※腐です苦手な方ご注意








「俺さ、夜が怖いんだよね」


池袋の路地裏で出会ったノミ蟲はいつもの嫌味な笑顔を張り付けてそう言った。全身真っ黒い服を着て、今にも建物の影と夜の暗がりに溶けてしまいそうな奴が何を言うんだか。なんて返したらいいのか分からず取りあえず俺はお前を殺すとだけ言えば、またノミ蟲はへらりと笑うだけだった。意味が分からなくて不快感が増すばかりだ。思わず側にあったゴミ箱を片手で持ち上げると、奴は素早くナイフを取り出した。


夜と街の暗闇の中にきらりと刃物が光る。それは今にも消えてしまいそうなあいつがここにいる事を証明しているかのような鋭い光だった。


「ねえ、シズちゃん」


「なんだよ、命乞いか?」


生憎俺は今手前のよくわからん言葉のせいで、手前を視界に入れたせいで、機嫌が悪いんだ。手前には命乞いさせる余裕も無く殺してやんよ。そう続けて片手で持ち上げていたゴミ箱を投げやすいように構える。ノミ蟲の後ろには建物の壁と、暗闇しか無い。


「シズちゃんに殺されるくらいなら、やっぱり夜に飲み込まれちゃった方がマシかなあ」


「あぁ?」


「我ながらなんてロマンチックな言い方なんだろうねえ。夜に飲み込まれる、なんてさあ。本当は夜が怖くて怖くて、何もかも忘れさせて奪っていく夜が怖くて仕方がないのに」


「だから、何が言いたいんだよ」


俺が言葉を言い終わるか言い終わらないかぐらいに、突然、臨也の身体が崩れ落ちるように、いや、それこそ奴が背後に忍び寄っていた暗闇に引きずり込まれるかのように、夜に溶けてしまったかのように、揺らいだ。なんだ、これは。それは時間にしては一瞬の事だっただろうが俺には臨也の身体がまるでスローモーションのように、ゆっくりとゆっくりと暗闇に溶けているように見えた。そして、その溶けていく闇の中で奴が笑っているような気がしたのだ。あのムカつく笑みとはまた違う笑みで。


気付いた時には俺はゴミ箱を投げ捨てて、全速力で駆けていた。暗闇に全てが飲み込まれる前に、掴まなければならないと思った。消えないようにしなければならないと思った。殺したい程憎い相手の筈なのに実に変な話だ。そして限界まで伸ばした俺の手は見事、強く握ったら簡単に折れてしまいそうな、細くて白い、臨也の手首を、しっかりと掴んだ。その手首を軽く引いて、奴を暗闇から引き戻しながら、俺は一体何をしているんだろうと思った。そしてそんな事を考えられるくらい自分が怒りの感情を露にせず冷静でいられている事に驚いた。俺のちっぽけな、それこそ単細胞のような脳の中で、疑問と驚愕が浮かぶ。そしてそれらの思考がぐるんと脳の中を一周するころには、俺に手を引かれた臨也は俺の腕の中にすっぽりと収まっていた。


「……ははは、意味、わかんないよ……どうして、そう、なるの」


「黙れ。これ以上喋るんじゃねぇ」


さっきとは打って変わって疲れたような掠れた声で呟く臨也を見てみれば、右脇腹の辺りにどす黒いシミが広がっていた。それからふと自分の掌を見やると、やはりねっとりとして生暖かいものが付いている。


こいつがこんな黒い服を着てたせいというのと、夜の暗さと影の暗さが重なってか、近くで見ればこんなにも目立つどす黒くて大きなシミの存在に今の今まで気が付く事が出来なかったということか。地面をよく見ると、同じように夜の闇に溶けてしまっている血だまりも見つけた。相当な出血量だ。


暗闇は全てを無にしてしまう。きっと俺が奴を引き寄せたりしなければ、こいつがこんなに弱りきっていた事にも気が付かなかっただろうし、それこそ、奴は本当にこの暗闇の中に飲み込まれてしまっていただろう。


ふるり、と腕の中のあいつが震えた。今ならまだ間に合う。俺は奴を無理矢理担ぎ上げた。勿論向かう先は新羅のマンションだ。衰弱しきっている癖に嫌だ嫌だと騒ぐ臨也に先程と同じようにうるさい、黙れ、と言えば意外なことに素直に従い大人しくなった。


「……俺も、夜は嫌いだ」


街を照らすネオンに、不思議と安堵を感じてしまったのも、臨也を抱える手が勝手に震えていたのも、気のせいだった事にしておこう。












夜が怖いおとな








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