨也が本当に死ねば新羅がどんな反応をするかということくらい知っていたからだ。
 でも、新羅が友人の死を嘆く行動は、私が昔から新羅に『友人は大切にしろよ』と言ってきた結果かもしれない。できればそうでないと信じたかったが、こう思ってしまう時点で私は私の愚かさに気がついていた。


 だからこそ、臨也を刺すことが出来なかった。


「おやおや、君ってそんなに感情的だったかな?」


『……前にも言ったろう、私は、最後まで新羅に付き合うと』

 ゆっくりと、影の刃を首筋から離してゆく。臨也はその刃に怯えるそぶりも見せず、ただ同じように笑っているだけだ。


「君がそのつもりでもね、それが出来なくなるときがくるかもしれないよ? 近いうちにね」

『何が言いたい』


 私の僅かな苛立ちを感じ取ったのか、臨也は肩を竦めて、わざとその怒りを煽るかのようにまた笑う。嗤う。


「これは、情報屋の折原臨也としてでなく、新羅の友人としての折原臨也からの最後の警告、とでも言えばいいのかな? あ、今日の報酬は、その黒いバッグの中だから」


 この時、初めて私は臨也の表情に哀しみの色が浮かぶのを見たような気がした。いつもの笑顔が、ほんの少しだけ、歪んでいたような気がしたのだ。


 不安と狂気と哀しみ。


 その僅かな歪みからそんなような感情を読み取った私は、彼に向けるしては随分と優しい言葉を画面に綴り――


『私は大丈夫さ。新羅を一人になんてさせるものか』


 私がそうPDAの画面に文字を綴り上げ顔を上げたときには――その言葉を送る相手である筈の臨也はもう、この場所のどこにも存在しなかった。












とある情報屋と運び屋の話










9巻読んだ勢いでカッとなってやらかしました