星を結んだ指先でロマンチカ 薄暗く設定されたライトの中、煌びやかな光が輝いている。ここはまるでおとぎ話の世界。誰もがお姫様になれて、誰もに王子様が現れる夢の国。女の子は胸をときめかせながら、夢の世界にうつつを抜かす。 「はい、マンハッタン。」 「…ありがとう。」 目の前に差し出されたのは、グラスの中にブラックチェリーが浮かべられた赤褐色のカクテル。俗にカクテルの女王と呼ばれ、諸説はあるが、ニューヨークのマンハッタンに沈む夕陽をイメージしたといわれる度数は高めのカクテルだ。言わなくてもわたし好みにベルモット強めで作られている。そうしてと彼に教えたのはわたしなのだから当たり前なのだけれど。 「ねぇ、慶。」 「ん?」 わたしの呼びかけに甘い声で答えた男はわたしの肩に手を回すとわたしの身体を抱き寄せた。そしてわたしの頬に顔を近づけて、甘えたように微笑む。 「マンハッタンって何か知ってるの?」 「え、知らない。」 知ってるわけないだろう?とドヤ顔で笑う男に呆れたような視線を向けてもどこ吹く風だ。わたしは手元のマンハッタンにもう一度口をつける。甘くて苦くて舌の上に程よく馴染む味わいだ。この甘さがちょうどいい。彼とわたしの関係みたいでちょうどいい。 「俺もなんか飲んでいいか。」 「どうぞ。」 ボーイを引き止めジンを頼む慶。本当ならビールでも頼んでがぶがぶと飲みたいところなのだろうけれど、この空間にそんな無作法は許されない。ここは、夢の世界だ。キラキラとした可愛い色のカクテルを、チェリーやオレンジで飾り立てて、甘いセリフとともに差し出すのがマナーなのだ。それを知らない男は、わたしに無作法に手を回す。 「はい、かんぱーい。」 「はいはい。」 カチンと小さく音を立ててグラスがかち合う。ごくごくととてもカクテルを飲む効果音とは思えない音を立てながら、ライムの浮かぶジンを飲む慶の喉元は色っぽい。髭を剃れば綺麗な顔だ。さすがホストといったところだが、この男にほとんど指名はない。 「今月のノルマは大丈夫なの?」 「あー…、無理無理。届いてねぇな。」 「ほんと、やる気ないわね。」 「そうか?」 やる気のない返事に呆れていると、見慣れた顔が近づいてきた。ふわりと香る煙草の香りに顔を顰めると、近づいてきた男は悪いと言いながら煙草の火を消した。 「慶、お前いったん下がれ。忍田さんが呼んでんぞ。」 「はいはい。」 呼びかけられた慶はわたしの耳元に唇を寄せ、甘い声でまた後でと囁くと、すぐに立ち上がった。その様子を見やっていた男は、遠くにいた若い男の子に向かって手を挙げると、すぐにわたしの横に腰を降ろした。 「お前、なんで慶なわけ?」 「あら、洸太郎。嫉妬?」 「んなわけねぇだろ。」 洸太郎は煙草を吸えない代わりに、わたしのマンハッタンからブラックチェリーを掠め取ると、口寂しいのか、口の中でゴロゴロと遊ばせた。 「あ、あの…!」 そんなわたしたちの目の前に先ほど洸太郎が呼びかけた男の子が現れる。いかにも初めてです、というような初々しい感じの男の子は、おどおどとしながら私の目の前に立った。 「初めまして、日佐人です。」 「名前です。どうぞ。」 「あ、ありがとうございます。」 いかにも緊張していますといった様子でわたしの隣に腰掛けた日佐人くん。その様子を見ていた反対隣の洸太郎は柔らかな笑みを浮かべた。 「洸太郎のお気に入り?」 「………馬鹿野郎。」 満更でもない様子で笑う洸太郎。可愛がっている子なのだろう。いかにも純真という感じで可愛がりたい気持ちはわからなくもない。しかし、慶とは違った意味でこの世界には向いてないだろう。 「名前さんと諏訪さんはお知り合いなんですか?」 「日佐人くん、お店では諏訪って呼んじゃだめよ。源氏名で呼ばなきゃ。」 あっ、と思わず口に手を当てる日佐人くん。洸太郎も苦笑いで返している。 「洸太郎とはプライベートで知り合いなの。ここを紹介してくれたのも洸太郎。」 「最初は俺を指名してたのに、こいつ…。」 「やっぱり嫉妬?」 「うるせぇ、悪いか。」 ふて腐れたような表情を見せる洸太郎。洸太郎に連れられてここに来たのが懐かしい。初めは慣れない姿を馬鹿にするためにここに来たのに、わたしはすっかり一人の男に骨抜きにされてしまった。カクテルの作り方もろくに知らないし、ウィットに富んだ話もできないような、万年ワースト一位の男に。 「きゃああああ!じゅんじゅん!!!」 不意に後ろから女性の黄色い声が聞こえて振り返る。見つめる先には山のように積まれたグラス。その奥にはナンバーワンホストの准を含む、ランキングトップを飾るホストたちの群れに囲まれた女の子がいた。露出の多い服装に派手な装飾品。彼により多く見つめてもらうために着飾った女の子は、幸せそうな笑みを浮かべている。仮初めの、一時の夢だとしても、彼女が浮かべる笑顔だけは本物なのだろう。 「今日もお姫様のためにー!じゅんじゅんが送るシャンパンコール!!!」 女の子の腰を抱きながら爽やかな笑みを浮かべる准くん。ナンバーワンというのが頷ける物腰柔らかな感じだ。シャンパンコールを叫ぶ賢くんも、サイドでドンペリを差し出す充くんもとても綺麗な顔をしてる。その様子を見ながら隣で洸太郎が舌打ちした。 「ピンドンかよ。」 「あれでどれくらい?」 「うちのは十万ってとこだな。」 「それって良心的なの?」 「割とな。」 初めて見るシャンパンコールは面白い。他のお客さんについていたホストたちも立ち上がり、女の子のもとへと集まってくる。他のお客さんにとってはたまったものではないが、真ん中で微笑む女の子にとっては優越感以外のなにものでもないだろう。 「いくわ。」 「うん。」 口の中で結んだチェリーの枝をお皿に置くと、洸太郎は立ち上がった。日佐人くんもそれに倣い立ち上がり、二人は揃って女の子のもとへと行った。その入れ替わりで慶が裏から戻ってきた。シャンパンコールには目も向けず、一目散にわたしの元へと戻ってくると、すぐにわたしの横に腰掛けた。残していったジンを手に取り、それを一気に煽ると、ああとオヤジ臭いため息をついた。 「シャンパンコールいかなくていいの?」 「あ?俺のじゃねーもん。」 こいつにはホストの常識はないらしい。まあ、女の子もこいつが来ようが来まいが大して気にならないだろう。 「なんだったの。」 「うん?」 「呼び出し。」 「…ああ。」 忍田さん、というのはフロアマネージャーだと聞いたことがある。慶が昔お世話になった人で、その縁でホストとして雇われたらしい。だからこそ成績が振るわなくても、こいつは解雇されなかったりするわけだ。コネの賜物である。 「俺さ、ホスト辞めるんだわ。」 「………本気でいってんの?」 「うん、まじ。」 イマイチ本気度が伝わってこないのだが、短い時間の中でもこいつが嘘をつかないことはわかっている。本気でホストを辞めるつもりなのだろう。でも大して学のないこいつが、これからどうして生きていくつもりなのだろうか。 「辞めて、どうすんの。」 「…うーん。」 「何も考えずに辞めるなんて、バカなことはやめなさい。」 「それ、いま忍田さんにも言われてきた。」 そりゃあ、忍田さんもそういうだろう。会ったこともない忍田さんに同情する。ホストの給料がどのくらいのものかは知らないが、大して売れてもいない慶に貯えがあるとも思えない。突拍子も無い思いつきで動こうとしているのだったら絶対にやめたほうが身のためだ。 「俺さぁ、別の世界だったらナンバーワンになれてたと思うんだよなぁ。」 「なにバカなこと言ってんの。」 「いやまじで。」 慶は笑いながら再びわたしの腰に腕を回した。後ろでは二回目のシャンパンコールが始まった。どうやら女の子に触発されて、別の女の子が頼んだようだ。今度は京介くん。彼も准くんに負けないイケメンだ。 「わたしがピンドン入れてあげようか?」 慶の将来が不安だ。十万くらいならなんとかなる。こうやってホストにはまっていくんだろうな、というのを客観的に思いながらも、何のためらいもなく口に出しているあたり、わたしもバカな女なのかもしれない。 「いいよ。俺、シャンパンコールのやり方わかんないし。」 「でも、」 食い下がるわたしに、笑みを浮かべた慶はそっと人差し指をわたしの口元に当てた。 「ピンドンはいらないんだけどさ、」 「うん。」 「俺に永久指名ちょうだいよ。」 「………辞めるのに?」 「うん、プライベートで。」 どういう意味だ、と首を傾げるわたしの肩に慶はぐりぐりと頭を擦り寄せる。まるで甘えたがりの猫のような仕草だ。 「名前しかいらないよ。」 これがホストの手腕だというのなら大したものだ。でも慶は何も考えずに言っているんだ。天然のタラシだ。引っかかっているわたしはやっぱりバカな女だ。 カクテルの作り方を知らなくても、ウィットに富んだ話をできなくても、ホストの常識を知らなくても、甘い言葉を囁けなくても、わたしはこの男に骨抜きにされた。 本当に些細なことだったけれども、話す時に必ず目を合わせるところだとか、相手のことを悪く言わないところとか、出されたものを残さず食べるところとか、人の機微を見逃さないところとか、絶対に嘘をつかないところとか。本当にどうでもいいところに惹かれてしまったのだからどうしようもない。 「俺が名前に逆指名してあげる。」 「………わたしは何を返せばいいの?」 「んー…、じゃあ、愛で。」 似合わない言葉だ。愛なんて。 誰も見ていない空間で、指先を重ね合わせて目を見合わせる。思わず笑みがこぼれる甘い空間に、ピリッとした刺激を加える。重なった唇から紡がれる言葉は、マンハッタンの夕陽にも負けないくらいロマンチックな色を持つ。 「じゃあ、太刀川慶を永久指名で。」 「俺も名前を逆指名で。」 違う世界の星と星とが線で繋がる。わたしだけのナンバーワンになってくれるのなら、もう何もいらない。 |