「お兄ちゃーん、ふふふ」 キッチンでの仕事中。いつの間にか俺の背後にいたと思われる山田さんは、俺にしがみつく訳でも無く、開口一番に構って下さいと言う訳でも無く、最初にそれだけ言った。山田さんが嬉しそう小さく笑う姿が容易に想像出来る。 「お兄ちゃん、お兄ちゃん」 「…………山田さん」 お兄ちゃんと呼ばれて、俺が振り返るのを待っているのだろうか。試しに振り返らずに名前を呼んでみても背後に立っている山田さんからは全く喋る気配も動く気配も感じない。山田さんが静かだ。何かがおかしい。いや、こんな些細な事でおかしいとか言っちゃう俺の方がおかしいのかも知れない。ていうか、山田さんが騒ぎ立てて俺を含め皆を引っ掻き回す状況が当たり前になってしまった事自体がおかしいのではなかろうか。 俺はひとつため息をついてから山田さんの方へ振り返り、なにかな?山田さん、とだけ言った。 俺が振り返ると山田さんは俺の目を見てにへら、と笑った。幸せにほっぺが落ちてしまった、そんなような自然の笑顔で。まぁ泣かれるよりましか、と思いながらこの後起こるやりとりを何となく予想出来てしまったのでやっぱり適当にあしらうべきだったかと一瞬後悔がちらつく。 「相馬さんはついに山田の正式な兄に……!」 「いや違うから」 「じゃあなんで反応したんですか!」 「だって反応しないと山田さん泣いちゃうでしょ?」 「はい!山田泣きますよ!思いっきり泣いちゃいます!びえーんって泣いてやります!」 ああ、この子、完全に俺の弱みを握ってるんだなあ、そう再確認した瞬間だった。まあとにかく、付け上がらない程度にあしらいつつも、今日も兄妹ごっこに付き合ってあげるとしよう。仕方ないなあ、そんなような事を言ってまた一つため息を付けば山田さんは、まるで今まで俺にくっつくのを我慢してたかのようにお兄ちゃん、お兄ちゃん、と言いながら俺に飛び付いてきた。そして素早く俺の腕に自らの腕を絡める。山田さん、こういう動作だけは速い速い。ただそれでもやっぱり何かいつもと違うように感じる。やっぱり呼び方だろうか。そういえば、お兄ちゃん、という呼び方が妙にくすぐったいような気がしなくもない。でもその一方で、相馬さん、と呼ばれなくて少し寂しい気もしなくもない。なんだか不思議な感じだ。 「……でもさ」 「なんですかお兄ちゃん」 「なんで今日だけこんな頻繁にお兄ちゃん呼び?なんか今日相馬さんって呼ばれた記憶が無いんだけど」 「……気がついちゃいましたか、ふふ、でもそれは秘密です」 そう言って何処か楽しそうに、それでいて少し照れたように微笑んだ山田さんは、ぎゅっ、と俺の腕に絡める自らの腕の力をちょっとだけ強めた。 そうやって息をするみたいに近くで確かめて title:幸福 *** 山田が相馬さんを男の人として意識しちゃいました。だから敢えてお兄ちゃんと呼ぶ事で相馬さんは男の人じゃなくてお兄ちゃんという意識を自分自身に持たせようとする山田のお話でした。 補足ないとなんとも分かりにくい文章ですねこれ…… |