ふたりの約束が死んだ夜

まるで憂さでも晴らすようにホストクラブの扉を開けようとした。

お生憎のところ私はホストクラブなんてものに縁は無くてまあ、それなりにいい生活してた。彼氏がいて、勉強もそれなりにできていてもう満足っ!ってくらい上手く行っていたのに、ある日突然、ほんと突然崩れさっていってしまって。

私の彼氏はそう、まあ、女好きっていう言葉が当てはまりそう。顔はいいと思うし、まあ、性格に難あり、学力に難ありっていうところかな。お世辞にも頭がいいとはいい難い。性格だって、私と出かけてるのに女の子とか見かけると声をかけに行ってしまう。私はあんたのなんなの、って問い詰めたくてもできなかった。

さて、話は変わって私がホストクラブに来た理由は癒して欲しかったから。だって、出かけようねって事前に約束したのにドタキャンされるわ、電話でないわLINEは無視するわ。堪忍袋の緒が切れてもおかしくないくらい。それでも最初は我慢してたんだから結構な忍耐力あると思うんだよね。けど二週間も続けば流石にイライラしてくるわけで。別れるわけじゃない、癒してもらうだけ。そんな風に自分を宥めていた。

「あそこのホストクラブ、イケメンぞろいよね〜」
「ねー!マジやばいわぁ〜、私断然きょーすけくん推しぃ〜」
「ええ?あたしはねえ」

通りすがりに聞こえた私よりも若いだろう女の子たちのキャピキャピと高い声。私が入ろうとしていたホストクラブの話をしているらしい。きょーすけくんか、誰か知らないけどその人にしてみようかな。

ホストのシステムなんて知らないからなあ、何して何してどうすりゃいいのか。まあ、憂さ晴らしのためだし、なんでもいいか。馬鹿で浅はかな考えだなあ、と自分を貶してから扉をあけた。

そこには、すらっと身長の高い(私が低いだけかもしれない)人が並んで黒いスーツみたいな服を着こなしていた。誰を指名いたしますか?なんていわれても知らねえよ。ふむふむ、みつるくんというのかこの子は。

誰でもいいです、癒してくれれば誰でも。そう小さく呟けば彼はにっこりと微笑んだ。「では、とびきり明るい当クラブのムードメーカーを呼びますね。お部屋は個室に致しますか?」。丁寧な口調だなあ、一応多分べろんべろんになるまで居るつもりだし、少々お金かかってもいいかな。個室で。渡されたナンバーの部屋に向かう、はあ、私を癒してくれるムードメーカーかあ、どんな人かな……期待を抱いて静かに部屋で待っていた。

「はーい、癒して欲しいお客様は誰かなぁ?」

明るく元気のある声。これが私の彼氏の声に似ていて涙が出てきそうになった。やっぱすきなんだよな、こんなことしてていいのかなという罪悪感もあれど仕方がない。「私です」と小さく声を上げればドアが開く、そして、そこには見知った顔。

私の彼氏の佐鳥賢が居たのだ。お互いにお互いの顔を凝視してから目をパチクリと瞬かせて同じタイミングでえ?と声を出した。嘘でしょ、なんで、賢が居るのよ。




「まさか、名前だとは思ってなかったなぁ」
「私も賢だなんて思ってもいなかったよ」

お互いにソファに座る。赤くベッタリとぬられたソファに壁は黒と白のタイルで埋め尽くされている。目がチカチカするようなショッキングピンクの棚とか、こんなとこ、私には合わないなあ。なんて思いながら隣に座る彼氏(今はホスト)の顔を伺う。

「まいっか、ドンペリ飲む?」
「じゃあ、飲む。折角来たんだし」

メニューに載ってるドンペリを指させば賢は襟の部分に話しかけていた。そこにマイクがついてるんだね、なんともまあ凄い世界だなあ。彼氏がこんなことしてるなんて知らなかったよ。何も気付かないなんて彼女失格かななんて、馬鹿なことを考える。

癒してもらうために来たのに、まさか、相手が賢だなんて。ついてるのかついてないのか。私にはわからないけどさ。てか、個室って静かなもんだね。なにか無ければ外の騒がしいホールの音が少し聞こえるだけでほかの音はしない。

「癒しって、何かあったの」
「別に、関係ない」
「ふーん、てか、彼氏に内緒ってのは気に食わない」
「彼女に内緒でホストやってる人が言うセリフかな」

ぐっ、と唸って項垂れた。こっちの方が何枚か上手なんだから言葉で勝てるわけないのに。女の子を誘う歯の浮くようなセリフはポンポン出てくるくせに。私とは会話も弾まないってことなのね。

コンコンとドアをノックする音に反応して賢は誰かからドンペリを受け取ってきた。手つきも慣れてるし、結構長いことやってるってのも大体推測がつく。ほんと私何も知らないんだなあ。チカチカと色が切り替わるライトを見つめながら赤く塗られた天井を眺めていた。疲れる。こんなとこ来るんじゃなかった。予定が全部狂ってしまった。

「最近ドタキャンが多かったのはこれだったから?」
「う、ん。まあ、そう」

言えばよかったのに。そんなこと言っても私はきっと心の中ではそんなこと思ってない。ほかの女の子に声を掛ける賢は気に食わないし、私のことを気にしてくれないのもさみしい。だから少しだけ束縛してたのかも。だから彼は私から離れたいと思ったのかもしれない。

だからこうやって、女の子と気軽に話せるここを選んだのかもしれない。だったら、自業自得じゃないか。私のせいでこうなったのだから私が何をいうというわけではない。

「なんで、ホストにしたの」

きっと返ってくる答えは「可愛い女の子と気軽に話すため」だろう。別に可愛くもなんともない私だから着飾ることをめんどくさがる私だから、愛想つかされたんだろうな。

「稼げるから」
「は?」
「ホストってさ、稼げんだよ結構」

だからホストやってる。理由はそれだけらしい。彼は嘘をつくのが下手だからきっと本当なんだろうな。でも、なんでまた、稼げるから?一人暮らしでもしようとしてるのかな。

「名前、俺さ、ホスト初めてもう二週間経つだろ?」
「うん、そうだね」
「俺さ、買いたいもんがあるんだ」

そんなもん知らない。そういえば昔、昔って言い方もおかしいのかな、前に賢と結婚したいねって馬鹿みたいに話したっけ。指輪買ってやるからね、って約束したっけ。それ覚えてるのってもしかして私だけだったりして。虚しいし、悲しい。

「俺、名前との約束破ちまった」

ぽつりと零した言葉。約束?パフェを食べに行く約束?一緒に水族館に行く約束?約束なんて数えればいっぱい出てくる。もしかしたら、なんて、淡い期待を抱くと裏切られた時が辛いから。フルーツの盛り合わせが届いた。桃にパインに、りんご。可愛く飾られた果物に、きらきらと可愛い色のカクテル。浮かんだハートに切られた葉っぱがこれまた可愛らしさをアップさせてる。

約束なんていっぱい破ってきたじゃない。

映画を見に行こうっていったら無理って言われて一人で見に行って虚しくなった。割引券があるからってカフェに行こうって約束したらドタキャンで友人を誘うことになって。水族館に行こうと思ったら宿題が終わってないからって。待っても彼は私のところには来なかった。

そろそろ疲れるんだよね。

私はいつしかそう思うようになり初めて彼を嫌い始めていたのかもしれない。それなりな生活をしてきた私。いい男に恵まれて幸せだったのに取り合いが勃発。可愛がられて、当たり前だったのに。賢はそうじゃなくて、何か新しい気がしたのも事実だ。

「あんさ、指輪、買っちまった」
「え」
「指のサイズ知ってるからさ、サプライズでさ」
「うそ、よくないよ」
「嘘なんかつかねーよ!」

俺馬鹿だからさ、財布に金入れていたらすぐ使っちまってさ。だから稼いだやつは違う貯金箱に入れてつい先日たまったんだよ、指輪変えるだけの金が。だから、これいいねって二人で指さしたシンプルなリング買ったんだよ。

「け、ん」
「これで大方わかるんじゃね?」
「ははっ、うそ……」
「俺と結婚してください名前」

んな馬鹿なことって、さっきまでの会話で私はすべて理解したようだ。お金を貯めるために給料のいいホストにバイトとして入って稼いでたってこと。指輪を買うために、頑張ってくれてたってこと。数々の約束を断られてきたけど、全部私と賢の為だったってこと。なんか、一人で変なふうに考えていた自分が馬鹿らしい。

「カクテルもどう?これ俺のおすすめ」
「じゃあ、それも貰う」
「俺も飲んでいい?」
「後で払ってね」
「えー!?奢ってくれてもいいじゃん〜」
「まあ、今日だけね」
「大丈夫、今日でこのバイトやめるから。さっき連絡した」

お金貯まったから、とにやにやと嬉しそうな顔をするものだから、私って幸せもんだなあって思いながら次に来るカクテルのことを想像しながら静かな空間の中で話を弾ませていた。あーあ、幸せ。